2-19.謝罪
それからもマリアンナの要求は増える一方だった。徹夜が続いた後の身体は、鉛のように重い。
ベルが淹れてくれた濃い紅茶を一杯飲み、ようやく頭が少しだけ冴えてきた頃、不意に部屋の扉が叩かれる。
「お嬢様。エルベローズ公爵家よりお客様がお見えです」
「エルベローズ公爵家……?」
思わず首を傾げる。公爵家との直接の付き合いはほとんどない。
あるとすれば……エルベローズ公爵家の遠縁として振舞っているグラウス子爵。
(……リオン殿下?)
こんな状況なのに胸が高鳴って、さっきの濃い紅茶よりもうんと目が覚めた。
「すぐに応接室にお通ししてください」
慌ててベルに身なりを整えて貰い、鏡を見る。
(……酷い顔)
少し濃いめに化粧を施しても目元の疲れは隠れない。
それでもこれ以上お待たせする訳にはいかなかった。
応接室へ足を踏み入れると、一人の青年が立ち上がる。
「クリステール様……!」
藍色の髪に、澄んだ青色の瞳。優雅な所作で一礼した青年は、穏やかに微笑む。
「突然の訪問をお許しください、ミレイナ嬢」
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございます」
互いに挨拶を交わすと、クリステール様は周囲へ一度視線を向けてから静かに口を開く。
「本日は少々、お話ししたいことがございます」
「お話し……ですか?」
「ええ。ただ、ここでは少し話しにくい内容でして」
その声音は柔らかいのに、どこか慎重だった。
「もしお時間をいただけるのでしたら、ご一緒願えませんか」
私は少しだけ考えた。今日は家庭教師の仕事は休み。本当は昨日マリアンナが持ってきた課題と伯爵家の仕事をしたいけど……。公爵家からの申し出を断る訳にはいかない。私は小さく頷いた。
***
外に出ると、曇天の空からポツポツと雨が降り始めていた。
私は急いで公爵家の馬車に乗り、到着した場所を見て、目を丸くした。
「ここは……」
そこは以前、リオン殿下とお茶をご一緒した公爵家の別邸だった。
あの日と違って見えるのは、降り始めた雨のせいか。それとも、自分の体調のせいかもしれない。
クリステール様に案内されて、応接室に入ると、窓際に立つ一人の青年がゆっくり振り返った。
「リオン殿下……」
その姿を目にした瞬間、胸の奥が小さく震えた。
二ヶ月ほど会っていなかっただけなのに、ひどく久しぶりに感じる。
「久しぶりだね、ミレイナ嬢」
その穏やかな声を聞いただけで、胸の奥に張りつめていた何かが、少しだけほどけていく。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「忙しいのに、急に呼び立ててごめんね」
リオン殿下はこちらに歩み寄ると、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「少し、話がしたくて」
そう言う殿下はいつもと変わらない優しい穏やかな表情を浮かべているはずなのに、どこか緊張感が見え隠れするような気がした。
「それでは私は外しております」
それだけ言うと、クリステール様は自然な動作で一礼して扉に向かう。
(え……行ってしまわれるの?)
私はクリステール様の背中を見つめたが、彼は振り返ることなく扉をゆっくりと閉めてしまった。
部屋には私と殿下だけが残り、雨音だけが静かに窓を叩く。
先に口を開いたのは殿下だった。
「とりあえず座ろっか」
促されるままに近くのソファーに腰掛けると、柔らかいソファーが僅かに沈む。
「……え?」
顔を上げると、いつの間にか殿下は、私の隣へ腰を下ろしていた。
肩が触れるほどではない。それでも久しぶりの距離感に思わず身体が強張る。
(あの馬車以来……)
けれど殿下はそんなことなど気にしていないようで、真剣な表情をこちらに向けた。
「疲れているでしょ」
「え?」
「目の下に隈がある」
殿下の視線が私の顔をゆっくり辿る。
「化粧で隠しているけど」
思わず息を呑んだ。そんなところまで見ていたなんて。
(殿下には見られたくなかった……な)
彼はこの姿を一番見られたくない相手だった。
「……最近、眠れてない?」
「そんなことは……」
「あるよね」
珍しく、少しだけ強い口調だったけど、リオン殿下はすぐに困ったように笑う。
「君はいつも、大丈夫だと言うから」
責めるでも、問い詰めるでもない。ただ心配してくれているような優しい声音だった。
「実は今日呼んだのは、聞きたいことがあってね」
リオン殿下は机の上へ数枚の紙を置いた。
「これに見覚えはある?」
胸がドクンと鳴る。それは、マリアンナの手伝いをした外交課題だった。
「これは、マリアンナ嬢が妃教育で提出した課題。内容はとても素晴らしい。カルヴァン男爵も大変感心されていたよ」
きっとリオン殿下は全て気付いている。何となくそんな気がした私は何も答えられなかった。
「……書いたのは君だよね?」
その言葉に、私はようやくここに招かれた意味を把握した。
マリアンナの課題を代行する行為は、王族を欺いたと言われてもおかしくない。
殿下は王族。それを咎める為に呼ばれたのだろう。
少しでも期待した自分が情けない。
(失望されたよね……)
私の行動は妃教育の妨害にもなる。殿下からすれば私はマリアンナと同罪で、愚かな姉妹だと……そう思われているだろう。
私はソファーから静かに腰を上げ、そのまま柔らかな絨毯の上へ膝をついた。
深く頭を垂れ、両手を膝の前で重ねる。
喉がひどく乾いていた。何をどう言い繕っても、私がしたことは変わらない。
今できることは誠心誠意、謝罪することだけだった。
「申し訳ございません」
震える声でそう告げても、返事はなかった。
やっぱり失望されたのだ。そう思った、その時だった。




