終章
山に囲まれた一角にある広大な敷地に建つ、伊集院家の別邸。
贅を凝らした屋敷の中で、激しい殴打の音が響いていた。
「この愚か者がっ。油断しおって」
手にした杖を高々とあげ、般若の面のような表情で、雷導は自分の足元にいる男を打ち据える。
能面のような顔の男は、ただ黙って床に跪き、主の所業に犯行することもなく、杖による制裁を受けていた。
杖が男の脳天にばしっと決まり、頭から赤い血が頬に幾筋も流れていく。
ひとしきり折檻すると、雷導は杖を床に投げ捨て、また車椅子にどさっと座った。
肩からは荒い息をし、もう若くない指先はまだ治まらない怒りのために震えている。
主の折檻が終わったのを感じ、男は静かに立ち上がった。
血まみれのまま、深く主に向かって頭を下げる。
そんな男――大和を鋭い眼光で睨みながら、雷導は言った。
「一度は許そう。だが二度は無い」
「……」
「いいか。次にあの小娘を逃がしたら、ただではおかん。いかに契約を交わした貴様であろうとも、命を持って償ってもらうぞ」
「はっ」
肝にめいじます、と言って、大和はまた深々とお辞儀をする。
「見張りにつけておいた者たちは無能だな。そんな輩はわしの側にふさわしくない。処分しろ」
「わかりました」
「さっさとあの娘を捕らえて、わしの元に連れてこい。余計な事を知る前に、我が元にて監禁するのだ」
「そのことですが御前」
かしこまって大和は述べる。
「巫女の捕縛は、今しばらくお時間をいただけませんか。すぐにというのは得策ではありません」
「なんだと?」
「急いては事をしそんじると申します。このたび巫女が脱走したのは、あきらかに何者かの手引きによるもの。ですが今だそれが何者かは掴めておりません」
「あれから何日経ったと思っている。犯人一人見つけられんのか」
「帝様でないのは確かです。あのあざやかな手口、並みの魔法使いではありません。こちらも情報を掴んでから、対処すべきかと存じます」
大和は顔に流れる血もそのままに、にたりと余裕の笑みを浮かべた。
「今回の件に関する報告書が雅人様より届いております。狭間弘一の身柄と共に」
「あれは本当に良い動きをする。流石我が孫だ」
満足そうに雷導は言う。
「第三の分家代表の署名入りでございます。それによるとあの小娘は、御前のお求めになるもののことすら、まだよく理解しておりません。我々に反する勢力を炙り出すまで、もう少しだけ泳がせておくのもよろしいかと」
「好きにしろ」
彼は突然興味を失ったかのように、熱の冷めた声で言い捨てた。
「もういい。今回の件はここで幕引きだ。興も冷めたわ」
「ご許可いただき、ありがとうございます」
大和は自信有りげに言葉を続ける。
「必ずあの娘を御前のために、この私が手に入れましょう。どうぞお心安んじてお待ちください」
彼は静かに一礼して、その場から退出する。
お茶の用意がされたワゴンを、メイドが静々と持ってきた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
彼女は慣れた手つきで緑茶を入れ、団子の入った皿を置く。
「雅人様より御前様へのお土産でございます」
あまじょっぱいタレのかかったみたらし団子がこんもりと盛られた皿を見て、総帥は鼻を鳴らした。
そしておもむろに一本串を取り上げて、一口かじる。
ムシャムシャ団子を頬張りながら彼の頭に過ぎるのは、かってこの団子を食べるために通った店と、明るい声で注文を取る雀のような可愛さを持った少女。
唯一、彼が手に入れられなかったもの。
(60年前はしくじったが、こんな機会がめぐってくるとは。長生きはするものだな)
彼は懐かしい味を堪能しながら、静かに口元が笑む。
(今度は貴様の孫を手に入れてやる。見ているがいい、藤子。最後に勝つのは、このわしだ)
勝利を確信しながら食べる団子の味は、いつになく美味であった。
伊集院家の別邸がある山奥の敷地の隅に、こじんまりとした一軒家がぽつんとある。
別荘地によくあるおしゃれなコテージのような建物の玄関に、大和は瞬間移動した。
「おかえりなさいませ、我が主」
歌うような可憐な声で、黒髪の少女が姿を見せる。
淡いピンクのワンピースに白いエプロンをつけた少女は、玄関のドアを開けてうやうやしくお辞儀をした。
大和は薄く笑うと、彼女の頬に手を添える。
「ただいま戻りました、私の可愛い人」
そっと頬にキスをされて、少女は嬉しそうに微笑んだ。
とてもロマンティックな光景に見えるかもしれないが、いかんせん異様な状況である。
何しろ大和は頭からダクダクと血を流し、執事のお仕着せは破れまくって戦場から戻ってきたかのような形相だ。
少女にキスを送った時点で、彼女の白いエプロンにも頭から流れ出る大和の血がべったりとついてしまう。
そんな若干ホラー系の現状なのに、二人は全然意に介さず、ふふふと無邪気に帰宅を喜び合っていた。
「留守中、何も変わりはありませんでしたか、咲子」
仲良く手をつないで自室まで行く間、大和は彼女に優しく問うた。
「ええ、何も」
上機嫌に頬を染めながら、咲子は大和にしだれかかる。
家の中はどこも真っ暗だったが、暗闇の方がよく見える二人にとっては、この方が居心地が良かった。
自室に着くと、大和はぼろぼろになった服を脱ぎ捨て、クローゼットからナイトガウンを出して羽織る。
そのまま寝台に座ると、咲子を抱き寄せて膝に乗せた。
「いいですか、咲子。あなたはこれからわたしの事を、お兄様と呼ばなければいけません」
「主様をですか」
咲子は可愛らしく小首をかしげる。
「対外的には、あなたは大森家の養女。わたしの妹として戸籍に登録されました。わたしたちが永遠の相手であることに変わりはありませんが、外ではわたしたちの関係は秘密です。なので普段の生活でも、わたしのことはお兄様とお呼びなさい。慣れておかねばなりませんからね」
「わかりましたわ、お兄様」
咲子は大和の胸に顔をうずめた。
「いい子ですね。ではご褒美をあげましょう」
そう言うと、大和はナイトガウンの左肩をはだける。
いつのまにか雷導につけられた傷のすべてが、綺麗に消えていた。
頭から流していた血も、もう止まっている。
「さあ、お腹が空いたでしょう。心ゆくまで飲みなさい」
「ありがとうございます、お兄様」
咲子は満面の笑みを浮かべて大和の頬にキスをすると、彼の首筋に顔を埋める。
小さな口から鋭い牙が二本、大和の首の血管に差し込まれた。
少女の喉が、至高の血を飲みながら動く。
大和は咲子に自らの血を与えながら、彼女の髪を撫でて恍惚の声を漏らした。
「あなたの中に、わたしの力が流れ込んでいく……何て至福な事でしょう。この感覚、最高です!」
咲子は思う存分大和の血を飲むと、唇を離して大和を見た。
「お兄様、今度はお兄様の番ですわ」
期待のまなざしを向けられて、大和は彼女のワンピースに手をかける。
力まかせに引き裂くと、少女の肩があらわになった。
彼は口を大きく開けると、咲子の首に噛み付いて牙を突き立てる。
「あっ……」
衝撃で彼女は一瞬声を上げるが、すぐにその表情はうっとりとなり、まるで快感に酔いしれるかのような笑みを浮かべた。
容赦なく彼女の命が流れる血を吸いながら、大和は脈打つ力が自分自身の体内を潤いで満たしていくのを感じていた。
一度唇を離し、今度は乱暴に彼女をベッドに倒すと覆い被さり、またその首筋に牙を刺して更に強く吸い上げる。
互いの血で満たしあう――これは人間にはない吸血鬼同士の愛を交し合う行為だ。
十分身も心も満たされて、大和が咲子を放したときには、彼女は激しい快感に身を貫かれ、ベッドの上で意識を失っていた。
そんな様子を愛おしく想いながら、大和は毛布を彼女にかけてやり、自室を出る。
そのまま廊下の端まで行くと、地下に伸びる階段があった。
一段一段、踏みしめながら、彼は下に降りていく。
降りた先には鉄の扉があり、薔薇の形を組み合わせた紋章が彫られていた。
彼は扉に右手を当てて、そっと呪文を唱える。
扉はキイイッと音を立てて開いた。
更にその奥に進むと、そこには簡素な祭壇と二本の蜀台、そして大きな肖像画が正面壁の中央にある。
蜀台に魔法で火を点すと、その光は肖像画を赤々と照らした。
美しい金髪と淡いすみれ色の瞳の青年が、優雅な微笑みを浮かべている。
大和は肖像画の前に跪き、うやうやしく青年を見上げた。
「我が主にして我ら不死なる者の王よ。ついに時が来ようとしています。貴方様に再びお目にかかれる日も近い」
蜀台の炎が、風もないのに妖しく揺れた。
まるで大和の言葉を喜んでいるかのように、炎は瞬き、ちらちらと動く。
「復活に必要な鍵は、今この時代にすべてそろっています。必ず手に入れて、貴方様を解放してみせましょう」
今しばらくお待ちください、そう言うと彼は立ち上がり、濁った瞳を外の世界に向けた。
「ふふふ……ついに待ちに待った時が来た。あの者たちにも連絡して、まずはわが君の魂を探さなければ」
吸血鬼の王たる者の魂を内抱して誕生した命が、この国のどこかにいるはず。
彼は右手で拳を握り、更に怪しい笑みを浮かべた。
「この手で必ず見つけてみせましょう。我が君、あなたの魂を」
蜀台の火が一瞬激しく燃えあがり、やがて静まる。
大和は自分の声に呼応するような蜀台の炎を満足げに見つめると、そっと息を吹きかけて火を消し、ベッドで眠る愛しい少女の下へと帰っていった。
少しずつ時は進み、ついに因縁の対決が始まろうとしてしている。
文化祭の事件をきっかけに、運命のカウントダウンが始まった。
宿命を背負った一族と、失った主を取り戻そうと暗躍する闇の勢力。
二つが合間見えて戦うその日は、もう間近に迫っていた。
<終わり>
ここまでお読みくださり、どうもありがとうございました。
第7巻『文化祭はミニチュア街で』完結です。
この物語はここで終わりですが、茉理とクリスティ学園生徒会メンバーのお話は、まだまだ続きます。
これからも彼らを温かく見守っていただけると嬉しいです。
ではまた次の物語でお会いしましょう。
ありがとうございました。
*次のページは文化祭の後日談である『幕間』、そして本編とは関係ないおまけです。読後のお楽しみにつけました。
お時間のある方、もう少しお付き合いください。




