第二十話 たった一つの居場所の為に
次の日も、夢美は浮かない顔をして、神社へと向かう。足取りは重く、鎮の悲しげな顔が浮かぶたびに、夢美の胸は苦しくなった。途中、夢美は珍竹林へ足を運ぶ。澱んだ思いが渦巻く道中であったが、駄菓子屋にいた耕助は、いつも通り快活な笑顔で夢美を迎えた。
「あっ、夢美ちゃん! 昨日は大丈夫だったの?」
「う……うん……」
夢美は蚊の鳴くような声で答える。明らかに昨日と様子が違う夢美に、駄菓子屋の奥にいた八重子が駆け寄った。窓の側には、野球の練習帰りと思しき忠治もいる。
「夢美ちゃん、どうしたの? 元気ないけど」
「な……なんでもないよ……」
八重子は返答を聞いてもなお、心配そうに夢美の瞳を見つめる。夢美の目は昨日泣いたせいか、ほのかに赤くなっていた。何度聞かれても、夢美は首を横に振る。そんな自分の様子を、夢美は昨日の鎮と重ねていた。やはり、自分も混ざることはできない子供。何もできないのだ。
「いい加減にしろよ。そんな目赤くして、何でもねぇわけねぇだんべ!」
忠治がいきなり怒鳴る。その場にいた誰もが凍りついた。いつもは忠治に突っかかる八重子でさえ、その場に硬直している。忠治は草鞋を踏み締め、夢美に迫った。拳を握りしめ、忠治は今にも夢美に殴りかかってしまいそうだ。
「何かあったんだろ? 話せよ」
「ちょっと忠治! そんな言い方……」
「俺達は関係ねぇから隠してんのか? よそ者かどうかなんか関係ねぇって、オメェ俺達に教えてくれたろ!?」
忠治は怒鳴る。感情のままに怒っているわけじゃない。訴えかけるようだ。忠治は夢美から目を逸らそうとはせず、真っ直ぐ見ている。正面からぶつけられた忠治の気持ちを受け止めきれず、夢美は目を離そうとしていた。こんなにも自分の心配をしてくれているのに、視線は逃げようとしている。だが、耕助も八重子も、黙って夢美を見ていた。
「僕達、夢美ちゃんの力になりたいだけなんだべ」
「そうよ、一人で抱え込む必要はないんだべ」
二人も穏やかな口調で、夢美を説得する。三人の気持ちに応えたい。そんな気持ちが、夢美の中から込み上げた。私にはみんなの力が必要だ。決意を胸に、夢美はゆっくりと息を吸い込む。
「みんな……落ち着いて聞いてほしいの。このままじゃ神流神社が無くなっちゃう。あの神社の池には、鎮が飼っている鰐が住んでいるの」
「えええっ!? 鰐ぃぃ!?」
思わず叫ぶ耕助の口を、八重子は慌てて塞ぐ。口をモゴモゴさせながら、耕助は足をばたつかせた。忠治は黙って夢美が話を続けるのを待っている。
「譲君は龍神の正体を突き止めようとしているけど、龍神なんていないの。あの池に住んでいるのは鰐なの」
夢美の胸が苦しくなる。話を続けようとすると、夢美の脳裏には悲しげな鎮の顔が浮かんだ。三人は、黙って夢美を見る。夢美の頰を、一筋の涙が伝った。
「お願い……鎮を助けて。私一人の力じゃ、もうどうにもできないの……」
夢美の視界が涙でいっぱいになる。村でできた友達一人一人の顔を、夢美は直視することができない。一筋の希望に縋り付くように、夢美は嘆願した。三人はしばらく黙っていた。網戸から吹いていた風が止み、駄菓子屋は沈黙に包まれた。
「…………分かった。俺も行く」
忠治が静かに口を開く。バットを背に差し、忠治は夢美の手を取った。夢美は慌てて涙を拭き、忠治を見る。忠治は真剣な眼差しで夢美を見ていた。
「鎮は嫌いだけど、ジュークはもっと嫌いだ。アイツの好き勝手にはさせねぇべ」
「で……でも、大丈夫? 村長さんの家、裏でヤクザと繋がってるって噂だべ」
「友達が困ってんのに放っておけねぇべ!」
躊躇う耕助に、忠治は喝を入れる。無愛想だった仏頂面の少年は、友情に燃える一人の男に変わっていた。
「打ち明けてくれてありがとう、夢美ちゃん。アタシも行くべ」
「……みんな」
身震いする身体を奮い立たせ、八重子も夢美の手を取る。神社と、村長に対する恐怖は、この村の子供達であれば誰でも知っていた。駄菓子屋の息子である耕助は特にだ。二人が夢美の手を取っても尚、耕助はその場から動けないでいた。
「耕助、オメェは店番してろ」
「えっ!? で……でも……」
忠治は夢美と八重子の手を取り、駄菓子屋を出ていく。耕助は戸惑いながら一歩進むが、去っていく友達を見ていることしかできない。もぬけの殻になった駄菓子屋で、耕助は佇んでいた。
畔道を早歩きで行く三人。太陽が真上から照りつけ、夢美達の髪を焦がした。歩みを進める度に、汗が髪から滴り落ちる。学校の校門の前では、汗を拭いている中之条先生がいた。先生はただならぬ様子の生徒達を見ると、すぐさま呼び止める。
「君達、どうしたのですか?」
先生は眼鏡の位置を直し、生徒達を一人ずつ見回す。試合帰りにも関わらず、家とは真反対の方向に行こうとする忠治。乱れた髪を直そうとしない八重子。そして何より、病弱なはずの夢美が、この炎天下の中外出していることが、明らかに不自然であった。
「先生! 神社に誰か来てねぇべか!?」
「神社……ですか……。さっき譲君が向かっていましたよ」
剣呑な様子の子供達とは裏腹に、先生はのんびりとした口調で語る。子供達は早くその場から離れたいあまり、足踏みをした。
「君達は神社に行かない方がいいですよ。あの辺で熊が出たみたいですから、今は近づかないでください」
「ちょっと待ってよ! アタシ達はダメなのに、なんでジュークはいいんだべ!?」
「それは……」
八重子に詰め寄られ、口籠る先生。だが、生徒達を神社に行かせまいと、先生は立ち塞がる。八重子が先に行こうとすると、先生は眼鏡越しに厳しい視線を向けた。
「とにかく、今は神社に行かないでください!」
丁寧な口調だが、その言葉には熱が籠り始めていた。八重子はなんとか先生を言いくるめようとするが、先生は頑として動かない。忠治も先生を撒こうとするが、体育教師の名は伊達ではない。すぐに先回りされてしまった。
「おーい! みんなぁー!」
耕助が大きな口を開けて、三人を呼び止める。少し出っ張った腹を揺らして、耕助がどたどた走って来た。
「玉村君、どうしたんですか?」
「この三人に追いつこうとしたんです」
先生に久しぶりに会い、耕助はカタコトで話した。先生は訝しげな目で、耕助を見る。額に浮かぶ玉のような汗を拭こうともしない耕助。明らかにただ事ではない。
「……怪しいですね。君も神社に行くつもりですか?」
「いやぁ、今日は先生にプレゼントを送りに来ただけですよ」
耕助はわざとらしいくらいに笑い、一枚の板菓子を先生に渡す。普段とは明らかに口調が違う耕助を見て、八重子は吹き出しそうになる。赤い包み紙に入ったすり身菓子を、先生は訝しげに見ていた。
「先生、夏休み中でも頑張ってますから、どうぞ食べてください」
「ま……まぁ、玉村君がそこまで言うなら……」
先生は包み紙を開き、すり身板一枚を丸ごと口に入れた。甘ダレの味が、先生の疲れ切った身体に染み渡る。だが、甘ダレはすぐに辛味に変わった。わさびの強烈な辛味が舌を刺激し、鼻、目まで伝染していく。先生の目元から涙が溢れ、思わず身悶えした。
「う……うげっ! た、玉村君、これは一体……」
「今だ!」
耕助が叫ぶと同時に、四人は神社に向かって走り出した。先生は生徒達を追いかけようとするが、涙で視界がぼやける。悶絶する先生を尻目に、子供達は神社へ走っていく。夏も終わりに差し掛かった日差しが、四人を直に照りつける。それでも、子供達は止まらない。大切な居場所を守るため、子供達は足を止めなかった。




