12
1年A組では、帝と翔太の腕相撲勝負が延々と続いていた。
「勝負あり、勝者天の川翔太」
「またですかいな」
恒星は顔をしかめる。
「どうなってまんの? そっちの生徒会長はんは」
さも嫌そうに詠美は直樹を睨む。
「ぜんっぜん勝負しはらせんですな。開始と同時に力抜くなんて、こっちをなめとるとしか思えへんのやけど」
「……」
直樹は心の動揺を黒眼鏡の下に隠して、無表情を保った。
これで25回目。
翔太もキレるのをやめ、今では無言でまた机に肘を乗せる。
「はっはっはっ。これしきのことであきらめる俺ではないっ。伊集院帝。お前がその気がなら、何度でも勝負してやる。さあ、もう一度だ」
帝は黙ってやる気満々の翔太と、もう一度手を握り合った。
「ほんまどういうおつもりですか、そちらはん。いい加減手の内明かして欲しいんですけど」
恒星はイラついた声で叫ぶ。
「こんなんなんぼやっても時間の無駄ちゃいますの? ほんまムカつくわー」
詠美も声を上げて、拳を横の仕切り用机にぶつける。
二人の26回目。
「始めっ」
係りの号令で、二人の腕に力がこもる。
今度は帝の方も、流石に力を入れてきた。
「おっ、今度はいいじゃないか」
すぐ倒せず硬直する自体になって、翔太はにやっと帝の顔を見る。
「でも君の方が強いよ」
帝はそう答え、一瞬こめた力をまた抜いた。
あっという間に彼の手は机に打ち付けられ、翔太に軍配が上がる。
「なんや。またか」
「いつまでやるんかいな。おもろない、ほんま笑えへんで」
天の川学園組は、あきれて肩を落とす。
「くっ、もう一度だ」
翔太はまた腕を突き出した。
二人はまた机の上で片腕を出して組み合う。
帝の視線が、いつもと違うことに流石の翔太も気付いていた。
普段見せる威圧的なオーラがまるでない。
いつも対応してくる帝とは、明らかに別人だ。
27回目の勝負の前に、帝はじっと翔太を見る。
その目にはいつもの闘志はまったく宿っていなかった。
むしろその瞳には――。
やはり27回目も、帝は負けた。
「ねえ、天の川君」
「……」
憂いを込めた声で話しかけられ、翔太は驚きで黙り込む。
正直天の川君などと呼ばれたことなど、一度もない。
いつもお前とか貴様よばわりされるか、よくてフルネーム呼び捨てだったはずなのに。
(いや……そんなことはない)
翔太は古い記憶を思い起こした。
(昔は――幼稚園にいた頃は、俺の事をそう呼んでいた)
その事に思い当たり、ぞくっと背筋が震える。
今、目の前にいる帝は、彼が嫌悪し軽蔑してきた家のために自分を強がってみせている彼ではない。
むしろ翔太が、本当に会いたいと思っていた存在だ。
二人の因縁など何もまだ始まっていなかった幼稚園時代、無邪気で素直に自分の気持ちを出していた帝。
(戻っているのか、あの頃のお前に)
この帝に会うために、もう一度あの幼稚園の頃の優しくて笑顔が可愛かった彼を取り戻すために、翔太はずっと勝負を挑み続けてきた。
(今の姿は、きっとお前が本当に望んでいた姿ではない。だから)
表の人格をぶち壊して、奥にある繊細で誰よりも争いを好まない少年を引き出したかった。
彼を解放したかった。
だからずっとそのために十年間、絶対にかなわない勝負を挑み続けては敗北しでも尚、あきらめなかった。
自分があきらめてしまえば、一体誰があの帝を取り戻すというのだ。
――一族のすべてが彼の自己改造を歓迎し、むしろあの頃の帝を殺してしまおうとしている世界で。
(もしかして、あいつか)
翔太はふと気付く。
先ほど自分が交際を申し込んだ、一風変わった平凡な少女。
彼女と知り合い、関わる事で、帝は変わっていったのかもしれない。
彼の魔法使いとしての勘が、彼女はただものではないと告げていた。
だからこそ側に置くのも悪くないと思った。
告白などしたことのない彼が考えた、せいいっぱいの彼女への交際申し込み理由をつきつけてみたが、あっさり振られてしまう。
手ごわいのは嫌いじゃない。
まだ彼女をあきらめはしないぞと思っている翔太だったが、同時にもし彼女が帝を変えた原因なら、帝にとっても彼女は特別な存在だということだ。
手ごわいどころの話ではない。
翔太の脳裏を目まぐるしく駆け巡る思考をものともせず、帝は言葉を続けた。
「これで27回、僕は腕相撲で君に負けた。この結果はね、君へのお詫びと感謝を伝えたかったからなんだ」
「なっ、なんだと」
「今までの十年間、君は僕を想って27回挑んでくれたよね。そして僕は27回とも君を敗者にした。完膚なきまでに君を傷つけ、玩び、憎しみをぶつけて、君の魔法使いとしての自尊心を叩き折ってきた」
「お前、回数まで覚えてやがったのか」
翔太は更なる驚きで、頭の中がフリーズする。
ずっと自分は虫けら以下の存在だと思われていた、そう感じていたのに。
帝はとてもこれから勝負する相手に向けるとは思えない、柔らかな笑みを翔太に向ける。
「こんなことで君に僕が今までしてきたことが許されるとは思っていないよ。でも伝えたかったんだ。ずっと僕の事を心配して、君が時間を作って僕に関わろうとしてくれたことは、本当に嬉しかった。ちゃんと僕には君の気持ちが伝わっていた。本当にありがとう」
素直にお礼を言われ、翔太はどうしてよいかわからない決まり悪さを感じて叫ぶ。
「おいっ、いつもの勢いはどうした。お前、具合でも悪いのか。そうか、何か文化祭で悪い物でも食ったんだな。頭のネジがはじけ飛ぶぐらいまずい物があったんだな。そうだろう、そうに決まっている。はっはっはっ、はっはっはっ……」
必死に笑おうとするが、いつもの高笑いに力が入らず、ついに声は宙に霧散した。
そんな彼を見て、帝は優しく微笑む。
「君に伝えたかったんだ。幼稚園の時のことも、ずっと謝りたかった。あの時君に電撃を浴びせてしまってごめんね。痛かっただろう」
「なっなっなっ……おいっ、ほんとどうした、お前っ」
顔を真っ赤にして翔太は椅子から立ち上がる。
組んでいた手を乱暴にほどき、机をばんっと勢いよく叩いた。
「おかしい、お前っ、絶対に変だ」
「変になってもいないし、おかしくなってもいないよ」
帝は困ったように目元を下げる。
「ただきちんと自分の心と向き合っていこうって決めただけだから。そしてもうこれ以上、君に心配してもらう必要はなくなったって伝えたいんだ」
「べっ、別に俺は心配など」
「してくれてたよ。隠さなくても分かる。君はちゃんと人の心を思いやる心根の優しい人だ」
帝にきっぱり言い切られ、翔太は酸欠になった金魚のように口をパクパクと開けて言葉も出ない。
「今までありがとう。僕はもう大丈夫だから」
帝の口調が変わる。
瞳に優しいだけではない、強い意志が宿った。
「強気で立つ僕も気弱な僕も、全部僕自身だ。その時によって必要と判断した態度で相手に望む。それだけのことなんだよ。全部僕自身が納得して、そんな態度を見せている。一族に強制されたわけでもないし、誰かに抑圧されてそうしてるわけじゃない。今の僕は誰よりも自由だ。誰にも僕を止めることも、強制して何かをさせることも出来ない」
「……」
「だから君はもう僕に気をまわす必要はない。僕を想って時間を割く必要性は皆無だ」
帝は翔太にきっぱり言った。
「今日を限りに僕への挑戦はやめてもらいたい。僕にこれ以上関わらず、君自身の人生を生きて欲しいんだ」
翔太は目を大きく見開き、信じられないものを見る目で彼を凝視する。
しばらく静かに視線を交わし、やがて力が抜けたように翔太は椅子にへなへなと座り込んだ。
「なんだよ……なんなんだ……くそっ」
ぼそぼそと彼はつぶやいた。
「戻ってるんなら、早く言いやがれ。余計なことばっかして、俺が馬鹿みたいじゃないか。くそっ、くそっ」
苛立ちを込めてばんばんと目の前の机を両拳でなぐる彼は、顔を鎮めて動かなくなる。
そんな彼の震える肩に、帝は立ち上がると右肩に優しく手を置いた。
「本当にごめん。今までありがとう」
「くそっ……ぐすっ、俺の十年間を返しやがれ……ぐすっ」
鼻をすすっている音と、力なくつぶやく苦情に、帝はまた優しく微笑み、肩に置いた手に温もりを込めて今までの感謝を伝えた。
アイスレモンティーを飲み終え、そろそろ行かなければと茉理が考えた時。
――その音は、突然聞こえてきた。
どこか。そう、どこかとしか言い様がないのだが、沢山の人がざわめく声が頭の中に突然響いてきたのだ。
それは廊下の喧騒とか、執事&メイド喫茶のBGMにのって聞こえるお客の会話というものではない。
あきらかにこの教室のどこかから、街の音とでもいうべき音が響く。
(何? この音)
車のようなものが走る、人が行き交う、立ち止まって会話する。
(まるでどこかの街にでもいるような音。何なの?)
茉理は頭の中に繰り返し聞こえる不思議な音に戸惑い、周囲を見回した。
「どうしたの? 後野さん」
英司は顔色が変わった彼女を見て、気遣う声をあげる。
でも彼女はそれどころではなかった。
(確かに何か……どこかにある、この音が響く場所が)
この教室のどこかから聞こえてくる。
茉理は無意識のうちにポケットに手を入れた。
丸くて硬い物が指先に触れる。
(お守りの手鏡)
聖魔一族の紋章が刻まれた、祖母からもらった大切な鏡。
茉理はふと玄関先で今日、藤子から言われた言葉を思い出した。
――今日は、二年A組に行ってはいけない。
祖母は何もなく、そんな警告を発したりしない。
何か危険な事があるからこそ、茉理にそう言ったのだ。
(この音と関係ある?)
茉理はポケットから鏡を出す。
この鏡には、よくわからないけれど不思議な力があった。
鏡の力や使い方については全然わからないのだけど、いつも茉理の願いをかなえてくれる。
彼女は怪訝そうな顔の英司にかまわず、鏡を出してそっと自分の顔を覗き込むふりをしながら、左右を見回し、教室を映した。
(お願い、この不思議な音がどこから出ているのか教えて)
念じて鏡を見ると、教室の後ろに置かれた個人ロッカーの右端が、鏡の中できらきらと光って見える。
(あそこに何かあるの?)
茉理は立ち上がった。
「後野さん?」
あわてた英司が、彼女のあとに続く。
彼女はキッチン側として仕切りられた教室の後ろに入っていった。
幸い当番のメイドと執事は、客への応対に追われて丁度そこには誰もいない。
ロッカーは客を迎えるホール側にないため、むき出しの状態でそこにあった。
「ん? なんだろう、これ」
ロッカーの横の白い壁。
英司は壁に浮き出ている黒い矢印に首をかしげる。
「なんでこんなところに矢印?」
矢印を目で追うと、二段になったロッカーの一番右上を指していた。
そこは茉理の鏡でちらちら光っていた所である。
(ここだ)
茉理はその前に立ち、そっと耳をすました。
音はあきらかに、このロッカーから聞こえてくる。
「後野さん、どうしたの?」
「……」
茉理は無言で、そのロッカーに手をかけた。
彼女の手がロッカーの扉に触れた瞬間。
そこから目を覆いたくなるほどまばゆい光が発生する。
「後野さんっ」
咄嗟に英司は、彼女の手を掴んだ。
同時に彼もその光に飲み込まれ、姿が歪み、そして次の瞬間。
――二人の姿は二年A組から消えてしまった。
28回目の腕相撲が終わり、勝者は天の川翔太に決定した。
最後の一戦は真剣勝負で、帝もしっかり力を入れてお互い死力を尽くした勝負の末、やはり筋力の差があったのか翔太が勝利する。
「はっはっはっ、勝ったぞ」
「うん、負けた。完敗だよ」
後腐れのない見事な腕相撲に、居並ぶ全員が二人の健闘を讃えて拍手を送る。
「なんや良い勝負でしたなあ」
「ほんまごっつう感動でしたわ」
恒星と詠美も、満足そうに盛大に手を叩いた。
直樹は無表情の顔をしていたが、作り物の牙をはめた口元に、小さな笑みを浮かべる。
帝が己を克服した証をこの目で見たのだ。
(あいつは本当に強くなった)
体育祭では闇の魔力に飲まれそうになったが、茉理の彼を想う光の力に助けられ、闇の奥から生還を果たす。
そのあとから明らかに彼の態度は、以前よりも安定してきているという手ごたえはあった。
(ついに本当の自分自身を認められるようになったか)
いっそうこれから帝の成長に期待が持てる。
彼はそう思い、この喜びを一番に茉理に伝えてやりたいと、英司に思念を送った。
『英司、英司、聞こえるか』
今どこにいる、そう聞いたのだが、何故か返事がこない。
それどころか言葉が届いた感覚がない。
(どうした。英司の存在が感じられない)
彼はあせる心を押し隠し、何度も思念を送ってみたが応答はなかった。
(おかしい。隠れるにしても、俺達からの思念まで遮断する必要はないはずだ)
嫌な予感が頭の中を駆け巡る。
腕相撲を終えた一同は、景品をもらって次のクイズコーナーに行こうとしていた。
「すまないが、勝負はここまでだ」
直樹は帝の腕を取る。
「はっはっはっ、何を言う。これから親睦も兼ねて次の勝負もやるべきだろうがっ」
「そうですなあ。ここまで来てリタイアは笑えませんよ」
「そやそや。最後までやりいや」
天の川学園側は不満そうだ。
「どうした、直樹」
帝はつかまれた腕を、怪訝そうに見る。
その状態は先ほどの優しそうな帝ではなく、強気の方に戻っていた。
「ちょっと別なクラスでいざこざがあったようだ。すまないが、ここからは通常の活動に戻らせてもらう。悪いが楽しんでいってくれ」
そう言うと、帝と昇を連れて即座に瞬間移動する。
「やれやれ、お忙しいこって」
「しゃーないな。会長はん、俺、お腹すいたで。なんか食べへんか」
恒星と詠美の言葉に、翔太は気を取り直した。
「はっはっはっ、確かにもう昼だな。勝負に勝った祝いだ。なんか食べに行くぞ。俺のおごりだ、はっはっはっ」
「それでしたら校庭にフードコーナーがありますので、良かったらご案内しますよ」
奈々がすかさず勧めると、三人は即座に同意する。
「あいつがいなければ、ここでゲームをする意味はない。腹ごしらえに行くとするか」
「賛成ですわ」
「そうしまひょ、なんか美味いもんあるといいですなあ」
三人は上機嫌よく答えると、奈々の案内に従って校庭に向かっていった。




