1-12.新しい人生
顔を上げる。
そこに立っていたのは、黒髪に金色の瞳を持つ、長身の青年だった。
よく鍛えられた身体に、腰には儀礼用の剣。立っているだけで軍人らしい隙のなさを感じさせる。
けれど――口元には、昔と変わらない人懐っこい笑みが浮かんでいた。
「ルイ? 来てたんだ……」
彼はルイス・ミラー。
王国唯一の侯爵家であるミラー侯爵家の嫡男で、私より二歳年上の幼馴染だ。
北方の国境を守る軍事家門と、隣接するフェリエール伯爵家。
母親同士が親しかったこともあり、私たちは幼い頃から家族同然に育ってきた。
私にとっては、兄のような存在だった。
「王都に来たついでに、久しぶりに顔を見に来たんだけど……なんだよ、その顔」
ルイが私の顔を覗き込む。
「雨に打たれた子猫みたいだぞ?」
そう言って笑う姿に、思わず頬が緩んだ。
(……久しぶりだな。この感じ)
回帰前。
私がアレン殿下の婚約者に選ばれてからは、他の男性と私的に会うことを禁じられた。
幼馴染であるルイとも、自由に話すことはできなくなった。
それでも夜会などで顔を合わせれば、彼はアレン殿下の視線など気にせず、昔と変わらない態度で声をかけてくれた。
何度、彼の優しさに救われただろう。
「……ちょっと、家のことでね」
私が小さく息を吐くと、ルイはそれ以上聞かず、向かいの椅子に腰を下ろした。
「噂で聞いた。マリアンナが、だいぶ無理してるらしいな」
「……もう噂になってるんだ」
「王都じゃ、そういう話はすぐ広まるからな」
「私も、何とかしないとって思ってるの」
「何とかって?」
「家庭教師をしてみようかと思って」
からかわれるかと思った。
けれどルイは笑わなかった。
むしろ心配そうに眉を寄せ、私を見つめる。
「……ミレイナ。無理してないか?」
「え?」
「家を助けたいからって、自分を追い詰めて働くのは――」
「大丈夫」
私は首を振った。
「これは、私が自分で見つけた“できること”だから」
回帰前の私は、誰かに決められた道を歩くことしかできなかった。
だからこそ今は、自分の意思で何かを選んでみたい。
ルイはしばらく私の顔を見つめていたが、やがてふっと表情を緩めた。
「……分かった」
そして、少し考えるように顎へ手を当てる。
「確か、知り合いの商家が家庭教師を探してたはずだ。紹介しようか?」
「本当に?」
「ミレイナなら信用できるしな」
思わず目を見開く。
そんな私を見て、ルイはいつもの少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「遠慮するなよ。困ったときはお互い様だろ?」
「……ありがとう、ルイ」
「ほら、そんな顔するなって」
照れ隠しのように笑いながら、ルイが私の髪をぽんと撫でた。
***
それから一週間後。
ルイの紹介で、早速家庭教師の仕事が始まった。
最初の生徒は、王都でも名の知れた宝石商の娘。
次に紹介されたのは、爵位を得て間もない新興男爵家の息子だった。
王都の古い貴族たちが家庭教師を選ぶなら、親戚筋や、家同士の繋がりを深められる名家の令嬢を選ぶのが一般的だ。
田舎の伯爵家の娘である私が、最初から候補に入ることはない。
けれど――世の中には、私を必要としてくれる場所もあった。
新しく爵位を得たばかりで縁故の少ない家。
あるいは、財を築いた裕福な商家。
そんな家にとっては、田舎の伯爵令嬢という肩書きも十分な信用になる。
まして、ミラー侯爵家からの紹介ともなればなおさらだった。
そして何より。
私には、前世で叩き込まれた教養がある。
王子妃になるために学んだ礼儀作法も、社交術も、語学も。
あの頃は辛いだけだったものが、今は自分を助ける力になっている。
「ここは、こうすると綺麗に見えますよ」
「本当だ!」
生徒が嬉しそうに笑う。
その顔を見ると、私まで嬉しくなった。
教えたことが身についた時。
昨日までできなかったことができるようになった時。
「ありがとうございました!」
そう言って笑ってもらえた時。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
――楽しい。
こんなふうに思える仕事があるなんて、前世の私は知らなかった。
(……楽しい)
誰かに決められた道ではなく、自分で選んだ道。
自分の力で家族を助けられることが、嬉しかった。
(これも、ルイのおかげだな)
初めてのお給料を受け取った日。
家に入れる分を差し引いた残りを握りしめ、私は王都の大通りへ向かった。
何か、お礼をしたかった。
何軒か店を覗いていると、小さな宝飾店のショーケースに目が留まる。
そこに並んでいたのは、銀色のカフスだった。
中央には、小さな金色の石が嵌め込まれている。
(……ルイの瞳みたい)
そう思ってしまえば、もう決まりだった。
「これ、ください」
初めて自分の力で稼いだお金で買う、初めての贈り物。
私は小さな箱を大切に抱えた。
***
翌日。
私はミラー侯爵邸を訪れていた。
「珍しいな。お前から訪ねてくるなんて」
「今日は、お礼がしたくて」
私は小箱を差し出した。
「仕事を紹介してくれて、ありがとう」
「……律儀だな」
ルイは少し驚いた顔で箱を受け取り、蓋を開ける。
「……カフス?」
「うん。初めてのお給料で買ったの。ルイに似合うと思って」
「……お前、これ……」
ルイはしばらくカフスを見つめていた。
やがて、ふっと笑う。
「……大事にする。ありがとうな」
「ふふ。よかった」
ルイは袖口にカフスを留めると、満足そうに腕を掲げた。
「どう?」
「うん。似合ってる」
「そっか」
ルイは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これは大切に使うよ」
私は頷いた。
それから少しだけ話をして、侯爵邸を後にする。
仕事を紹介してくれたこと。
困っていた私を助けてくれたこと。
そのお礼ができたことが、ただ嬉しかった。




