2-3.回想
side リオン
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
指先に残る温もりが、どうしても消えてくれない。
細い手首、柔らかな髪、困ったように揺れるブルーグレーの綺麗な瞳。
ほんの少し触れただけなのに、胸の奥が痛むほど愛おしかった。
(もう、失いたくない……)
それは願いというより、もはや祈りに近かった。
十年前も同じだった。大切で、誰よりも愛おしくて、守りたかったのに守れなかった人。
あの日からずっと、その後悔だけが胸の奥に残り続けている。
きっと誰にもこの気持ちを理解できないだろう。文通でも舞踏会でもない。もっとずっと昔から、彼女はリオンの世界の全てだった。
だから今度こそもう失いたくない。そう思うたびに、記憶は否が応でも過去へと引き戻される。
全ての始まりだった、あの日へ。
リオンの母は王宮勤めの使用人だった。母はとても美しい人で、その美貌が仇となり当時の王太子(現国王)に夜這いされた。
妊娠に気付いた母は、身を守る為に王宮から逃げた。だが、旅の途中で無理が祟ったのか、お腹が張って動けなくなってしまったそうだ。その場所がフェリエール伯爵領だった。
その土地の人間は皆優しく、身重な母を村の人たちが交代で面倒を見てくれたらしい。
だが、運命とは残酷なもので、産まれた子は銀髪に紫眼の初代国王の容姿を受け継いだ子だった。
このことは自分たちだけで扱うことは出来ないと考えた村人達は、領主であるフェリエール伯爵(前当主)に相談に行ったそうだ。
先代伯爵は、その件に箝口令を敷き、母を雇入れ、リオンを伯爵邸で秘密裏に育てた。黒い鬘を被らせ、女の子"リオ"として。
それからリオンは部屋から一歩も外に出ることなく育った。母が伯爵邸で働くようになってからは、リオンは部屋で一人で過ごした。
当時は自分の生い立ちなんて深く知る由もなく、寂しくてもこれが当たり前だと思って過ごしていた。
だけどある日、ひどい熱が出た。身体中が熱くて怠くて、しんどくて、母に会いたくて屋敷の方に行ってしまったのだ。
その時、彼女に会った。
『あなた、すごく綺麗ね! お人形さんみたい!』
初めて誰かに目を真っ直ぐに見て話して貰えた。
母はリオンを大切に育ててくれた。だけど、いつも自分の目を見て話してはくれなかった。
だから、真っ直ぐに目を見て話してくれる女の子に凄くドキドキしたのを今でも覚えている。
彼女はリオンに熱があることに気付くと、すぐに自分の部屋に連れて行って看病してくれた。
しっかりと絞られていない布はビショビショだったけど、冷んやりとして気持ちよくて。
口に次々と突っ込まれたすりおろしリンゴは口の周りを汚したけど美味しくて。
ベッドで一緒に眠ると、彼女の手や足が飛んできたけど、それでも誰かと一緒に居れることがとても温かかった。
翌朝、誰も部屋に入らないでと言い張るミレイナを不思議に思った彼女の母がこっそり部屋に来て、リオンの存在が露見した時も、彼女は一生懸命に小さな背中でリオンを守ってくれた。
幼い自分は、何も返せず、ただ俯いてその場で身を隠すことしかできなかった。
それでも、胸の奥が温かったことだけはずっと覚えている。
その日から、ミレイナはリオンの小さな世界の全部だった。
彼女の母は、リオンの母を自身の侍女として受け入れ、彼女が働く間にミレイナとリオンを遊ばせてくれた。
そして、将来、リオンが一人でも生きていけるようにとミレイナと共に教育まで受けさせてくれた。
リオンにとって、ミレイナと過ごす毎日はキラキラとし過ぎていて、毎日が楽しくて温かくて仕方がなかった。
泥だらけになって遊んだり、鳥の鳴き声を真似して笑ったり、庭園を走り回って花冠を作ったり、一緒に厨房のデザートをつまみ食いしたこともあった。
日が暮れて、部屋に戻らなくてはいけないのが寂しくて、二人でベッドの中に隠れたりもした。
リオンの誕生日にはミレイナがサプライズでお祝いしてくれた。自分が生まれたことを誰かに祝われたのは初めてだった。
そんな日々の中で、リオンがミレイナに恋をしないはずもなかった。
いつになったら、この黒い鬘を取って、彼女の前で男として振る舞うことが許されるのだろうかと思い悩むようになった。
だけど、そんな幸せは長く続かなかった。
ある日、リオンとミレイナはこっそり伯爵邸の敷地内から出て、ラベンダー畑の方へと向かった。
だが、タイミング悪く、辺境に視察に向かう王弟の一行が通りかかり、リオンの紫の瞳を見た家臣たちがざわめいた。
「紫眼……ウィステリアに祝福されし神子だ!」
追いかけてきた兵たちを見たミレイナはリオンの手を引いて必死に走った。
だけど、子どもの足では訓練された兵を巻けるはずもなく、兵が押し寄せてきた。
「リオ、逃げて!」
彼女は手を離して僕の背中を押すと、自分だけがその場に立ち塞がった。
「で、でも……」
「私はこれでも伯爵令嬢だから、大丈夫よ!」
「わ、わかった……」
走り出したその時、
「どけ!」
怒号と共にドサッと倒れる鈍い音が響く。
振り返ると、切りつけられたミレイナが地面に倒れて動かなかった。
「ミーナ!」
胃の底が抜けるような恐怖が押し寄せた。急いで彼女のもとに駆けつけて、彼女の名前を何度も呼ぶ。
「ミーナ! 起きて!お願い!」
だけど、彼女は目を閉じたままで、切りつけられた腕から流れる鮮やかな赤に血の気が引くのを感じた。
「どうする? 今、医者に見せれば助かる。
君が私に着いて来るのなら、その子を優秀な医者に見せてやろう」
王弟の言葉に逆らう選択肢なんてなかった。
「わかった! 何でもするから!
だから、ミーナを助けて!」
リオンは泣きながら王弟に縋った。
あの時の無力感、血の匂いは今でも鮮明に思い出せる。
大切で、大事で仕方がない人が目の前で傷つけられたのに、自分は何も出来なかった。
(僕の存在が……彼女を危険に晒したんだ……)
自責の念に駆られたリオンは、誓った。
もう二度と、彼女の前には戻らないと。
そして、これ以上誰かを巻き込まないために、フェリエール伯爵領から離れて王宮に行くことを自ら決めた。




