3-3.王弟
side リオン
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王妃はティーカップを持ち上げたまま、ふと思い出したように微笑んだ。
「だけど」
視線だけがリオンへ向けられる。
「貴方が女性を側へ置くとなれば、セシリアは黙っていないのではなくて?」
リオンは表情一つ変えなかった。
「王弟も、大切な一人娘を随分と可愛がっていらっしゃるもの。放って置かないでしょう」
王弟テオドール。
リオンを王宮に連れ戻した人物で、幼かったあの日、ミレイナを傷つけた人物。
リオンを見つけたことが功績にもなって、今では第一王子派の筆頭だ。
そして、その娘セシリアは幼い頃から何かとリオンに執着している。
周囲から見れば、二人が結ばれる未来を想像する者も少なくない。
王妃は楽しむように続けた。
「貴方が別の女性を重用すれば、面白く思わないでしょうね」
その一言は忠告ではなく探りだ。リオンが王弟にどこまで従うつもりなのか。それを見極めようとしている。
「私が誰を登用するかは、私が決めます」
王妃は小さく肩を竦めた。
「ふふ……少しは王子らしくなったじゃない」
そして何気ない調子で続ける。
「もしあの人が邪魔になるようなら、遠慮なく言いなさい」
リオンの瞳が僅かに揺れる。
「陛下も、弟君には長年手を焼いていらっしゃるもの。喜んで手を貸してくださるわ」
王妃は花でも摘む話をするような穏やかさで微笑む。
(……その日はいつか来る)
テオドールはいずれ廃さなければならない。
あの人はリオンを王にしたいのではない。自らの言葉で国を動かすための、王冠を被った操り人形が欲しいだけだ。
幼い頃は、それでもよかった。生き延びるには従うしかなかったから。
けれど今は違う。守りたい人がいる。守りたい国がある。
でも、だからこそ――
(まだ、その時ではない)
王弟派はリオンを支持する派閥の半分以上を占めている。今ここで切れば、第二王子派の思うつぼだ。
だから今はまだ耐えるしかない。
***
王妃の執務室を後にし、長い廊下を歩く。しばらくの間、クリステールは何も言わなかった。
やがて、人の気配がなくなったところで静かに口を開く。
「……殿下」
静かな呼びかけに、リオンは足を止めた。
「何?」
「セシリア嬢のことです」
その名前を聞いた瞬間、リオンの表情がわずかに曇る。
「この件がテオドール殿下の耳に入れば、おそらく今回の外交に彼女を同行させようとするでしょう」
クリステールの声は淡々としていた。
「そして、あたかも未来の王妃であるかのように振る舞わせて周囲を固めてくるでしょう」
否定はできなかった。王弟なら、そうする。
自分の娘を隣に置き、各国へ示す。――第一王子の隣に立つのは、この娘だと。
「……そうなれば」
クリステールは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「いくら殿下でも、セシリア嬢を娶らざる得なくなります」
その言葉に、リオンの指先がわずかに強く握られた。
セシリアは恐らくどこかのタイミングで使節団に加わることになるだろう。今のリオンにはそれを拒むことができない。
そして、彼女がリオンの隣に立てば、クリステールの言うような未来も有り得ない話ではなかった。
「大丈夫。ミレイナ嬢のことが無くても既に手は打ってある」
「……アルティナ嬢ですか?」
クリステールの言葉に、リオンは視線を伏せた。
「……気づいていたんだね」
「殿下が意味もなく、ペルシャンティ公爵家へ声を掛けるとは思えませんでしたから」
「公爵もアルティナ嬢も協力に同意してくれている」
「テオドール殿下への牽制のためですか?」
責める声音ではなかった。ただ、少しだけ悲しそうだった。
「叔父上も公爵家には簡単には手を出せないからね」
「……よろしいのですか?」
「なにが?」
「さすがに外交に同行させると、ミレイナ嬢に誤解されますよ」
その言葉に思い出すのは、あの夜会の日、馬車の中でミレイナが言っていた言葉だった。
『殿下も……ペルシャンティ公爵令嬢と、とても……お似合いで……』
あの時は彼女に嫉妬されたような気がして少し嬉しかった。
だけど、彼女に誤解はされたくない。
「……今はこれしか策がない」
「ミレイナ嬢に事情を話されては?」
「彼女に気を使わせたくない」
「殿下は……ミレイナ嬢の気持ちが離れてもいいのですか?」
(……良くない)
彼女を手離す未来など、考えたくもない。
だけど今は、彼女をこれ以上、王家の覇権争いに巻き込みたくない。
リオンにできることは、ただ、考えられることに先手を打つことだけだった。
「ミレイナ嬢に付けれる護衛はいる?」
「手配します」
「うん。それと……ミラー公子はまだ王都に残ってる?」
「敵に塩を送るつもりですか?」
「彼は敵では無いよ。きっと、この国で一番、ミレイナ嬢を守るために動いてくれる。それに、ミレイナ嬢も彼のことを信頼している」
「……分かりました。この後確認してまいります」
しばらく沈黙が続いた。窓の外では、夕暮れの王都が赤く染まっている。
美しい景色だった。けれど、リオンにはその色がどこか寂しく見えた。
(もう二度と、彼女を失いたくない)
幼い日の後悔が、今でも胸の奥に残っている。自分のせいで彼女を傷つけたこと。なのに、自分の手で守れなかったこと。
だから今度こそ……。
「……殿下」
クリステールが静かに呼ぶ。
「いつか、全てを話せる日が来ると良いですね」
リオンは少しだけ目を細めた。
「そうだね」
その日が来るまで、誤解されてもいい、嫌われてもいい。
ただ、彼女が無事でいてくれるなら。
「まずはこの外交を成功させないと」
クリステールはその言葉の意味を理解していた。
これは単なる友好訪問ではない。北方諸国との問題を解決できれば、王弟派だけではなく、外交官や文官、地方貴族たちからも信頼を得られる。
それは、王弟の威光ではなく――リオン・ノクス・ウィステリアという一人の王子への支持となる。
そして、その支持こそが、いつか王弟の手を離れ、自らの足で立つための礎になる。
(その時が来るまで、耐え凌がないと)
リオンは静かに前を向く。
「行こう」
その歩みは静かだった。けれど、一歩ずつ確かに。未来の王へと続く道を歩み始めていた。




