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最終話 ひと夏の思い出を乗せて

 次の日の朝、千代は夢美を駅前まで送って行く。行きと同じく、軽トラックの助手席に揺られながら、夢美はぼんやりと外の光景を見る。通い慣れた畔道、遠ざかる山々。何気ない光景だったはずなのに、夢美の胸が熱くなった。収穫した稲の束を抱えた和恵と忠治の父親が、夢美に手を振る。村人の顔一つ一つが、夢美に強く焼きついていた。


 駅は閑散としており、夢美が乗る急行列車が止まっていた。赤い車体に、白いラインが入った急行列車は、朝日を浴びて輝いている。行きでは暗くてよく見えなかったが、木造の簡素な駅舎があった。千代はキャリーケースを軽トラックから降ろし、エプロンのポケットから切符を取り出す。神流から浅草行きと書かれた橙色の切符を、千代は夢美に持たせる。


「またいつでもおいでね。ばあちゃん待ってるべよ」


千代は名残惜し気に夢美の手を握る。夢美もすぐに切符を受け取ることができなかった。千代は紫色の風呂敷も渡す。両手を覆うほどの風呂敷は、ほのかに暖かい。夢美は不思議そうに、風呂敷を見ていた。


「ばあちゃんが作ったおにぎりと煮物だんべ。お腹空いたら食ぇ」


「ありがとう、おばあちゃん」


夢美は風呂敷を両手で抱え、駅へと向かって行った。背の高い車掌が、切符を切ろうと改札口で待ち構えている。重いキャリーケースを引きずりながら、夢美は改札に向かう。


「切符を拝見」


無機質な声の車掌。夢美は躊躇いながらも、切符を差し出した。車掌は切符を受け取り、穴を開ける。もう村には戻れない。お前はもうよそ者に戻るんだ。そう告げるように。改札の先で待つ急行列車が、異界への入り口のように感じられた。振り向かないように、夢美は改札の先へと足を踏み出す。


「夢美ー!」


「夢美ちゃーん!」


夢美を村へ引き戻すように、声が聞こえた。忠治と八重子、耕助が走って来ている。夢美は一瞬戻ろうとするが、穴の空いた自分の切符が視界に入ると、何も言わずに列車のホームへと向かって行く。村の子供達は改札を通ろうとするが、車掌の大きい風体に止められた。


「君達、切符がないならこの先は入れないよ」


「何すんだよ! 入るくれぇいいだんべ!」


「そうよそうよ! アタシ達、友達を見送りに来ただけよ!」


口々に喚く子供達に、車掌はダメの一点張りで立ち塞がる。自分の為、友達の為に抗議する八重子達に、夢美は胸が痛くなった。振り向きたい気持ちを、夢美は必死で抑える。屈強な車掌は、小さな子供達をたやすく取り押さえた。


「おっと、これなら文句ないだろ? 車掌サン」


大量の切符を、札束のように車掌の前でチラつかせる者がいた。譲だ。譲は子供達と、千代の枚数分の切符を持っている。ホームへの入場料分の切符を、譲はこれみよがしに見せた。


「ジューク? 一体どういうつもりだ?」


「お前達の為じゃないよ。あそこのお婆さんが、今にも泣きそうな顔をしていたもんでね」


不服そうな忠治の額を、譲は切符で撫でる。有無を言わせない切符の量に、たまらず車掌は切符を切ることもせず、子供達を通した。


「お婆さん、行ってあげなよ」


譲は千代の分の切符を振り、手招きする。千代は恐る恐る改札を通った。近づいていく孫の顔に、千代は耐えきれず走り寄り、夢美を、抱きしめる。


「頑張ってね……。本当に、頑張ってね……!」


老いた自分より、目の前の孫が先に死んでしまうかもしれない。そう思うと千代は孫の面影を焼き付けずにはいられなかった。


「アタシ、おっきくなったら東京でダンスの勉強しに行くから。絶対夢美ちゃんの所に行くね!」


八重子も夢美の手を握る。忠治も耕助も譲も、皆が夢美がまた来てくれる事を願った。自分はよそ者ではない。この村はいつの間にか、夢美のもう一つ居場所になってしまっていたのだ。


「まもなく、浅草行き、発車でーす!」


汽笛と共に、車掌の高らかな声が響き渡る。心のどこかにぽっかりと穴が空きながらも、夢美は列車に乗ろうとした。その時、遠くから下駄の音が聞こえてくる。


「夢美ーっ!」


猛スピードで迫る赤毛。息を切らしながら、鎮がホームに入ってきた。夢美は思わず、電車の中から振り向く。電車のドアの近くまで、夢美は歩み寄った。


「病気、絶対治せよ! 約束だからな!」


ぶっきらぼうだが、熱の込もった鎮らしい声。自分を鼓舞するその声に、夢美は涙が溢れそうになった。目を擦り、夢美は真っ直ぐ鎮を見る。


「うん! 私、絶対帰って来るから!」


夢美の言葉は、途中で閉まるドアに隔たれた。音がなくなってもなお、夢美は手を振り続ける。発車する電車を、子供達も追いかけた。夢美も去っていく子供達の面影に手を振り続ける。急加速していく列車は、まるで遠い記憶のように神流村の景色を置き去りにした。だが、夢美は忘れない。列車の座席に座っても、夢美は風呂敷を抱きしめた。友達と一緒に歩いた畔道。祭りの熱気。そして、独りぼっちの少年と会ったあの池。風呂敷を抱きしめている間は、夢美は村へ戻れた。これから手術を受ける夢美にとって、神流村はひと夏のサナトリウムだったのだ。


 それから何年か経ち、神流村は周辺の村と合併し、その名前は失われてしまった。かつてあった田んぼも住宅地に変わり、昔からいた村人もほとんどいないという。かつての急行列車も特急列車となり、白く美しい流線型のラインを引いていた。長い時が経ち、神流神社は辛うじて残ってはいたが、その神社の名前を答えられる者ももういない。だが、時折人が参拝しに行っているという噂だけはあった。村では珍しい服装をしていたその人物は、いつも誰かを待っているように、しばらく境内にいたという。パイ菓子の入った風呂敷を持ちながら。


        お わ り

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