2-21.帰路
side リオン
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(本当はまだ一緒にいたいけれど……)
疲れている彼女をこれ以上、拘束する訳にはいかない。
「そろそろ帰ろっか。送るよ」
ミレイナが落ち着いたのを確認したリオンはそう言ってミレイナに手を差し伸べた。
彼女は少し戸惑ったように頬を赤らめていたが、観念したように手を重ねる。
心做しか、以前よりその腕がか細く感じた。
エルベローズ公爵家の馬車に向かうと、クリステールが待っていた。
ミレイナを馬車に乗せると、リオンは当然のように隣へ腰掛けてしまい、クリステールに咳払いされる。
だけど、少しでも近くにいたかった。ただ、それだけだった。
馬車の扉が閉まると、小さく車輪が動き始めた。
ただ、隣にいるだけなのに、すぐ近くに彼女がいると思うだけで鼓動が妙に落ち着かない。
リオンはそっと窓の外を見た。来た時は雨が降っていたが、いつの間にか雨は上がり、雲の切れ間から日差しが差し始めていた。その時だった。
──コトン。
「……え?」
肩へ、ふわりと重みが乗る。驚いて横を見ると、ミレイナが長い睫毛を伏せ、小さく寝息を立てながら、リオンの肩へ身体を預けて眠っていた。
「……寝てる」
小さく呟いた声に、向かいへ座るクリステールがくすりと笑った。
「よほど安心されたのでしょう」
「安心……」
その言葉を反芻する。先程、彼女に跪かれた時、胸が潰されるように苦しかった。
だけど、今、こんな無防備に眠れるほど安心できたのなら。
(良かった……)
それだけで胸がいっぱいになる。
だけど、同時にリオンの胸中は安心とは正反対の方向に向かっていた。
柔らかな髪が肩へ触れ、花のような甘い香りがふわりと漂う。肩に触れる温もりを意識するだけで、心臓がうるさく鳴った。
視線を逸らそうとしたけれど、逸らせなかった。眠っている横顔があまりにも穏やかで、少しでも動いてこの眠りを妨げたくなかった。
目の下には隈が残っている。少し痩せた頬、細い肩。
ここまで自分を追い詰めていたのかと思うと胸が締め付けられる。
(もう、大丈夫)
心の中だけで呟く。
(君はもう、一人で頑張らなくていい)
揺れる馬車の中で、眠る彼女を起こさないよう、肩を微動だにさせることなく座り続けた。
それが今の自分にできる、たった一つのことだった。
伯爵邸へ到着すると、クリステールが静かに小声で呼び掛ける。
「殿下、起こしますか?」
リオンは首を横に振った。
「駄目」
「ですが……」
「ようやく安心して眠れたんだから起こしたくない」
その言葉にクリステールは苦笑する。
「……承知いたしました」
すぐさま馬車の周囲へ控えていたエルベローズ家の護衛達へ目配せする。
「伯爵家に伝えて人払いを」
短い命令だけで全員が動き始める。
玄関、廊下、庭。使用人達に事情だけを伝え、人影は一人もなくなった。
「では私がミレイナ嬢を——」
そう言うクリステールの言葉をリオンはすぐに遮った。
「私が運ぶ」
リオンの言葉にクリステールは固まった。
「……殿下?」
「私が運ぶって言ったよね」
「いえ、それは……」
「彼女には誰も触れさせたくない」
有無を言わせない声音に、クリステールは小さく肩を竦める。
「……敵いませんね」
リオンはそっと眠るミレイナへ腕を伸ばす。
「失礼するね」
返事はない。彼女は眠ったまま、小さく寝息を立てていた。
リオンが壊れ物へ触れるように身体を抱き上げると、彼女は驚くほど軽かった。
思わず腕へ力が入る。こんな細い身体で働いて、誰にも助けを求めず、愚痴も漏らさずに全部抱えていたのだと思うと、どうしようもない感情がまた込み上げてくる。
(お茶をして買い物やお喋りを楽しんでいる年頃だろうに……こんなに無理をして……)
その時、腕の中でミレイナは小さく身じろぎし、無意識に胸元へ額を寄せてきた。
リオンは思わず動きを止めた。
「っ……」
あまりの無防備さに心臓が止まりそうになる。
「殿下」
馬車の扉を静かに開いたクリステールが吹き出しそうな声で呼ぶ。
「顔が赤いですよ」
「クリス、黙って」
「承知いたしました」
その声は笑いを堪えるのに必死で、全然承知していない声だった。
その後、リオンは少しでも揺らさないようにゆっくりとミレイナの私室に彼女を連れていった。
ゆっくりとミレイナをベッドへ寝かせると、掛物を肩まで掛ける。
一瞬、躊躇いながらも、頬にかかった髪をそっと指先で耳へ掛けた。
それだけで胸がいっぱいになる。
「……ゆっくり休んで」
返事はないけれど、彼女の眠ったまま少しだけ口元が緩んだ気がした。
その笑顔を見て、リオンも自然と微笑む。
「おやすみ、ミーナ」
そう呟いて、静かに部屋を後にした。
***
王宮へと向かう帰りの馬車は静かだった。だが、しばらく沈黙が続いたあと、耐えきれなくなったクリステールが吹き出した。
「何?」
「いえ」
そう言いながらもクリステールは笑うのを堪えながら肩を震わせる。
「クリス」
「はい」
「今すぐ馬車から降ろそうか」
「お、お許しください」
そう言いながらも笑いは止まらない。リオンも堪えきれず、小さく笑った。
「……初めてなんだ」
「え?」
「こんなに大切にしたいと思う人は」
その一言に、クリステールの笑みが消えた。
幼い頃から何もかも奪われ続けた主。欲しいものすら望めず、ただ国の象徴として生きてきた青年。
そんな主が初めて、一人の女性を幸せそうに見つめていた。
クリステールは静かに窓の外へ目を向ける。
(どうか……今度こそ、この方の願いが報われますように)
その願いは、誰へ向けたものだったのか。
雨が止んだ後の少し涼しい夏の風だけが、静かに馬車を包み込んでいた。




