第十五話 消えた子供
滝のような雨に打たれ、祭りの参加者はあちこちに逃げ惑う。立て続けに鳴る雷に耳を塞ぎ、足袋でバチャバチャと水溜りを跳ねた。夢美も何処かで雨宿りをしようと辺りを見回す。だが、驟雨で掠れて何も見えない。止まる事のない雨が、夢美の頭を打ちのめす。圧迫するような空気に、夢美は息苦しくなった。早歩きで、夢美は朧げな道を行く。
「夢美ちゃん、こっちだべ!」
耕助が夢美の手を掴む。されるがままに手を引かれ、夢美は足をもつらせながら走った。吹き付ける雨はどんどん強くなる。祭りの光を消すように、雷雨は村に影を落とした。
夢美と耕助は小学校の体育館に避難する。橙色の電灯に照らされた体育館には、ずぶ濡れの村人達が既に避難していた。足袋に溜まった水を抜き、耕助は体育館に入る。既に避難していた耕助の母親が、タオルで二人を拭いた。
「耕ちゃん! もう、どこ行ってたんべ!?」
「母ちゃん堪忍してくれよ。友達探しに行ってたんだべよ」
ふくよかな耕助の母親は、柔らかい手で耕助の髪を掻き分けた。友達という言葉に、耕助の母親は夢美の髪を丁寧に拭く。
「あなたも大事かい? こんな雨じゃ外にいちゃいかんべよ」
「あ……ありがとうございます……」
耕助の母親はブランケットを夢美と耕助に被せる。毛布にくるまる二人を見つけ、八重子が走って来た。雨でお白いは剥げ落ち、髪は崩れている。びしょ濡れの衣装を脱ぎ、八重子はサラシ姿で二人の元へ走り出した。
「二人とも、だいじ?」
「うわっ、八重子なっから近いべ!」
耕助は慌てて目を覆う。顔を赤らめ、八重子から目を逸らそうとした。
「この雨は当分止みませんよ。しばらく体育館にいるしかないです」
濡れた眼鏡を袖で拭きながら、中之条先生が歩いて来る。サラシ姿の八重子が目に入り、先生はすぐさま耕助に視線を映した。
「だけど、こんなに雨降ったら、祭りどころの騒ぎじゃないべ」
「そうですね。残念ながら、盆踊りは中止ですね」
先生は残念そうに呟く。一方で耕助は静かにガッツポーズをしていた。
先生は眼鏡に付いた水分を拭き取り、辺りを見回していた。眼鏡に避難してきた子供達が、かわるがわる映り込む。体育館の端まで見渡すにつれ、先生の顔は青白くなっていった。家族ごとに固まってはいるが、ある家族だけ子供がいない。先生はすぐさま、とある家族の元へ向かう。
「すみません、連取さん。息子さん方はどちらにいらっしゃいますか?」
先生の声を聞くなり、母親は駆け寄る。目元に涙を溜めながら、母親、和恵は先生に縋り付いた。
「うちの忠治がまだ来てねぇだんべ。忠治だけじゃねぇ、元博もいなくなっちまった!」
和恵は先生を揺さぶる。太い腕に掴まれて、先生もどうすることもできなかった。
「アイツら、きっと山に迷い込んだのかもしれねぇだんべ。あすこは熊がいるから危ねぇべ」
神経質そうな声とともに、忠治の父親が現れた。息子と同じ団子鼻を掻き、太い眉毛をひくつかせる。二人の両親に詰め寄られ、先生は戸惑うばかりだ。
「私、探して来ます……!」
夢美は口を結び、立ち上がる。その場にいた誰もが驚愕した。夢美の身体が弱い事は、誰でも知っている。走り出す夢美を、誰もが止めようとした。
「無茶だべ、夢美ちゃん!」
「そうよ! 雨が止むのを待つべ!」
誰もが夢美が外に出るのを止める。だが、夢美はブランケットを被りながら、体育館の扉を開けて出ていく。自分でも信じられない速さで、夢美は走った。いつも白い部屋の中で寝かされていた少女は、今や誰かのために走っている。
「こうしちゃいられねぇ、オラも行ぐべ!」
忠治の父親も、すぐさま体育館を出ていく。耕助と八重子も親の制止を振り切り、大雨の中を飛び出していった。
夢美は靴を濡らしながら、畦道を行く。泥水を吸い、夢美の靴は踏む度に水を染み出させる。もんぺにも水が跳ね、泥の斑点ができていた。かじかむような寒さが、夢美に這い寄る。吹き付ける雨が目を打ち、夢美は目を擦った。全ての音が、雨にかき消される。夢美は神流神社の方へ走った。霞がかった視界に、ざわつく黒々とした木々が見える。息つくことも許さない雨が、夢美の肺を締め付けた。二人の名前を呼ぶが、声は雨の中に吸い込まれる。
その時、足音が夢美に向かってきた。乱暴に水溜りを弾く音は、走っているようだ。夢美は近づいていく水音に驚く。雨を振り払い、足音の主は姿を現した。
「忠治……くん?」
忠治は息を荒げ、肩で呼吸をしていた。膝まで泥だらけになり、ただごとではない剣呑な表情だ。汗と雨が混じり、タンクトップはすっかりびしょ濡れになり、浅黒い肌が透ける。背中のバットも、今にもずり落ちそうだ。忠治はもんぺ姿の夢美を見て、僅かに目を丸くする。だが、すぐに険しい顔に変わった。
「何やってやがんべ! さっさと帰れ!」
忠治は上擦った声で怒鳴る。以前の怒りとは異なる、こちらを本気で心配しているような声色だ。だが、夢美も引き下がらない。手足を泥まみれにして、喉で呼吸しているような忠治は、只事には見えなかった。
「教えてほしいの。何があったの?」
「よそもんのオメェには関係ねぇだろ」
忠治は夢美に毒を吐く。だが、余裕のない声は、ひどく小さい。夢美は"よそ者"と言われても怯む事はなかった。
「みんなあなた達を探しているよ。お願い、教えて」
「…………」
雨の壁を貫くように、夢美の声は忠治の胸を打つ。忠治は夢美の気迫に押され、何も言えないでいた。よそ者の介入と助けてと言いたい気持ちの板挟みになり、忠治は葛藤する。
「…………元博が、元博が熊に襲われちまった。アイツ、雨で俺とはぐれて、山の方に行っちまったんだべ」
忠治は悔しさのあまり拳を握りしめる。自分と元博を襲った熊の姿が、ありありと忠治の目に焼き付いていた。
「熊の奴、元博の方を狙いやがったんだ……」
「探しましょう。きっとどこかに隠れているはずだわ」
夢美は忠治の手を引く。だが、忠治は夢美の手を弾いた。忠治の全身は震えている。今まで横暴に振る舞っていたのが嘘のように、忠治の瞳には怯えが見えた。
「オメェはよそもんだから分からねぇんだべ! 相手は熊だべ! 俺達が敵う奴じゃねぇべよ!」
「でも、あなたの弟でしょ。助けなきゃ」
夢美は忠治の手を強く掴む。弟という言葉が出た途端、忠治は唇の端を噛んだ。黙って頷き、忠治は夢美の手を握り返す。二人は足が濡れるのも構わず、山へと走り出した。晴れの日とは違う姿の山。木々を荒々しく振る山は、来る者全てを拒んでいるようであった。




