『幕間』文化祭の後日談~白金のメッセージ1~
後野茉理は個性的な名前を持つ、ごく普通の中学生だ。
しかし平凡な彼女にも、ただ一つだけ普通とは違う事があった。
彼女の通う中学校は、魔法使いの学校だったのである。
11月後半の週となり、木枯らしが身に染みる冬。
つい先週、茉理の通う私立クリスティ学園中等部は、文化祭を終えた。
魔法絡みの非日常的文化祭を終えた今、差し迫る二学期最後の期末テストに向けて、校内はひきしまった学生らしい雰囲気となっている。
(寒くなってきたな)
モスグリーンのコートを前でかきあわせ、茉理は口から白い息を吐く。
今日の授業は終わり、彼女は校門横の桜の木の下に立ち、想い人を待っていた。
生徒会長 伊集院帝。
茉理の彼氏であり、由緒ある魔法使いクリスティ一族の次期総帥でもある。
毎日放課後、ここで待ち合わせて一緒に帰るのが当たり前になって数ヶ月。
「待たせたな」
一瞬で彼女の目の前に現れた彼を見ても、茉理は動じず大丈夫ですよと応じる。
本当なら驚くのだろうが、魔法による瞬間移動や様々な不思議現象を一学期から目の当たりにしていたため、突然人が出でこようが、目の前から消えようが、もはやすべては『ああ、魔法ね』で片付けられるぐらいのレベルに彼女の思考は達していた。
いつもならさっさと歩き出すのだが、帝はそのまま茉理の方を向く。
「おい、今から時間はあるか。直樹が病院に寄って欲しいそうなんだが」
茉理はうなずいた。
「はい。わたしも気になっていました」
行きましょう、と答えると、帝は一瞬目を遠くへ向ける。
自宅で待機している運転手に、思念会話を送ったのだろう。
ほどなく黒い高級車が、校門の前に走ってきた。
「乗れ」
そう言うと、運転手が開けた後部座席を彼女に示す。
快適な温かい車内に二人が乗り込むと、車はゆっくりと発車した。
XX市の郊外にある森崎総合病院。
一見普通の総合病院なのだが、他とは違う事が一つだけあった。
病院の院長及び職員すべてが魔法使いだったのである。
魔法使いも対応OK,そして魔法による治療も行うこの病院は、日本全国でも数少ない魔術師専用医療機関であった。
大きな正門の前に、高級車は停車する。
「いってらっしゃいませ」
運転手が後部座席のドアをまた開けてくれ、降りた二人にうやうやしく礼をした。
(毎回思うけど、本当に慣れないよね。この対応)
帝の家は日本有数の財閥で、当然富豪である。
そのため一般庶民の茉理は、彼の使用人たちの態度を見ると、どうにも居心地が悪くてしょうがなかった。
(本当はわたし、こうやって礼をされる方じゃないんだけどな)
むしろ礼をしないといけない側なのだが、帝の横にいる限りそんな風には扱われない。
(まあ、でもあと数ヶ月の事だしね)
茉理はここまで運転してくれた運転手にぺこりとお辞儀をし、先に歩き出した帝の背を追って病院に入った。
中に入ると広いエントランス、すぐ横には受け付け兼会計などの机とたくさんの椅子が並んでいる。
どこも清潔に掃除され、病院らしい消毒薬の匂いがした。
エントランスから無数に伸びる廊下があり、それぞれ科の違う診察室や検査室に続いている。
「こっちだ」
帝は、迷うことなく左の廊下をすいすいと歩いていった。
彼が通ると、魔法使いだろうと思われる患者や医療関係者の人たちが必ず道を譲って礼をする。
それにかまうことなく彼は、どんどん先へと進んだ。
茉理は無視できなくて、ついつい小さく返礼を返しながらついていくので、必然的に足取りが遅くなる。
奥へ進むと少し開けた待合室のような小さな空間があり、帝はあきれた顔で茉理を待っていた。
「お前な、いちいち反応するな。ただ俺だけ見てついてこい」
どうしてそんなに遅いんだ、と言われ、茉理はぶすっと顔を歪ませる。
「帝先輩こそ、どうしてそんなに無視して通るんですか。せめて挨拶されたらちょっと笑顔を見せるぐらいすればいいのに」
「連中は、別に俺自身に対して敬意をはらって頭を下げてるわけじゃない。ただ俺の肩書きに対して礼儀上やってるだけだ。そんなのにいちいち反応する必要はない」
帝はそう言うと、待合室の椅子にどさっと腰掛けた。
足を組み、いかにもえらそうに座る彼の態度は、まるでここがどこかの王城でもあるかのようだ。
何を言っても無駄だと感じ、茉理はため息をついて彼の横におとなしく座る。
待つこと数分、黒い眼鏡をかけた長身の直樹が姿を現した。
「やあ、待たせたな」
二人の向かいにある椅子に、彼は腰を下ろす。
その後ろから看護師の制服を着た女性が立っていて、紙コップに入ったジュースを帝と茉理に出した。
「ちゃんとしたカップじゃなくて悪いな。ここは病院だから紙コップぐらいしかなくてな」
院長室に行けばティーセットがあるが面倒だ、と直樹は言って、二人に飲み物を勧めた。
「これは俺の自家製じゃない。市販のオレンジジュースだ」
「いただきます」
その言葉にほっとして、茉理は紙コップに口をつける。
さっきまで渡されたはいいが、飲もうかどうしようか正直迷っていたのだ。
(直樹先輩の自家製だったら絶対遠慮しないと)
目の前の眼鏡男は、無類の研究好きでもある。
怪しい効果のある魔法薬や飲料を開発しては身近な人間に飲ませてしまうことがあり、生徒会メンバーや茉理はもとより、全校生徒までもその効果の犠牲になったりしたため、彼の出してくる物はどんなに美味しそうでも警戒してしまうのだ。
少し薄めのオレンジジュースを帝は顔をしかめて飲み干すと、くしゃっと紙コップを握りつぶす。
「本題に入れ。俺達を呼んだ理由は何だ」
「例の患者たちの治療成果を確認するためだ」
直樹は黒眼鏡をきらりと光らせる。
「お前達には――いや、後野さんには酷な話で申し訳ないが、例のミニチュア街の住人たちに会ってもらいたい」
「治療効果というと、記憶の事か」
「そうだ」
直樹はふうっと軽く息を吐いた。
茉理は二人の会話についていけず、目を白黒させてしまう。
直樹は彼女の方を見て、淡々と説明した。
「実はな、例の患者たちなんだが、上と話し合った結果、お咎めなしとするかわりに記憶の操作をすることにしたんだ」
「記憶の操作ですか」
「早い話が今回の件において俺達クリスティ本家と分家、そして君が関わったという記憶を一切消去させてもらった。彼らは帝が街を壊した事も、君と英司、昇が街に来たことも何一つ覚えていない。発案者にして街のメイン魔方陣を動かしていた学級委員の狭間弘一、彼が死んだことによって自動的に魔法が解除され、こちらの世界に戻ってきたと認識している」
「そういうことですか」
納得して、茉理はうなずいた。
確かにあの記憶を覚えていたら心の中でトラウマになって、これからの日常生活に支障が出るかもしれない。
「英司や昇にも面会してもらったが、何一つ覚えてはいなかった。しかし二人はそれほど街の住人と接触したわけではないからな。知らない者がいても不思議ではない。だが帝、お前は違う」
黒眼鏡のフレームをくいっと指で上げて、直樹は帝を見た。
「住人たちに堂々と空中から名乗りをあげ、街を破壊し、彼らに断罪の言葉をかけた。そんなお前の記憶が完全消去されてこそ、この記憶操作は完璧なものとなる」
「つまりこれから奴らに会って、俺自身を覚えているかどうかを試すんだな」
「そういうことだ。それから後野さん、君は例の遠野洋子さん、彼女と会って、記憶が消去されているのかを確認してもらいたい」
「洋子さんとですか」
茉理は顔を曇らせる。
街で会った遠野洋子という女性とは個人的に色々あったため、正直彼女から自分の記憶が消えているというのは衝撃だ。
でもこれから現実の世界で彼女が生きていくためには、自分との記憶はない方がいいかもしれない。
(寂しいけどしょうがないよね。あ……でも)
茉理はある事を思い出した。
自分が最初に街に入っていった時の、人々の反応。
すぐ別行動した英司は気付いていなかったが、記憶がないということは、またあの反応になるということだ。
(それはちょっとまずいかも。特に)
ちらりと横の帝を見る。
彼にだけは知られたくなかった。
――彼の祖父と自分の祖母が、昔どういう関係にあったのかを。
(どうしよう。あ、そうだ)
茉理は顔を上げ、目の前の直樹にこっそり思念を送る。
『すみません、先輩。一つお願いがあるんですけど』
突然思念を送られて直樹は怪訝そうな顔になるが、彼女の思惑を察し、帝の前なので平静を装った。
『何だ。帝には知られたくないことか』
『はい。その、みなさんに会うときに、帝先輩とわたし、別々に面会してもいいでしょうか。一緒はちょっと……』
『何かまずいことでもあるのか』
『はい』
茉理は必死に帝に知られないように、顔を少しだけうつむける。
『実は街に最初に入った時、住民のみなさんに凄い反応されました。その、後野藤子だと勘違いされたんです』
直樹は無言になった。
これは彼にとっても想定外の事だったようで、眼鏡で隠されてよくわからなかったが、その瞳はどうすべきか迷ってしまう。
――後野藤子。
クリスティ一族の過去歴代の記録を保持する第三の分家代表である直樹は、当然過去に何があったのかを知っていた。
その名の持ち主が誰で、クリスティ一族総帥にして帝の祖父伊集院雷導と過去に何があったのかを。
『あんまり帝先輩に知られたくないんです。後野藤子ってわたしのおばあちゃんで、街の人の話では帝先輩のおじいさんである雷導様にひどく虐められていたって聞きました。もしわたしが帝先輩と一緒にその人たちと会ったら、わたしたちの記憶のないみなさんは驚くと思います。どうして虐められていた後野藤子が、クリスティ本家の帝先輩と一緒にいるのかって』
『……』
『そんな反応を見たら、帝先輩は知ってしまいます。そして気にすると思います。昔、自分のおじいさんがわたしのおばあちゃんを虐めていたってわかったら、きっとすごく傷つくんじゃないでしょうか』
(表のA君ではなく、裏のB君が、だけど)
心の中でそうつぶやきながら、茉理はそっと直樹の反応をうかがった。
しばらくして小さなため息と共に、了解した、という返事が思念で返ってくる。
茉理は今までの沈黙を帝にごまかさなきゃと考え、わざと話題を振った。
「遠野洋子さんは街でわたしにとても親切にしてくれたんですけど、これからどうなるんでしょうか」
「心配ない。彼女は遠野家がきちんと生活の面倒をみる。先日斎とも顔合わせを済ませたよ」
直樹は茉理の意図を悟り、すぐに答える。
「会えばわかるが、彼女はもう退院出来るほどに回復している。母親の墓参りも行くそうだ」
「そうですか」
「遠野家の側にマンションがあって、そこの一室をすでに彼女の名で購入した。老いたとはいえまだ体はしっかりしている。しばらくは遠野家で過ごしてから、大丈夫そうならそちらで一人暮らしとなるだろう。ちゃんと生活をサポートする家政婦をつけると言っていたし、問題ない」
「それなら良かったです」
「あと彼女は珍しい能力を持っていてな。遠野家では、そちらの方でもいろいろ仕事を頼みたいと言っていた」
「ああ。プラチナの」
茉理の言葉に、帝が反応した。
「何だ、珍しい能力とは」
「遠野家は土系の魔法に秀でている。彼女はその中でも特殊な存在でな。鉱物を扱うのに長けている第五の分家の中でも非常に稀な魔法を使える。自ら白金を生成可能なんだ」
「そんなことが可能なのか」
「代々土や鉱石、鉱物なんかを加工、魔法付与したりすることに長けている土系の魔法の中でも極めて珍しい。しかも自分で生成した鉱物に望んだ魔法効果を付与することが出来る。魔道具作りの専門家だ」
「それはすごいな」
「街の中でも素敵なお店を開いていました。プラチナのアクセサリーを作っていて、買いに来た人の望む魔法効果をアクセサリーにつけていたんです」
茉理の言葉に、帝はなるほどとうなずく。
「現実世界でも、ジュエリーデザイナーとしてやっていけるさ。最近はSNSや動画、ネットなどでいくらでも自分のデザインした物を宣伝したり販売したり出来るしな」
「お仕事に困らなさそうですね、良かったです」
茉理はほっと表情を緩めた。
そんな彼女の安心した顔を見て、直樹はでは、と立ち上がる。
「まずは帝、お前からだ。後野さんはここで待っていてくれ」
「おい、俺だけか。茉理は」
言いかけた帝の言葉を、直樹は有無を言わさぬ口調でぶち切った。
「一人ずつの方が反応を見やすい。それにお前は全員に面会してもらうが、彼女は遠野洋子一人だけに会えば十分だ」
そう言って直樹は帝の腕をつかむと、茉理に背を向け応接室を出て行く。
一人になった彼女の所に、また看護師のお姉さんがやってきて、今度は炭酸飲料とお菓子をくれた。
多分直樹の配慮だろうと、ありがたくいただきながら窓の外を見る。
ここは病院のはずれらしい。
従業員用の駐車場があり、いろんな車種が並んでいる。
それをぼんやり眺めながら、茉理は先ほどちょっと話題にした祖母藤子の事を思った。
(おばあちゃん、洋子さんの事を話しても会う気にならなそうだったな)
文化祭前、藤子から60年前の文化祭で友達が行方不明になったと聞いていたが、まさか自分がその友達に会うことになるとは思わなかった。
今でも心配そうにしていた祖母に、文化祭での顛末と無事に洋子が戻ってきて、今は森崎病院にいることを告げると、彼女はほっと頬を緩めてそれは良かったと一言だけつぶやいたのだ。
『会いに行く? おばあちゃん』
『いいや、いいよ。無事ならばそれでいいのさ』
それよりあんたも魔族の病院なんて行っちゃいけないよ、と凄い形相で詰め寄られ、茉理はおばあちゃんの魔法使い嫌いは相変わらずだなあと心の中で思う。
伊集院雷導に手ひどく虐められたのが、トラウマになっているのだろう。
(それもおばあちゃんにふられたからって、虐めの理由が男として最低よね)
茉理も一学期、些細な事で帝から魔法で嫌がらせをされたが、彼女になって収まったから良かったものの、学校生活ずっとあの状態が続いていたら、それこそ精神がぼろぼろに傷ついてしまったに違いない。
(魔法使いなんて嫌いになるのもわかるわ)
そんな事を考えながら待っていると、ほどなく直樹が一人で戻ってきた。
「帝先輩はどうしたんですか」
「あいつは今、雅人の相手をしているよ。君と帝を呼んだのがわかったらしい。どうしてこの僕を呼んでくれないんだ、寂しいじゃないかと言って押しかけてきやがった。あいつには何の用事もないのにな」
「雅人先輩らしいですね」
茉理はふふっと笑う。
「意外と一人だけはぶかれるの、嫌いで寂しがりやですよね、あの先輩」
「まったくこっちはいい迷惑だ。病院はあいつの好きな舞台やテーマパークじゃないっていうのに。君達を呼んだのも遊びで呼んだわけじゃないんだがな」
そう言うと、直樹はこっちだと茉理を案内して別棟に向かう。
本館よりもこじんまりした建物だが、必要なベッドが並び、大体が六人部屋になっていた。
4階まであり、最上階は個室が並んでいる。
その際奥にある扉を、直樹は静かにノックした。
「失礼します」
茉理も挨拶してその中に入る。
病院の一室とは思えないほど、中は豪華だった。
大きなベッドにはいかにも高級そうな寝具がかかり、机やソファや白木の棚、本棚に大型テレビ。
「特室だ」
目を丸くする茉理に、直樹がさりげなく教える。
「彼女は分家のご令嬢だからな。それ相応の部屋を用意した」
「そうですか」
ベッドの上には誰もおらず、ゆったりしたガウンを着た上品な老女が、ソファに腰掛けて編み物をしていた。
「あら、森崎の……直樹君、いらっしゃい」
彼女は顔を挙げ、軽く微笑んでから、横にいる茉理を見て驚く。
「あなたは……」
「こちらは後野茉理と言います。あなたは後野藤子さんをご存知ですね。その孫ですよ」
直樹はそう言って、茉理を紹介した。
「は、初めまして」
茉理は戸惑いながらも、頭を下げる。
本当はこれが初対面ではないのだが、初めて会ったことにしないといけない。
彼女の記憶から、あの時の事は消えているはずなのだから。
しばらく沈黙していたが、やがて洋子はふっと笑んだ。
「そうなの。初めまして、茉理さん。あなたのおばあさまとわたしは、ずっと昔に親友だったのよ。本当におばあさまのお若い頃にそっくりね」
座ってちょうだいと椅子を勧められ、茉理は向かい側の椅子に腰掛ける。
洋子はソファの間にある机に置かれたベルを鳴らした。
するとほどなく看護師ではなく、白い割烹着風のエプロンを来た女性が現れた。
「スズさん、お客様にお茶をお願い」
「かしこまりました」
女性はすぐに出て行くと、温かい紅茶と白いクリームとイチゴが載った美味しそうなショートケーキを持ってくる。
茉理と直樹の前にそれを出した。
「どうぞ、召し上がれ。ふふっ、こちらに戻ってきてから毎日美味しくてケーキばかり食べてるのよ」
太りそうだけどね、と洋子は笑う。
「何しろ60年前にはなかった美味しそうなケーキが沢山出ているんですもの。ショートケーキはあったけど、なんだったかしら。ああ、そう、ティラミス。あれはなかったわね」
「そうなんですね」
「あなたには当たり前なんでしょうけど、そんなにしゃれたケーキってなかったのよ。タルトもパイも色々種類が豊富で目移りしそう。ショートケーキとチョコケーキ、プリンとかが主流だった時代から、随分ケーキも進化したものね」
「そうですね。その頃に比べたら、色んなパティシエさんが研究して、沢山美味しいものが出ていると思います」
茉理は微笑ましい会話に、ほっとした。
洋子の手元をさりげなく見ると、青い毛糸を使ってマフラーを編んでいる。
彼女の目線に気付き、恥ずかしそうに老女は言った。
「これ? 手慰みに始めたのだけど、弟の孫に当たる斎君にね、贈ろうと思って」
クリスマスまでに仕上げるのが目標よ、とほがらかに彼女は笑う。
「良い色ですね。きっと彼に似合うと思います」
茉理はそう返した。
彼女は血色も良く、体調も悪くなさそうだ。
ひとまずは安心だと茉理は思う。
「あなたも斎君のことを知っているのね。そうね、その制服、同じクリスティ学園なんですものね」
そう言って、洋子はうなずいた。
「あの子、何度もお見舞いに来てくれて、すっかり仲良くなったけど、本当に良い子ね。呪いのせいで苦労も多いでしょうに」
「呪いの事、ご存知なんですか」
茉理の問いに、洋子はええと肯定する。
「見たらすぐわかったわ。強力な呪いの結界のようなもので覆われている体。なんとか抵抗しているようだけど、あの子の魔力が尽きたら抵抗力を失って、すぐ見えなくなってしまうなんてね」
まるで何かからあの子を守っているようね、というつぶやきに、直樹が反応した。
「守っている、ですか」
「呪いというのは、大体において悪しきものとみなされるでしょうけど、使いようによってはそうでなかったりするのよ。毒が良薬になるように、呪いや闇の魔法もまたしかりってところね」
「それはそうですね」
「きっと呪いをかけた人は、あの子のお母様を守りたかったのでしょうね。お母様の胎から生まれてくる子を、誰かの目から隠したかった。その子の魔力が尽きた時、誰の目にも見えなくなって、誰からも傷つけられることのないように」
「……」
直樹は言葉を失って絶句する。
しばらくして、やっと答えた。
「そんな風に考えたことはありませんでした。彼の母は本家出身――伊集院雷導様の娘なのです」
「まあ、そうだったの」
洋子が驚いたように声を上げる。
「なのでお若い頃、雷導様がらみで本家を恨む勢力か何かから、腹いせに呪われてしまったのではないかと思っていたんです。もちろん呪いをかけた張本人の名は公にされていません。静様――斎の母君は当然ご存知でしょうが、決してその名を明かすことはありませんでした」
「そうなのですね」
本家は昔から色々とある家ですものね、と洋子は寂しげに微笑む。
直樹から聞かされていたが、彼女から茉理の記憶はきれいに消えているようだ。
すっかり若かった頃の美貌は消えて、しわが良い具合に増えた上品な老婦人になっている。
(もうわたしとは関係のない人になってしまったんだ)
茉理は少し寂しく思いながら、出されたケーキとお茶を口にした。
直樹は茉理と洋子の反応を静かに見守っていたが、やがて立ち上がる。
「すみません、ちょっとはずします。すぐ戻りますので、どうぞ二人でご歓談ください」
そう言って、彼は部屋から出て行ってしまった。
(えーっ、この状況で二人きりにするわけ?)
茉理はどうしてよいかわからず、心の中で悲鳴を上げる。
下手に話して余計な事を口にしてしまってもいけないし、他に一体どんな話題で会話すれば良いというのだ。
彼女の戸惑いが顔に出ていたらしい。
洋子はくすくすと軽い笑い声を上げた。
「ごめんなさいね。あなたの表情がよく変わるから……見ていて飽きないわ」
「すみません、落ち着かない顔で」
茉理は恥ずかしくてうつむき、ぼそぼそと謝る。
「どうして? いいじゃないの。わたしは好きよ、あなたの可愛い顔が」
そう言って、洋子は楽しそうに手元の編み棒を動かした。
「茉理さん、良かったらあなたのおばあさまの事を教えてくれない? わたしが別れてから60年も経ったんですものね。そしてあなたのおじいさまのお話も聞きたいわ」
「え? おじいさんですか」
茉理は目を瞬かせる。
「ええ。孫のあなたが生まれているという事は、藤子は無事に結婚したということでしょ。わたし、恋バナが大好きなの。ねえ、おじいさまってどんな方だったの? あの藤子に選ばれるなんて、どんな人か興味があるわ」
茉理は答えに窮した。
実は祖父の事を、彼女はよく知らない。
物心ついたときにはもういなくて、祖母と父と母の四人暮らしだった。
その頃、すでに藤子は両親にボケ老人よばわりされていて、祖父の事を聞くこともなかった。
少し迷ってから、彼女は正直に答える。
「すみません、実はわたしもよく知らないんです」
「えっ」
洋子は編み棒を動かしていた手を止めて、真っ直ぐに茉理を見た。
「わたしが生まれるちょっと前からおばあちゃんは痴呆症と診断されました。おじいちゃんはその時にはもういませんでしたし。おばあちゃんとずっと一緒に暮らしてきましたが、そんな事を聞ける状態ではなくて」
「まあ、そうだったの」
洋子の顔が申し訳なさそうに歪む。
「それはそれは。事情を知らなかったとはいえ、失礼な事を聞いてしまったわね。ごめんなさい」
「そんな。大丈夫です」
茉理は笑みを見せた。
「ぼけてしまっていますが、おばあちゃんは元気ですよ。ここにお見舞いに来ることは出来ないんですけど、いつかきっと会えると思います」
「そうね」
洋子は、そっと編み物を脇に置いて微笑み返す。
「本当にそんな日が来るといいわね」
温かいぬくもりを感じる言葉、でもその奥に秘めた寂しい感情があることを茉理は何故か感じてしまった。
あの時――ミニチュア街で助けを待っても60年間誰も来なかった失望とあきらめを持っていた、あの時につぶやいていた言葉と同じニュアンスだ。
(ああ、このままじゃ駄目だ)
茉理は、また強くそう思う。
いつかではなく、必ず実現させたい。
今はまだはっきりと約束は出来ないけど。
(でもきっとおばあちゃんと洋子さんを会わせてあげよう、もう一度。必ず)
今この場で口にはしなかったけれど、茉理はそっと心の中で小さな誓いを立てるのだった。




