3-2.交渉
side リオン
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同日、王宮の執務室――
サウザンド国訪問まで、あと一月となり、王宮では朝から外交に向けた執務や会議が続いていた。
各部署から上がってくる報告書を確認し、使節団の名簿に目を通し、護衛の配置を決める。
外交は好きだ。他国の文化に触れ、互いの利益を探りながら国同士の未来を繋いでいく。
けれど、その裏には数え切れないほどの準備がある。
「殿下、こちらが今回の最終名簿です」
宰相を務めるキャンベル公爵の息子、ロアンから受け取った羊皮紙へ視線を落とす。
外交官、護衛騎士、侍女、文官。
一人ひとり確認していた視線が、ある名前で止まった。
――ミレイナ・フェリエール。
指先が止まる。一瞬、文字を読み違えたのかと思ってもう一度視線を落とす。だが、何度見ても、マリアンナの侍女として記されたその名前は消えない。
「ロアン、この名簿、いつ変更があった?」
「はい。昨夜、グレージュ伯爵が人員を変更したと……」
グレージュ伯爵とは、王妃付きの筆頭側近だ。
人員変更を彼が通したということは――
(実質的には王妃の意向だね……)
恐らく、外交課題がマリアンナの力でないことを王妃も察したのだろう。彼女ではアレンを補佐できない。だからミレイナを使うつもりなのだ。
(姉を侍女に……ね)
「クリス、ここ数日、フェリエール伯爵家に王宮から使者が行ってない?」
「調べてきます」
クリステールが部屋を出た後、リオンは小さく息を吐いた。
彼女のことだから、もし打診されれば断れないだろう。いいや、彼女じゃなくても、一介の令嬢が王妃からの命を拒否することなどできるはずもない。
(巻き込みたくなかったのに……)
数日前、腕の中で泣いていた姿が脳裏をよぎる。ようやく少し休めるようになったと思ったのに……。
(どうしたものか……)
しばらくすると、クリステールが執務室に戻って来た。
「殿下、本日フェリエール伯爵家に王妃殿下が召喚状を出しているようです」
「わかった。ロアン、少し席を外す」
「ですが本日中に決裁する稟議書が……」
「戻ったらすぐやる」
「ですが――」
食い止めようとするロアンの言葉をリオンは何事もないように遮った。
「ロアン、ペルシャンティ公爵とアルティナ嬢に約束を取り付けておいて。なるべく早めに」
そう言ってクリステールと共に執務室を出た。
クリステールは小さく咳払いをする。
「今のはさすがにロアンが可哀想では……」
「こうでもしないとロアンは時間をくれないからね」
「……殿下、どうなさるおつもりですか? あまり露骨にミレイナ嬢を庇えば、王妃に何をされるか……」
「大丈夫。王妃も兄上も私がマリアンナ嬢を好きだと勘違いしているから、そこを上手く使うよ」
リオンはそう言ってクスリと笑うと、王妃のいる東棟へと向かった。
王妃の私室は、昼下がりの陽光に満ちていた。
窓辺には季節の花が飾られ、香り高い紅茶の湯気がゆるやかに立ち上っている。
まるで何の憂いもない穏やかな午後――だが、この部屋では一切の気の緩みが許されないことをリオンは知っていた。
「貴方が訪ねてくるなんて、珍しいこともあるのね」
王妃はティーカップを口元へ運びながら、面白そうに目を細める。その笑みは穏やかで、美しい。だからこそ、恐ろしく感じた。
「マリアンナ嬢のことで、お話がありまして」
「あら」
王妃の眉がわずかに上がる。
「まだ諦めていなかったの?」
「……これが最後のお願いです」
そう告げると、王妃は小さく肩をすくめた。
「義兄の婚約者へ執着するなど、王子としては褒められた趣味ではないわよ」
「承知しております」
もちろん演技だ。王妃もアレンも、自分がマリアンナへ執心していると思い込んでいる。
ならば、その誤解は利用しない手はない。
盤上で駒を隠す者が勝つ。それは幼い頃から、この王宮で嫌というほど学んできた。
「外交の随員名簿を拝見いたしました」
リオンは静かに切り出す。
「マリアンナ嬢の侍女として、姉君のミレイナ嬢を同行させるご予定だとか」
「ええ。それが?」
王妃は紅茶を一口飲む。まるで興味無いとでも言いたげな声音だ。
「姉を侍女として従えていると知れれば、マリアンナ嬢は『姉を虐げる令嬢』と受け取られかねません」
「婚約者の品位が疑われば、その批判の目は兄上にも及ぶでしょう」
王妃の指先が、ほんの一瞬、ぴたりと止まった。
その変化を見逃すほど、リオンは鈍くない。
「……続けなさい」
(かかった)
王妃が最も嫌うのは、王家の威信を損なうことだ。
「特に外交の場ではそういう醜聞は想像より早く広まり、簡単には収集がつかなくなります」
沈黙が落ちる。
王妃はカップを静かにソーサーへ戻した。
「ですが……」
彼女は口元へ笑みを浮かべた。
「あの子では外交は務まらないでしょう」
(……やはり)
予想通りだった。王妃は既にマリアンナでは役不足だと理解している。
だからこそ、優秀な姉を補佐役として連れていきたいのだろう。
判断そのものは間違っていない。ただ、その方法があまりにも残酷だった。
「貴方はどうしたいの?」
王妃が試すように視線を向ける。待っていた言葉だった。
「ミレイナ嬢を私の侍女として同行させていただけませんか」
王妃の瞳が細められる。リオンは穏やかに微笑んだ。
「実際には兄上の外交を補佐していただきます」
しばらく、静寂が流れた。王妃はじっとリオンを見つめる。
その視線は、人を見るものではない。獲物の腹を裂けば何が出てくるか、見定める猛禽のようだった。
「……貴方に何の得があるの?」
探るような声音。ここで一瞬でも迷えば終わる。
リオンは肩を竦め、小さく笑った。
「愛する女性が、社交界で笑い者になる姿は見たくありませんので」
わざと困ったように笑う。
王妃は数秒無言だったが、やがて呆れたように息を吐く。
「本当に……女を見る目だけはないのね」
「いいわ。外交が終われば、アレンには婚約を解消させるつもりよ」
その言葉に、リオンはわずかに目を伏せた。
マリアンナが使えないと分かった以上、この王妃がそのまま婚姻させるはずがない。
(婚約前に調べればわかっただろうに……)
その短慮な行動が一人の令嬢と家族の人生を狂わせることなんて考えもしていない。
「そうすれば、あの娘は貴方にあげるわ。アレンも一度自分のものにしたのだから納得するでしょう」
まるで不要になった宝飾品でも譲るような口ぶりだった。
リオンは胸の奥に込み上げる嫌悪を、微笑みの下へ押し込める。
「……お心遣いに感謝いたします」
静かに頭を下げながら、別の計算を巡らせる。
(外交が成功すれば――)
婚約は、穏便に解消されるだろう。
少なくとも、この様子ではフェリエール伯爵家が断罪されることはなさそうだ。
伯爵家の名誉もミレイナ嬢の未来も、まだ守れる。
(ならば、この外交だけは、何としても成功させないと)
リオンは小さく息を吐いた。




