2-15.二人の時間
しばらく歩くと、王宮の裏口に着いた。
そこには既に一台の馬車が停まっていた。王家の紋章が刻まれた、美しい白い馬車。
「え……」
思わず立ち止まる。こんな所に王家の馬車が準備されているだなんて、普通じゃない。
(もしかして……最初から?)
「ばれちゃった?」
その横顔がどこか得意げで、思わず笑ってしまう。
「ふふっ」
「笑われた」
少しだけ肩を竦める仕草が可笑しくて、また笑みが零れた。
その表情を見た殿下は、どこか安心したように目を細める。
「どうぞ」
リオン殿下に自然に手を取られ、私は馬車へ乗り込んだ。
さすが王家の馬車。外見もだけど、内装も素敵な作りだった。私は迷いながらもゆっくりと、柔らかい座席に腰を降ろす。すると、殿下も何の迷いもなく私の隣へ腰を下ろした。
「……っ」
向かい合わせに座るものだと思っていた私は思わず身体を縮こませた。
肩が触れそうな距離に心臓が嫌なくらい大きく鳴る。
(ち、近い……)
逃げるように窓へ視線を向けると、カタンと僅かな音と共に扉が閉まる。
その音を境に、外の喧騒が嘘のように遠くなった。
まるで、この小さな空間だけが世間から切り離されたようで、馬車がゆっくりと動き出すと、車輪の音だけが静かに響く。
急に二人きりであることを意識してしまう。
(落ち着いて……私)
「……ミレイナ嬢」
すぐ隣から名前を呼ばれる。その声は、会場で聞いていたものより随分と柔らかかった。
「は、はい」
「急に驚いたでしょ。ごめんね」
「いいえ、今日は殿下とお話できると思っていなかったので嬉しいです」
私の言葉に、殿下は少し驚いたように目を瞬かせ、その後、フッと優しく笑う。
「……敵わないな」
「一応、裏口から出てるから大丈夫だとは思うけど、あくまでもミラー公子の代わりに送ったことにするから安心して」
(そっか……殿下は私のことを気遣って……)
アレン殿下のこともあるし、第一王子が田舎の伯爵令嬢を送ったことが知れれば変な噂になるかもしれないと、気遣ってくださっている。
それが少し嬉しくもあり、もどかしさも感じた。
「お気遣いありがとうございます」
「うん。それより、そのドレス綺麗だね」
不意打ちにさらりと言われて、思わず息を呑む。
「……ありがとう、ございます」
「よく似合ってる」
そう言って微笑んだあと、殿下は私の肩から裾へとゆっくり視線を滑らせる。その視線だけで体温が高くなるような気がした。
「……でも、少しだけ残念かな」
「え……?」
「その金糸」
殿下は刺繍へ視線を落として、小さく笑う。
「銀だったら、もっと似合ったと思う」
銀……それはつまり……リオン殿下の髪色。
真っ直ぐ言われた言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「それに、今日は随分と楽しそうにミラー公子と踊ってたね」
「えっ?」
「私の前では、あんな顔あまりしてくれないのに」
思わず顔を上げると、藤色の瞳が、真っ直ぐ私を映していた。
「少し、妬いた……」
(いま……なんて?)
頭の中が真っ白になる。
「クリスにも呆れられたよ」
くすっと笑う殿下は、いつもの完璧な第一王子ではなくて。
一人の青年が、少し照れながら失敗談を話しているようで、そのギャップに鼓動ばかりが速くなる。
恥ずかしくなって俯くと、そんな私を見つめながら、殿下は小さく息を吐いた。
「私にも、少しくらい妬いてくれたら嬉しいんだけど」
殿下の言葉にペルシャンティ公爵令嬢と並ぶ殿下の姿を思い出す。
まるで絵画のような二人だった。
(将来、婚約者になるのだから当たり前なのかもしれないけれど……)
「殿下も……ペルシャンティ公爵令嬢と、とても……お似合いで……」
そこまで言って、ハッとする。話すつもりなんて無かったのに……。
恥ずかしくて、何か被るものがあれば隠れたかった。
「……ふふ」
小さな笑い声に、恐る恐る顔を上げると、殿下は片手で口元を隠しながら笑っていた。
「ごめん。そんな顔をするとは思わなくて」
笑いを堪えながらそう言う。
「もしかして……」
殿下は少しだけ声を弾ませながら、ゆっくりと距離を詰める。
今にも吐息が触れそうな距離に耐えきれずに逃げようとしても、馬車の座席では逃げ場がない。紫の瞳が、すぐ目の前にあった。
「期待してもいいのかな? 少しは妬いてくれてるって……」
「……っ!」
その問いに、心臓が壊れそうなくらい高鳴った。
答えられない。答えられるわけがなかった。
黙ったまま固まる私を見て、殿下は嬉しそうに目を細めた。
「……その反応だけで十分だよ」
嬉しそうに笑うその横顔は、王宮で見たような張り詰めた感じは一切なくて、肩の力が抜けたような青年の笑顔だった。
(ずるい……)
それがあまりに反則で、こんな顔を見せられたら……もっと好きになってしまう。
馬車は静かに夜の王都を走り続ける。
窓の外では星が瞬いているのに、今の私には、隣で嬉しそうに微笑む人の方が、ずっと眩しく見えた。




