第二十六話 あの日の約束
「よう、みんな」
鎮は、どこかぎこちなさげに店の中へ入る。誰一人として鎮を追い払おうとする者はいなかったが、鎮に話しかけようとする者もいない。忠治と八重子は戸惑い、顔を見合わせる。
「や、やあ、元総社君」
レジ棚にいる耕助も、顔を引き攣らせて鎮に挨拶した。村の子供達に降り注がれた視線に、鎮は顔をしかめる。下駄を返し、鎮は駄菓子屋を出て行こうとした。
「待って! 鎮!」
夢美はたまらず、鎮の手を握った。もう片方の手で胸元を押さえながら、夢美は鎮を引き止める。苦しそうに胸を押さえる夢美を見ると、鎮の瞳が揺れた。
「私、手術を受ける為に東京に帰るの。だから、お願い、今日だけでいいの。一緒にいて欲しいの」
喉を締め付けられながらも、夢美は鎮から目を離さなかった。鎮は出口に背を向け、夢美を支える。その場にいた誰もが、夢美の急報を聞いて息が止まっていた。夏終わりの生暖かい風が、駄菓子屋の中に漂う。
「…………夢美ちゃん、打ち明けるの辛かったべ」
八重子がそっと夢美にアイスキャンディーを差し出す。イチゴ味のアイスキャンディーを、夢美はちびちび舐めた。
「ほら、鎮も。神社から来るの暑かっただんべ?」
八重子は鎮にもアイスキャンディーを渡す。ぎこちない様子だったが、昨日からの友人のように、八重子は鎮に話しかけた。長年食べていなかったアイスキャンディーを、鎮は静かに見ている。メロンソーダ味のアイスキャンディーは、優しい黄緑色をしていた。
「夢美ちゃん帰っちゃうなら、アタシ達なおさら思い出作らないとね!」
テーブルを引っ張り出し、八重子は自分が買ったお菓子を広げた。銀紙が開かれ、スナック菓子が山を作る。テーブルに近づこうとしない子供達を、八重子は手招きした。忠治は煎餅を咥えたまま、テーブルに寄りかかる。耕助も水筒に入った麦茶と、紙コップを持ってきた。
「それなら、飲み物も必要だべ」
紙コップすれすれに、麦茶を汲む耕助。喉が渇き切っていた忠治は、麦茶を一気に飲み干した。譲も缶を手に持ちながら、テーブルに近づく。
「ほら、夢美ちゃんと鎮も、早く早く!」
八重子に促され、夢美と鎮も顔を見合わせながらテーブルに身を寄せた。引っ込めようとする鎮の手を、夢美は優しく握る。
鎮はアイスキャンディーを食べ終えると、一切駄菓子に口をつけようとしなかった。ただ、翡翠色の瞳に、色とりどりの駄菓子を映すだけだ。
譲はパンパンになった袋を開け、バタースコッチのキャンディを出した。パッケージも英語で書かれ、子供達にはちんぷんかんぷんだ。珍しい菓子に、子供達は釘付けになる。
「うわー、僕の店では見たことがないべ」
「パパがお土産でもらって来たんだ。まあ、食べてみてよ」
譲は誇らしげに胸を張る。八重子達は早速箱を開け、キャンディを口に放り込んだ。夢美も包みを開け、キャンディを頬張る。バターの優しい甘味が、口を包んだ。僅かに香る異国の香辛料の匂いに、夢美の頬が緩む。夢見心地になり、夢美は宙を仰いだ。ふと、鎮の姿が夢美の目に映る。鎮はまだ村に馴染めないのか、しきりに窓の外を見ていた。夢美はキャンディを鎮の口元に近づける。
「鎮も食べよう。美味しいよ」
口元にキャンディを近づけられ、鎮は渋々口に入れる。しばらく口をモゴモゴさせていた鎮だったが、僅かに口元が和らいでいた。
鎮はまだ、村の子供達と沢山話すことはない。八重子達もまだ、鎮を完全に受け入れた訳ではなかった。だが、鎮は子供達を避けようとはしない。子供達といる鎮は、鋭い目つきが柔らかなものになっていた。
駄菓子屋でのひと時を終えると、空は橙色に染まり始めていた。ひぐらしの鳴き声も少なくなり、山の葉も黄色に衣替えをし始めている。夢美は神社の池の前に、鎮と座っていた。鰐丸が夢美に顔を寄せている。夢美は物怖じすることなく、鰐丸の首を撫でた。
「どうして私にも懐いているのかな?」
「それは、お前が昔にもここ来てたからだよ」
鎮のその一言に、夢美は完全に思い出した。どうしてこんなにも大切な記憶を忘れてしまっていたのだろう。まだ山を駆け回れた頃、夢美はここに来ていた。好奇心のまま池を覗き、小さな体は池に落ちた。その時、自分を岸にあげた黒い影。その傍らにいた少年。全ての光景が今、夢美の目の前にある。夢美は目元を震わせて、鎮を見た。今、鎮が座っている岩場で、幼い夢美と赤毛の小さな少年は、ゆびきりげんまんをしたのだ。絡み合う小指を見て、あの二人は笑っていた。「また会おう」。そう約束をして。
「鎮と鰐丸は、ずっと私の事を待っていてくれたんだね」
夢美は両手で鰐丸の首を抱きしめる。鰐丸も目を閉じ、顔を夢美の腹にすり寄せた。
「…………手術終わったら、またここに来てくれるか? 俺、待ってるからさ」
鎮は躊躇い気に小指を出し、夢美に歩み寄った。夢美は驚くも、やがて微笑んで、鎮の指に自分の指を絡ませる。
「もちろんよ。今度は絶対忘れない」
日が落ちゆく中、二人は固い約束を結んだ。夢美は絡ませている指を、離したくはなかった。この時間が永遠に続けばいい。山が闇に覆われる中、夢美はそう祈り続けた。




