2-13.嫉妬
side リオン
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祝賀会は王族にとっては大事な公務の場だ。
招待客への挨拶、他国の要人との歓談、功績者への労い。華やかな宴の裏側では、絶えず気を張り続けなければならない。
もっとも、それは今さら苦になることではない。第一王子としてこの場所に来てから続いてきた日常だ。
「リオン殿下」
声を掛けられ、リオンは穏やかに微笑んだ。
「本日はお招きいただき光栄です」
「ソジュール子爵、この度は領地で新しい品種の野菜を発見されたとか。素晴らしいですね」
「はい。冷夏にも対応出来る品種でして」
「それは、今年の秋の収穫が楽しみですね」
自然に言葉を返すと、相手は満足そうに笑った。
それを見送りながら、リオンは静かに息を吐く。
「マリアンナ」
少し離れた場所からアレンの声が聞こえたので軽く視線を向けると、アレンとマリアンナが寄り添うように歩いている。
一見すれば微笑ましい光景だが、彼らは王族としての務めを果たすことなく先程から酒を飲んでいるだけだった。
ようやく、マーベル川の堤防工事の功労者の一人であるケイン伯爵に話し始めたかと思えば、マリアンナな不機嫌そうな声が会場に響いた。
「アレン殿下!
そんな話より、向こうに行きませんか?」
その言葉に、リオンは僅かに眉を動かした。
今宵は王国の功労者を労る宴。この歴史ある祝賀会での王族の振る舞いは注目の的であり、無礼があってはならない。
どちらかと言えば、参加者よりも王族の品格が問われる場だ。
案の定、周囲の空気が微妙に固まり、アレンの笑顔も引き攣った。
「マリアンナ」
「だって退屈なんですもの」
本人に悪気はない。だからこそ厄介だった。
幸い伯爵は苦笑だけで済ませてくれたが、王族の婚約者としては見過ごせない失態だ。
アレンは慌てて話題を変えている。何とか場を繋ごうとしているのが見て取れた。
リオンは静かにその様子を眺めていた。アレンのことは好きではないが、あんな婚約者を選ばされる羽目になったことは少し気の毒だ。
(とは言っても……自業自得だけどね……)
無論、そんな感情は欠片も表へ出さない。
リオンはいつも通り穏やかな微笑みを浮かべながら、今宵の賓客へ挨拶を交わし続けていた。
そんな時だった。一人の令嬢の姿が目に入る。
(見つけた)
人波の向こうで、彼女の瞳の色のような澄んだ水色のドレスが目に入る。
その姿を見つけた瞬間、気付けば口元が緩んでいた。
(綺麗だ……)
どんな宝石よりも、どんな令嬢よりも、自然と視線が彼女に吸い寄せられる。
だが、その隣にいる人物に熱が引くのを感じる。
ルイス・ミラー。ミラー侯爵家の嫡男で、彼女の幼馴染だ。
ルイスが何かを囁き、ミレイナが笑う。その瞬間、顔に貼りつけていたはずの微笑みの仮面が引き攣るのが自分でも分かった。
「殿下?」
振り返れば、クリステールが不思議そうに首を傾げていた。
「何か気になることでも?」
「いや、何でもないよ」
即座に否定するが、リオンの視線は二人を捉えたままだった。
ミレイナの瞳と、ルイスの瞳を思わせる色彩の衣装。
社交界では珍しくない色合わせだ。何もおかしいことはない。だけど――
(……気に入らない)
思わず指先に力が入り、ピシッと小さく硝子が軋んだ。
その様子を見ていたクリステールは思わずリオンの視線の先を追い、彼が何に心を乱しているのかを察する。
(あぁ……ミレイナ嬢か……)
「殿下、挨拶に行かれてはどうですか?」
「どこに?」
「……あの方ですよ。ルイス殿でしたら挨拶に行かれても不自然ではありませんし」
「そうだね。そうしよう」
クリステールの助言にリオンは目を瞬かせて、分かりやすく表情を緩めた。
だが、第一王子であるリオンを周囲が放っておくことも無く、すぐに近くにいた貴族が彼に声をかけた。
その瞬間、リオンはいつものような柔らかい笑顔を浮かべたが、その目が酷く冷えていることに気付いているのはクリステールだけだった。
***
しばらく招待客と談笑を交わした後、周囲の視線がダンスフロアに向いていた。
釣られるようにダンスフロアに視線を向けると、ルイスとミレイナが踊っていた。
ちょうど、ルイスがミレイナを引き寄せるようにしてターンさせ、ミレイナのドレスがふわりと広がった。
(綺麗だ……)
思わず見入ってしまう。目に映るのは、ふわりと舞う水色のドレスと、微笑む彼女だけだった。
「まぁ、美しいわ!」
「お似合いね!」
「ミラー公子と踊っているのはどこの家の子?」
「フェリエール伯爵家ですわ。あのマリアンナ嬢の姉ですね」
「まぁ、姉妹揃って玉の輿ですこと。伯爵家も安泰ですわね」
その瞬間、上げていた口角がピクつくのが分かる。
「殿下、眉間に皺が寄ってますよ」
横で見ていたクリステールが揶揄うように自分の眉間をトントンと指で示したが、次の瞬間、彼は自分の発した言葉を酷く後悔する。
「クリス」
そう言って首を傾げるリオンの目は一切笑っていないどころか、光すら失っているように見える。
どうやらリオンはとうに我慢の限界が近いらしい。
「……殿下、その……ルイス殿とミレイナ嬢は幼なじみですから……。そんなに心配されなくてもよろしいかと……」
「分かっているよ」
リオンの言葉にクリステールは小さく安堵の息を吐く。
(このままじゃ、良くないね)
「少し席を外すよ」
「かしこまりました」
クリステールにそう言うと、リオンは最後にもう一度だけダンスフロアを見る。
相手がルイスなことは気に食わないが、踊る彼女は美しかった。
(……覚えておこう)
その光景を静かに瞳へ焼き付けると、リオンはダンスホールに背を向けて、控え室へと歩き出した。
だが、その途中で明るい声に呼び止められる。
「リオン殿下」
顔を向けると、そこにはアルティナ・ペルシャンティ公爵令嬢がいた。
彼女の父、ペルシャンティ公爵は中立派の重鎮だが、必要と思ったことには力を貸してくださる人で、リオンもよく世話になっている。
「こんばんは、アルティナ嬢」
「素敵な夜ですね、殿下」
彼女は淑女教育の手本のような所作で礼をした。
「公爵は一緒では無いのですね」
「はい。今日は親戚と一緒に来ました」
「モルソナ王国のゼイン王子のことですか?」
「さすがは殿下、お忍びで来たのにご存知でしたか?」
モルソナ王国とウィステリア国は友好国で、先月から王子が親戚関係でもある公爵邸に滞在していることは把握していた。
加えて招待客のことはその連れ人に至っても目を通している。
「報せは聞いているからね」
「そうでしたか。殿下は今日もお忙しそうですね」
「そんなことないよ」
「先程から一人で公務をこなされておいででは?」
「兄上は婚約者の世話に忙しいからね」
「ふふ、マリアンナ嬢ですか。噂はかねてから伺っております」
「どんな噂かは聞かないでおこうか」
「それはそうと殿下も婚約者を作られては? 少しでも公務の負担が減りますよ」
冗談めかして聞く彼女に、リオンもまた冗談で返した。
「私に嫁ぎたい令嬢なんて居ないだろう」
「何を仰いますか。いつも殿下を遠目から眺める令嬢が何人いるとお思いで?」
「観賞用ってことかな」
「自分で言わないでください」
アルティナは楽しそうに笑った。
「令嬢に人気といえば、今日はミラー公子がパートナーをお連れでした。あのご令嬢、可愛らしい方ですね」
アルティナの視線の先にはミレイナがいて、リオンは自然に頷く。
「そうだね」
「殿下が令嬢を褒めるなんて珍しいこともあるのですね。それにしても、ミラー公子にあのような婚約者がいらっしゃるとは知りませんでした」
「婚約者ではないよ」
思わず即答していた。その事実だけは、誰にも誤解されたくなかった。
あまりにも早かったのか、アルティナが小さく目を瞬かせる。
「幼い頃から家同士の付き合いがあるだけだ」
「……そうでしたの。でも、とてもお似合いでしたわ」
「そう見えた?」
穏やかな声で答えたけれど、お似合いの一言だけで胸が重くなる。
ルイス・ミラー。侯爵家嫡男であり、将来を嘱望される若き貴公子。容姿、家格、才能、そのどれを取っても申し分なく、社交界では理想の結婚相手とまで言われている男だ。
もしミレイナがルイスを選んだら……。その先を考える前に、リオンは静かに目を閉じた。
(考えることすらしたくない……)
「殿下?」
アルティナの声に我に返る。会話が全く耳に入っていなかった。
「……申し訳ない」
「殿下、あそこでゼイン王子が私を探しているようですので、失礼しますわ」
「ゼイン王子によろしくね」
彼女を見送りながら、何気なくその先へ視線を向けると、ルイスと並ぶミレイナの姿が見えた。
だが、彼女の表情は先程の自然な笑みは消え、どこか無理をしているような笑顔を浮かべている。
ルイスも気付いたのだろう。何か声を掛けると、二人はそのまま人混みを避けるように庭園へ向かって歩き始めた。
リオンもすぐに一歩だけ踏み出したが、追い掛けようとして――止まった。
(……駄目だね)
今ここで自分が追い掛ければ、目立ちすぎる。そうすれば困るのは彼女だ。
やがてリオンは、戻ってきていたクリステールを振り返る。
その笑みはいつもの穏やかなものだったけれど、長年の付き合いがあるクリステールは嫌な予感がした。
「クリス」
「……はい」
「少しだけ協力してくれるかな?」
「嫌な予感しかしません」
「そんなことないよ」
リオンはそう言うと穏やかに笑うけれど、その目はちっとも笑っていなかった。
「はぁ……ルイス殿が気の毒です……」
独り言のように呟いて小さく息を吐くクリステールにリオンは圧をかけるように更に笑みを深めた。
「何か言った?」
「いいえ、何も無いですよ」
リオンはそんな側近の反応を気にも留めず、庭園の方へもう一度視線を向ける。
(私をこんな気持ちにさせたんだから、少しくらい責任取ってもらわないと……ね)
その笑みが、主の今夜一番楽しそうな笑顔だとクリステールは思った。




