26
茉理が目を開けた時、そこは小さなコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。
(どこなの、ここは)
彼女はきょろきょろと辺りを見回す。
目の前にあるのは、鉄で出来た堅牢な扉。
窓もなければ、小さな電球が天井から一つだけぶら下がっている。
立って半畳、寝て一畳ほどまではいかないが、それの1,5倍ぐらいしかないせまい場所だった。
(少なくとも4畳半はないな、このせまさは)
二畳ほどだろうかとそんな部屋の間取りを考えてしまうほど、この中には何もなかった。
そして自分は今、背中をコンクリの壁に当て、その壁の斜め上から出ている鎖に両手をしっかり固定されている。
片足には逃げないようにか、重い鉄球のついた鎖が足首についていた。
(これじゃあまるで虜囚だ)
茉理はため息を深くつく。
ここがどこで、自分が何故こんな場所につながれているのか。
一体誰が自分を拘束しているのか。
何もわからないまま、とりあえずじっとしていると、重そうな扉がギイッと開いた。
能面のような顔を持つ長身の男が、姿を現す。
「気がついたようですね。聖魔巫女よ」
「……あなたは、大和さん」
茉理は思わず彼を睨んだ。
かつて帝の教育係であり、歪んだスパルタ教育で彼の優しい心に傷を負わせ、二重人格にまで追い込んだ男。
現総帥雷導の執事であり、最も信頼されていると聞いている。
「これはどういうことですか。どうしてわたしが」
「ふふふ、以前お会いしたときに言ったでしょう。忘れましたか」
彼は実に嫌な笑みを浮かべた。
「あなたの力、いずれ一族のためにもらい受けると」
「力? わたしにはそんなもの」
「今のあなたにはないでしょう。そう、あなたはまだ完全に目覚めていない」
大和はそう言って、彼女に近づき、指先であごを捉えて持ち上げた。
彼と否応なしに目があって、茉理の体が嫌悪感で震えだす。
「放してっ」
首を横にねじり、彼の指から逃れようと、彼女はもがいた。
しかし逆に押さえつけられてしまう。
「ふふふ、無駄ですよ。もうあなたはここから出られない。目覚めた力を渡すまでね」
「力ってなんの事よ」
「いずれわかりますよ。あなたが成長し、目覚めるまでは生かしておいてあげましょう。ここから出たければ、おとなしく力を我らが主に差し出しなさい。いいですね」
「嫌っ。早くわたしを家へ帰して」
茉理は恐怖で目から涙を流す。
「お願い。帝先輩に言いつけるわよ。魔力がなくても、思念会話は出来るんだから」
「無駄ですよ。この牢屋は思念を封じる魔術がほどこしてあります。あなたは魔法が使えないから魔法封じの術は必要ないが、思念を飛ばされては困るのでね」
「放してってば」
茉理は必死に身をよじり、手を縛る鎖に抵抗したが、むなしくそれらは音を立てるだけだった。
「良い子にしていないと、あなたも懲罰が必要になりますかね。鞭と棒と、どちらがお好みですか」
楽しそうに大和はささやく。
茉理はきっと顔をあげた。
「この下種男っ。そうやって人を傷つけて苦しめて、悲鳴を聞いて喜ぶなんて、この変態。ドS魔人っ。あなたなんて大っ嫌い」
「おやおや、随分口が悪いですね。これは調教のし甲斐がありそうだ」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべ、大和は茉理から離れた。
そして再び扉を開ける。
「どれだけあなたが持ちこたえられるか楽しみです。本当は今すぐお仕置きしたいですが、力が目覚めるまでは傷つけるなと雷導様に厳命されておりますのでね。残念ですが、今日はここまでといたしましょう」
「ちょっと、放して。放してってば」
「わたしは人の悲鳴を聞くのも好きですが、希望を失って絶望し、壊れていく人の顔を見るのも好きでしてね。どんなに叫んでも、あなたを助けに誰も来ません。心行くまで騒いで、信じる人の名を叫んで、絶望するといい。巫女よ」
恐ろしい言葉を残し、大和は扉をばたんと閉じる。
扉の向こうから、人の話し声が聞こえてきた。
どうやら見張りが数人いるようだ。
「いいですか。彼女の見張りは厳重に。誰も通してはなりません」
「はっ」
「何かあったらお前達に責任を取ってもらいます。この意味はおわかりですね」
「は……はい」
「魔法を一切使えない無力な少女を見張るぐらい、完璧に出来るはず。絶対に逃がすなどあってはなりませんよ。もしそうしたら、あの方は決してあなた方を許しはしないでしょう」
「はい。お任せください」
そう言うと、また声は途切れ、誰かが去っていく足音がした。
周囲はまた静まり返る。
(さてと。そろそろいいかな)
力なくうなだれていた茉理は瞳に鋭い光を宿し、自分を戒める鎖と鉄球を見た。
口の中で呪を唱え、一瞬で姿が揺らぐ。
彼女の体が液体に――水になった。
両手と足の戒める鎖や鉄球を、水はするりと抜けていく。
床に広がった水の広がりは、また再び色を取り戻し、形を作った。
再びお下げ髪の少女に戻った姿は、自分を縛っていた鎖を眺めて少し笑う。
(全然魔法を使えないって油断してるあの顔を見てたら、可笑しくて笑いを堪えるの大変だったよ)
先ほど自分の優位を信じて疑わなかった大和の事を考え、彼女は心の奥でそうつぶやいた。
数分前まで自分を戒めていた鎖を見ながら、彼女はしばらく考える。
そしてパチッと指をはじき、とぼけた顔のたぬきのぬいぐるみを出した。
それは白いエプロンをつけていて、そこにはマジックで[あとのまつり]と書いてある。
口の中で呪文を唱え、ぬいぐるみを等身大まで大きくさせた。
茉理はそのぬいぐるみの両手を、先ほど自分がされていたように鎖で拘束する。
あとでこれを見たときの大和の顔を想像し、彼女は口元に笑みを浮かべた。
(さてと。では脱出しますか)
茉理はそっと呪文を唱えて、自身の体を透明化させる。
そして重そうな扉に片手を当てると魔力を流し込み、扉をすり抜けた。
廊下に出ると、牢屋と変わらないコンクリートの細長い廊下が続き、自分のいた場所の扉の前には黒いマントと黒ずくめのライダースーツのような戦闘服を着た見張りが二人、立っている。
透明化した彼女に気付かず、見張りは時折欠伸までしながら扉を守っていた。
(ご苦労様。これがきっと人生で最後のお役目になるね)
自分を逃がしたことで、彼らは絶対にお咎めを受ける。
彼女は見張りに心の中でごめんねと謝ると、音を立てずに廊下を歩いて、そこを離れた。
しばらく歩くと階段があった。
そこに至るまで扉が三枚、何人もの見張りがいた。
しかし誰も彼女の透明化の魔法に気付かない。
(巫女は絶対に魔法を使わないって油断してるから余裕だ)
そんなことを考えながら彼女は階段を上がり、窓のついた廊下に出る。
ここは一階のようだ。
そしてどこかの屋敷らしい。
(ここから先は警戒しないとね)
茉理はそっと自身の水魔法を空気中に張り巡らせ、屋敷の様子を観察した。
そしてお目宛ての部屋と人物を見つける。
(見つけた。どうしようかな)
この茉理の姿と透明化があれば、部屋の中までも行けるだろう。
しかし中の人物は、二人とも一筋縄ではいかない魔法使いである。
(ここは無理せず、一旦退こう。今は命をかける時じゃない)
茉理はそう決めて、屋敷からの脱出を優先させた。
聖魔巫女は魔法を使えない。
その思い込みが功を奏し、茉理は無事に屋敷から脱出した。
屋敷に来たことはなかったが、頭のデータにここに関する情報は入っている。
(ここはI県だったな。じゃ、そろそろ戻るか)
茉理は目を閉じ、魔法を発動させる。
あっという間に瞬間移動で、XX市のクリスティ学園の上空に飛んだ。
中等部の屋上に降り立つと、そこに双子の兄が待っている。
「お疲れーっ。どうだった?」
結構時間がかかったじゃん、と赤毛の兄瑠衣は、茉理の背中を叩く。
「しつこい奴の口上につきあってたら、遅くなった」
そう言うと、彼女の姿が揺らぎ、黒髪の少年怜に戻った。
「そういう瑠衣こそ首尾はどうなんだ」
兄に問うと、ばっちりだぜ、と得意そうな答えが返ってくる。
「姫姉ちゃんは、ちゃんと自宅に送り届けといたぜ。催眠魔法がまだ切れてなかったから、とりあえず窓から姉ちゃんの部屋に入って、ベットに寝かせてあげたんだ」
「そのまま放置してきたんじゃないよな」
怜はぎょっとして瑠衣に突っ込む。
「まさかそんなことするわけないだろ。ちゃあんと姫姉ちゃんに変身して、玄関からただいまって帰宅する演技をしといたよ。ご家族へのフォローもばっちりさ」
「そうか。良かった」
玲は胸を撫で下ろす。
玄関から入ってきた気配のない娘がいきなり自室のベッドで眠っていたら、両親にどんな誤解を受けるかわかったものではない。
「それよりさ、どうだった。そっちの方は」
興味津々の瞳を向けられ、怜はため息を一つついた。
「僕の読みどおりだった。やはり姫をさらったのは総帥だ」
「うわーっ、もう仕掛けてきたんだ。早っ」
瑠衣は怖い怖いとつぶやきながら、瞳は挑戦的に笑っている。
「でもさ、さっすが怜。よくわかったな、総帥が姫姉ちゃんに手を出すって」
「眼鏡先輩の動きが妙だったからな」
怜は夜の闇が広がる校庭を見下ろしながら、ぼそっとつぶやいた。
先月行われた中等部の体育祭後、二人は雅人と直樹から密かに依頼されていた聖魔巫女――後野茉理の護衛を正式に引き受けた。
次の日から怜は関係各所の情報収集を始め、学校の休み時間には、こっそり中等部1年A組の様子を魔法でモニターする。
すると最近第三の分家代表にして帝の側近たる直樹が、ある資料を集め、何かを調査していることがわかった。
クリスティ一族の特別なデータベースに怜は侵入し、直樹が調べているもののことを知る。
60年前の文化祭で起こった未解決事件、同じ日に起こった狭間一家惨殺事件。
共通する狭間弘一という男の事。
最初怜は文化祭のたびに時々人が行方不明になるという事例を目にし、そのため直樹は警戒しているのだと思った。
念のためこっちも気にしておくかと、文化祭当日こっそり中等部の生徒に変身して、瑠衣と一緒に密かに茉理を護衛した。
すると突然闖入者に茉理が呼び出されたり、散々な目にあったので、そのたび飛び出して行こうとする兄を押さえるのが大変だった。
『放せよっ、怜。姫姉ちゃんを助けなきゃ』
『押さえろって。ここで僕達が出て行かなくても、姫は帝様たちが何とかするから』
必要以上に茉理と接触する気は、怜にはなかった。
(まだ僕達が本格的に動く場面じゃない)
生徒会の先輩たちが茉理を守れる間は、へたに接触せず距離を保った方がいい。
自分たちは万が一のための切り札のようなもの。
積極的に動いて、自分達の存在を知られるような愚は冒さないほうが無難だと、散々瑠衣を説得して引っ込めた。
一番大変だったのは、茉理がロッカーに吸い込まれて消えた時だ。
瑠衣はすぐさま自分もロッカーに直行し、魔方陣に触れようとしたので、怜はあわてて彼を連れ戻す。
『とにかく落ち着け。状況把握が先だ』
『いなくなっちゃったんだぞ、姫姉ちゃん。これは緊急事態だ』
そう言って涙目で怒る瑠衣に、一旦冷静になれと屋上に瞬間移動して、外の冷たい風で頭を冷やさせる。
『いいか。姫は一人じゃない。一緒に雑用係の先輩も消えた』
『そうだけどさ、でも』
心配じゃないか、と叫ぶ兄の肩をつかみ、怜はゆさぶった。
『いいから聞け。あの先輩だって馬鹿じゃない。ちゃんと姫を守るぐらいの魔法は使える。それに二人がいなくなったことで、帝様たちは必ず動く。ナル先輩も眼鏡先輩もだ。これだけ強力な魔法使いがそろっているなら、僕達の出番はほぼない。ここはまかせて僕達は待機だ』
怜は、真剣な瞳で瑠衣を見つめる。
『何度も言ってるけど、僕たちの存在と目的は、隠せるぎりぎりまで伏せておいた方がいい。隠し技ってのは、どうしても必要な時まで伏せておくことで効果を発揮する。それよりも、だ』
怜は険しい顔をした。
『ちょっと考えさせてくれ。どのみち姫はロッカー問題が解決されない限り、外へは出られない。ということは姫を狙う勢力も、その間は彼女に手が出せないということだ。救出は先輩たちにまかせて、僕達は姫が無事に出てきた後のことを考えよう』
『無事に出てきた後だって?』
『ああ。少し気になる事がある』
怜は得意の頭脳をめぐらせて、今まで収拾してきた情報を整理し、組み立てる。
ロッカーに茉理と英司が吸い込まれた時、すぐ怜は60年前の行方不明事件を思い出した。
頭の中に、すべての情報が入っている。
同日に起こった一家殺害事件。
首謀者である狭間弘一。
――そして彼が60年前、本家に提案して拒絶された闇の呪法。
しばらく考えたあと、怜は兄に言った。
『ロッカーはおそらく60年前に起こった行方不明事件の原因だ。この間言ったと思うけど、あれから文化祭で時々人が消えている。おそらく皆、あのロッカーに吸い込まれたんだ。中がどうなってるのかわからないけど、60年も同じ魔方陣を維持しているとしたら、仕掛け人はおそらく狭間弘一だろう』
『この間言ってた要注意人物か。頭のネジが一本どころか十本は外れてる奴だよな』
『そう。そのネジなし男だ』
怜は少しだけ笑った。
狭間弘一の顔写真のデータを思い出す。
とてもネジがはずれたとは思えない、女子にあこがれのまなざしを向けられそうな甘い顔立ちの17歳の少年だった。
『でもネジが足りない分、優秀な魔法使いだった。当然総帥の側近と目されていたし、一族の秘密も把握してたと思う』
『ふーん。それで』
興味なさそうに瑠衣は返す。
『もしロッカー事件に奴が関わっていたら、この問題を解決する過程で姫はネジなし男に会ってしまうかもしれない。姫がもし聖魔巫女だと知ったら、奴は口にしないだろうか。60年前雷導様が欲していたものの事を』
『うわーっ、それってかなりやばくないか』
全然身を入れて聞いていなかった瑠衣の声に、突然緊迫感がただよった。
『その可能性ありと総帥が判断したら、姫は狙われる。無事ロッカーから生還した後の方が危険だ。だからここで僕達は動こう』
怜の目がすっと細められる。
『僕の推測通りになるか、はずれるかはわからない。だが万が一悪い予想が当たった場合、姫は総帥の手によって誰の手も届かない場所に監禁されてしまう。そこからの救出は困難になるぞ。未然にそれを防ぐため、戻ってきた姫を先に僕達の手で保護しよう』
『了解っ』
元気に瑠衣は返事をし、二人は作戦を練って実行した。
隙をついて茉理を眠らせ、保健室に休ませた瞬間を狙い、怜が茉理に変化して入れ替わる。
ベッドに寝かせれば、当然カーテンを引く。
視界が遮断されるから、ベッドの上で眠る茉理を瞬間移動させ、簡単に入れ替わりは成功した。
そして保護した茉理を自宅まで送り届ければ、ひとまず彼女の安全は確保出来る。
ついでに怜は連れ去られて、首謀者が誰なのか確認してくることにした。
聖魔巫女は魔力がない。
だから監禁場所に魔法に関する備えは、出入り口には設置したとしても内側には施さないだろうと予想してたが、怜の読みどおりだったため、あっさりと脱出出来たのだった。
屋上に吹き渡る冬の風が、作戦が無事成功して高揚した心と体を良い具合に冷やしてくれる。
怜は校庭から目線を瑠衣の方に向けた。
「ま、気付いてるとは思うけど、ナル先輩たちに報告しておくとしよう」
「俺達の方が先輩たちより先読みも出来て超優秀だって、地団駄踏んで悔しがってくれるかなあ」
「そんな人たちじゃないだろう。それは期待するな」
「ちぇっ、つまんないの」
瑠衣は肩をすくめて、面白くなさそうにつぶやく。
兄の表情豊かな仕草に小さな笑みを浮かべて、怜は右拳を握って突き出した。
瑠衣も得意そうににやっと笑うと、自分の拳を前に出す。
無事に作戦成功したことを祝って、互いの拳を軽く合わせた。
「お疲れ様―っ。俺達ってやっぱ最強だ」
「ああ。僕達二人にかなう奴はいない」
「今日は飛んで帰るぞ。ね、いいだろ」
「そうするか」
目と目を合わせ、満足そうに笑い合うと、二人は仲良く家に向かって屋上から浮遊魔法で飛翔した。




