第六話 禁忌の門
駄菓子屋で買ったアイスキャンディーを頬張りながら、夢美は畔道を歩いていた。八重子は運動靴で石ころを蹴飛ばしながら、アイスキャンディーの棒を咥えている。緑色の稲が生い茂る田んぼには、アメンボが所狭しとひしめいていた。照りつける真昼の日差しに、夢美の皮膚がピリピリと焼け付く。溶けたアイスキャンディーの冷たい汁が、喉を通り抜けていった。夢美は暑さのせいか、ぼんやりと雲一つない空を見上げている。足取りも重く、夢美は八重子の一歩後ろを歩いていた。
「んにしてもワラジのやつ、よそもんがどうとかくだらないよ」
八重子は腹立たしげに、石を下水の中へと蹴飛ばす。夢美は石が立てた水音が耳に入り、ハッと我に帰る。夢美が咥えていたアイスキャンディーは、いつの間にか溶けていた。
「ワラジ?」
「忠治の事だよ。あいつ、いつも草鞋履いてるからワラジって呼ばれているんだ」
八重子は硬貨型のチョコレートを口に数個放り込む。夢美もキャラメルを一つ口にした。甘ったるいバターの香りが、口の中に広がる。駄菓子の甘さに包まれて、夢美は忠治の顔を思い浮かべた。あのしかめっ面が柔らかな顔に変わる時は来るのだろうか。口の奥が苦々しくなり、夢美はさらにもう一つキャラメルを放り込む。
「あいつ、人見知りなだけだから、夢美ちゃんは何にも悪くないよ」
「う……うん、ありがとう……」
夢美は力無く頷く。八重子は変わらず夢美に笑顔を向けていた。蝉の合唱があちこちから聞こえてくる畔道の中を、二人は歩く。
「あ、広沢さん。夏休みの宿題は順調ですか?」
学校に差し掛かった所で、ワイシャツ姿の男性に声をかけられる二人。くしゃくしゃになった髪を掻き、男性は汗ばんだ頰をハンカチで拭う。すらりとした長身の男性は、小さな二人を見下ろす。
「げっ、中之条先生!?」
八重子は見知った教師の姿を見て、飛び上がりそうになる。抜き足差し足で逃げ出そうとする八重子。中之条先生はあからさまに逃げようとする八重子をみて、深いため息をつく。両手いっぱいの書類を抱えている先生は、球のような汗が浮き出ていた。
「全く。その様子だとやっていないみたいですね」
「だって、宿題多すぎるんだもん」
中之条先生は物腰柔らかな口調のまま、八重子をたしなめる。八重子は頰を膨らませてゴネた。木造の校舎を背に会話を弾ませる先生と生徒。夢美が持ちえなかった光景が、目の前に広がる。無意識に羨望の眼差しで、夢美は二人を見ていた。
「あれ? 君は?」
「ゆ……夢美です。東京から来ました」
突然向けられた視線に、夢美の身がすくむ。中之条先生はスッキリとした訛りのない口調だ。顔をしかめることなく、先生はにっこりと笑う。
「ああ、倉賀野さんのお孫さんですね。ようこそ! 僕は中之条 慧三。広沢さんの担任です」
中之条先生は髪を整えながら、夢美に笑いかける。夢美は恥ずかしくなり、両手で顔を隠した。
「先生、なんで夏休みなのに学校来てるの?」
「たまたま資料を忘れていてですね。取りに来た所ですよ」
中之条先生は資料の重みで時折よろけながら話していた。ダンボール紙の封筒が、先生の手汗で僅かに湿る。
「倉賀野さん。僕も最近この村に帰郷してきたんですよ。だから、分からない事はぜひ僕に聞いてください」
「は……はい。ありがとうございます……」
中之条先生の資料が風に吹かれ、校門の方へと飛ばされる。先生は宙を舞う紙をキャッチした。夢美は思わず、吹き出しそうになる。
「それでは、広沢さん。宿題はきちんとやってくださいね」
資料を抱えながら、畔道を歩いていく先生。八重子は苦い薬を飲んだように、顔をしかめていた。彼女の部屋にうず高く積もった宿題の山。どうやら、彼女の夏はまだまだ終わっていないようだ。
学校を抜け、二人は村外れまで来ていた。日は傾き、空は橙色に染まり始め、ミンミンゼミの鳴き声はひぐらしの鳴き声に変わり始めていた。生暖かい風が足を撫でる中、二人は村外れの荒れた道を歩いている。村外れは整備されておらず、草も伸び放題だ。枯れた田んぼ道の奥には、小高い山がそびえ立っている。山の入り口には階段があり、朱色の門が木々の隙間から見えた。夢美は朱色の門が目につく。風に枝がそよぐ中、門は現れては消えていた。
「ねぇ、八重子さん。あれは何?」
「あ、あれは行っちゃいけないトコだよ。母ちゃんが危ないって言ってた」
普段の軽快な口調とは打って変わって、八重子はどこか深刻な面持ちだ。遠くに見える門は、まるで異界へ通ずるような怪しい雰囲気を放っていた。だが、夢美は無性に門の先が気になっている。
「なんで行っちゃいけないの?」
「よく分からないけど、あれは呪われた神社なんだって。近づいたら龍神様の祟りがあるって噂だよ」
頑なに門の先の話をしたがらない八重子。震える瞳は、門がある山から目を逸らそうとしていた。夢美は呪いや祟りは信じていない。だが、追い詰められたように深刻な表情をしている八重子を見ると、それ以上は問い詰めようとはしなかった。村の中心部へと引き返す二人。だが、夕日で夢美の影が伸びた先には、朱色の門が手招きするように佇んでいた。
一番星が見え始める頃、夢美は八重子と別れ、家路に着く。玄関の引き戸を開けるなり、音を聞きつけた千代が駆けてきた。血相を変えて、千代は夢美を見ている。
「夢美ちゃん! こんな時間までどこ行っちまってたんだべ!?」
「ごめん、おばあちゃん。友達と遊んでたの」
心配のあまり唇を震わせる千代を見て、夢美は申し訳なくなる。千代は何度も、夢美に怪我がなかったか聞いていた。千代が質問を重ねれば重ねるほど、夢美の罪悪感が増していく。だが、"友達"という言葉が夢美の口から出ると、千代の瞳が潤んだ。
「でもそっか。友達ができたんか……。そりゃあよかった」
千代は何度もその言葉を噛み締める。夢美は一日の疲れがどっと押し寄せ、部屋へと入って行った。
風呂に入り、寝床に入る頃まで、夢美は落ち着かなかった。あの門は一体何だったのだろう? あの先には、何があるのだろう? 山門への興味が、否が応にも夢美を駆り立てていた。明日への期待が膨らむ中、夢美はゆっくりと目を閉じる。
明日、あの山に行こう。そんな決意を胸にして。




