2-9.エスコート
数日後、私は日常に戻っていた。とは言っても、ことある事にあの茶会のことを思い出しては口元を緩めている。
殿下との手紙はあれからも続いていて、穏やかだけど温かくて胸が踊る毎日を送っていた。
その日の授業は、予定より少し早く終わった。
「では、本日はここまでにしましょう」
私が本を閉じると、目の前に座る生徒のガーネットはどこか落ち着かない様子で何度もこちらを見ている。
「ガーネット、何かありましたか?」
「その……先生」
いつもは思ったことをすぐ口にする子なのに、珍しく歯切れが悪い。だけど、彼女は意を決したように背筋を伸ばした。
「お願いがあるんです!」
「お願い?」
「はい! 来月の王室主催の春季祝賀会に、一緒に来ていただけませんか?」
「え?」
春季祝賀会とは王室主催の大規模な催しで、貴族だけではなく功績を残した平民や商人達も招待される華やかな夜会だ。
「父と母に同行するのですが、会場では商談などに忙しくなりそうで。だけど私、まだこういう大きな夜会は慣れていなくて……」
なるほど。確かにまだ十四歳の彼女には心細いかもしれない。
「もちろん、先生のお仕事としてお願いしたいんです! 報酬もきちんとお支払いします!」
私自身も夜会はあまり得意ではない。だけど、ガーネットの必死な様子に思わず承諾してしまっていた。
「分かりました」
「本当ですか!?」
「ええ。お役に立てるのでしたら」
その瞬間、ガーネットの顔がぱっと明るくなり、元気よく頭を下げる姿に、私も自然と頬が緩んだ。
だが、その数秒後に私は大切なことを思い出す。
この国ではデビュタントを終えた女性が夜会に出席する場合、未婚であっても基本的には男性の同伴者、つまりエスコートが必要となるのだ。
もちろん父親や兄弟などの親戚でも構わない。だけど、父は今、領地の運営が慌ただしいようで夜会のエスコートをお願いできるような様子ではない。かといって、他に親しい男性など――
「先生?」
思い悩む私に、ガーネットは心配そうな眼差しを送る。
「いえ、何でもありませんよ」
そう誤魔化そうとしたちょうどその時、ノックの音が響いて扉が開く。
「入ってもいい?」
振り返ると、開いた扉の向こうにルイが立っていた。
どうやら侯爵家の用事で来ていたらしい。
「ルイス様!」
ガーネットがニコニコと駆け寄った。
「授業はもう終わった?」
「はい! 今度の王宮主催の夜会で先生に同行をお願いしていたんです」
ガーネットから事情を聞き終えたルイは、私の方を見て、私がなにかに悩んでいることに気付いたようだ。
「もしかして、エスコート役になやんでる?」
彼には全てお見通しのようだ。何だか悔しかったけど、私は小さく息を吐いて頷いた。
「……それなら俺が行こうか?」
「え?」
「ちょうどその夜会、俺も出席予定だし」
ルイはまるで今日の天気の話でもするみたいにサラリと言う。
「いや、でも……」
エスコート役は親しければ誰でもいいという訳ではない。未婚の女性は基本的には家族にお願いするのが通例で、恋人や婚約者がいる場合にはその相手にお願いする。
つまり、結婚適齢期の男女がペアを組むとなると、それなりに周りにはそういう目で見られることになる。
ルイは幼なじみとは言え、侯爵家の令息。私が相手だと迷惑になるかもしれない。
「別に変な意味じゃないよ」
私の意図を察したのか、ルイは苦笑しながら肩を竦めた。
「幼馴染なんだから遠慮するなよ」
そう言うルイはいつも通りだった。だから余計に断りづらい。
「だけど、迷惑じゃ……」
「迷惑?」
ルイは少しだけ目を丸くした後、フッと笑う。
「一人で参加する方がよほど退屈だよ。
それに、ミレイナを一人で夜会に放り込んだら、母さんにも怒られそうだし」
ルイのお母様こと侯爵夫人にも幼い頃からお世話になっていて、娘の居ない夫人は私のことを我が子のように可愛がってくれている。
幼い頃に、ルイが私にイタズラしたりするとよく怒られていた姿を思い出して思わず笑ってしまう。
「確かに……そうかも。だけど、周りに誤解されない?」
「誤解されて困る相手でもいるのか?」
その何気ない一言に、思わず鼓動が跳ねた。脳裏に浮かんだのは、白銀の髪と紫の瞳。
(……殿下)
自分でも驚くほど自然に思い浮かんだことに、慌てて頭を振る。
(違う、違う。何を考えているの……)
だだけど、もし殿下にルイのことを婚約者候補だと思われたら……。そう考えた途端、胸の奥がちくりと痛んだ。
(……でも)
殿下はきっと、そんなこと気にも留めない。そう思うと、胸の痛みは少しだけ深くなった。
「いないなら決まりだな。周りのことは気にするな」
「はい! 決まりですね!」
二人が勝手に話を進めていく。どこか楽しそうだった。
「これで安心です!」
「まだ了承したわけじゃないわよ」
私が慌てて言うと、ガーネットは「えぇー」と分かりやすく肩を落とす。
「先生、一緒に来てください。私、本当に心細いんです」
その真っ直ぐなお願いに、胸が痛む。
「……分かりました」
「本当ですか!」
ガーネットは花が咲くように笑う。
その様子を見たルイも安心したように頷いた。
「じゃあ、当日は俺が迎えに行くよ」
「えっ、そこまでは……」
「どうせ途中まで同じ道だし。それに帰りも一人で帰す方が心配だろ?」
「……ありがとう」
「礼ならガーネットに言ってくれ。俺は巻き込まれただけだから」
「ルイス様、自分から名乗り出たじゃないですか!」
「そうだったっけ?」
「でも、ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げるガーネットを見て、ルイは照れくさそうに頭をかいた。
「はいはい。当日はちゃんと二人ともエスコートしますよ」
その一言に、部屋の空気がふっと和らぐ。
やがてガーネットは思い出したように机の上の教材を抱えた。
「あっ! 今日はこの後、父の手伝い約束でした!」
慌ただしく荷物をまとめると、私へ向き直る。
「先生、本日はありがとうございました!」
「こちらこそ」
「では、ルイス様! 先生をよろしくお願いします!」
「任せとけ」
元気いっぱいに頭を下げたガーネットは、そのまま廊下へ駆けて行った。
部屋には私とルイだけが残る。静かになった室内で、ルイは苦笑しながら窓の外へ目を向けた。
「相変わらず断れないな、お前」
「……え?」
「その性格、いつか利用されるぞ」
「ガーネットはそんな子じゃないわ」
「ガーネットはな。でも、お前は誰にでもそう言うだろう」
「そんなこと……」
「だから心配なんだけど……とにかく頑張りすぎるなよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
そう言ってルイは軽く手を振る。
「じゃ、またな」
「うん。また」
私はルイを見送ったあと、一人になった部屋で小さく息を吐く。
(祝賀会か……)
回帰前はアレン殿下の隣に立つことに必死すぎて、記憶があまりない。
久しぶり大きな夜会に参加するのは不安もあるけれど、気兼ねない相手と参加できることに純粋な楽しみもあった。
けれど胸の奥では、それとは別の理由で鼓動が早くなる。
(……殿下も、いらっしゃるのよね)
殿下と会えるかもしれないと、そう思っただけで、自然と頬が熱くなる。
あの日のお茶会以来、手紙は続いているけれど、次に会う予定なんてもちろんなかった。
きっと王室主催だから、殿下は忙しくされているだろうけれど……それでも、もし会えたら嬉しいし、姿だけでも見たかった。
「会えるといいなぁ」
思わず零れた声に、私はまた頬を赤く染める。
手紙を読むだけでも嬉しかったはずなのに、今度は会いたいだなんて……。どんどん欲張りになっていく自分が少し怖くも感じた。




