第二十一話 神域を荒らす者
子供達は石段を登っていく。時折、背後に大人達が迫っていないか確認しながら、一段ずつ駆け上がる。生い茂る木々が、不気味な影を作り出す。いつもは木漏れ日が入ってきていた神社も、ひどく暗く見えた。
「耕助、店番は大丈夫なんだべか?」
「僕、いてもたってもいられなくて、飛び出して来ちまったべ。だども、夢美ちゃん困ってるのに見過ごせねぇだんべよ」
照れ隠しに耕助は頭を掻く。息を切らし、ポロシャツにはべったりと汗がくっついていた。よほど急いだのだろう。夢美は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「ジュークの奴、このままだと鰐に喰われちまうだんべ」
「きっと大丈夫だよ。鎮が人は襲わないって言ってた」
夢美は忠治に言うが、夢美自身も確証は無かった。鎮が譲に素直に応じるはずがない。もし、譲が鎮に何かしたら、たった一人の家族の危機を、鰐丸は見逃すだろうか。もしかしたら鎮を守る為に、譲を噛み殺してしまうかもしれない。足を捕えようと手を伸ばす懸念を、夢美は首を振ってかき消す。鰐丸も、鎮も傷つけさせはしない。
神社の方から声が聞こえる。何を言っているのかは分からないが、明らかに言い争うような声だ。石段を登る子供の誰もがそう思い、足を早める。最悪の事態。そんな未来を打ち払うように。
鎮と譲は殴り合いこそはしていなかったが、お互い一歩も退く気はない。威嚇する猫のように、色の違う目同士を離さず、立ち塞がっていた。譲は表情こそ変わってはいなかったが、足に染みついた貧乏ゆすりは、苛立ちを隠せていない。鎮も背後の林道にある後ろめたさを隠しながら、譲を睨んでいた。
「どきなよ。どうせいつか、ここからも退く羽目に合うんだから」
「ここから先は、アンタら金持ちが気にいるものは何もない。帰ってくれ」
お互い一触即発の空気だ。神社から吹き抜ける空気が一層冷たくなる。夢美達は思わず、睨み合う二人の間に割って入った。
「二人ともやめて!」
見知った子供達に割って入られ、二人は思わず身を引く。忠治はバットを譲に突きつけた。背の高い忠治に詰め寄られ、譲はたじろぐ。
「な、何だよ。君達には関係ないだろ?」
「ああ、関係ねぇさ。関係ねぇけど、一人で山なんか入る奴は、見過ごせねぇだんべ」
譲はバットから逃げようとするが、忠治がそれを許さない。少しでも動いたら、譲の喉元は忠治に突かれてしまいそうだ。
「こんな事をしていいと思ってるの? 君の家も、この神社も全部潰してやるよ」
「やってみろ、このジュークが」
譲は逃げ惑い、大木に貼り付く。譲の虚勢に怯む事なく、忠治は譲を磔にした。木にしがみつく譲の腹を、バットで押す。
「この神社が龍神を飼っている限り、村の連中はありもしない祟りを怖がるんだ。だから絶対、僕が正体を暴いてやる」
「譲君、聞いて。龍神なんていないのよ!」
夢美が声を張り上げる。咳込みながら、夢美は譲に歩み寄った。苦しげに咳き込む夢美を、譲は怪訝な顔をして見る。忠治は身体を苦しげに折り曲げる夢美を見て、僅かに瞳が揺れた。鎮は夢美の肩を支える。
「どうして来たんだよ。関わるなって言ったろ」
「だってこのままじゃ、この神社がなくなっちゃうのよ。それでいいはずがないわ」
夢美の黒い瞳が、鎮を見る。病気に蝕まれてもなお、夢美の目は光を失っていなかった。締め付けられる喉の奥から、夢美は声を搾り出す。
「そ、そいつの父親は僕のパパから金を借りているんだぞ!? 君が払えないなら、この神社は取り潰しになるんだ!」
喚く譲の喉元を、忠治は押す。バットは喉仏に触れただけだが、譲は大袈裟に咳き込んだ。
「確かに、借金があるのは確かだけど、鎮は関係ないわ。この神社は鎮の居場所。あなたには潰させないわ」
夢美は気丈に振る舞い、譲に立ち塞がる。時折咳が漏れても、夢美はうずくまることはなかった。
「諦めなさい、ジューク。アンタなんかにこの神社は踏みにじらせはしないべ」
「いくら脅したって無駄だべ。僕達は退かない」
八重子と耕助にも囲まれ、譲は慌てふためく。浴びせられる視線に耐え切れず、譲は忠治のバットを振り払った。瞳を潤ませながら、譲は自分に楯突く子供達を睨む。
「き、君達が何を言っても無駄だよ! もうすぐパパが来る。パパが来たら、君達ただじゃ済まさないぞ!」
譲は池に繋がる林道へ走ろうとする。忠治がすぐさま譲を羽交締めにした。譲はもがくが、がっしりとした体つきの忠治には敵わない。テクノカットを振り乱し、譲は忠治のタンクトップを引っ張る。
「は、離せ!」
「そっちには行かせんべ! 大人しくしやがれ!」
譲と忠治はもんどり打って、地面に転がる。地面に倒れてもなお、二人は掴みかかっていた。八重子と耕助は二人を押さえにかかる。完全に頭に血が昇った忠治は、譲の胸倉を掴んだ。
「二人とも止めるべ!」
土煙に塗れ、言葉にならない怒号が飛び交う。荒れ狂う子供達を尻目に、鎮は林の中を見ていた。微かに動く茂み。濡れた犬のような、生臭い匂いが風に運ばれてくる。茂みの揺れは大きくなり、喧騒に集まるように近づいて来た。
「鎮……?」
夢美は恐る恐る鎮を見る。茂みに隠れるものの気配に、鎮の瞳孔は大きく見開かれていた。子供達の声よりも大きい、牛のような鳴き声が木々を揺らす。不気味なその声は、夢美の記憶を呼び起こした。忘れもしない。あの声は、嵐の中で聞いた……。
「みんな! 逆月だ!!」
鎮の声に、乱闘をしていた子供達は、時が止まったように静止する。その場にいた子供達の誰もが、その名の恐ろしさを知っていた。子供達は茂みを注視する。
枝の折れる音とともに、逆月はその姿を現した。四つ足の月の輪熊は、子牛ほどの大きさだ。だが、黒い毛皮が放つ威圧感は、この熊を大きく見せる。人の気配に毛を逆立たせ、興奮したように鼻息を荒くしていた。鋭敏な嗅覚は、人間の放つ全ての匂いを嗅ぎ取る。甘ったるい菓子の匂い、自然には存在しない柔軟剤の匂い。全ての匂いが、逆月を刺激した。低い吠え声を上げ、逆月は二本足で立ち上がる。立ち上がった逆月は、大男のように夢美達を見下ろした。胸元に露わになる白い模様。渾名の"逆月"のように、月を逆さにしたような不気味な模様が浮かんでいる。立ち上がったその姿はまるで、祭り囃子の火窩鬼が、そのまま現世に現れたようだった。




