第十四話 神流村龍神伝説
花火が一通り打ち終わると、村の中心は一気に静かになる。厳かな雰囲気のまま、人々は舞台の前に集まっていた。夢美は耕助と一緒に、パイプ椅子に座っている。舞台の奥には巨大な山の台が立っていた。水彩画で塗られた霊峰は、照明で妖しげに輝いている。舞台の右奥には、あの神社にそっくりな社があった。舞台はぼんやりと白い照明に照らされている。夢美と耕助は息を呑んで、劇が始まるのを待っていた。
やがて、三味線の細い音が舞台を漂い始める。どこか寂しげな旋律だ。笙の笛が厳めしい音を響かせ、照明が次第に暗くなる。草むらを模した張りぼての隙間から、煙が漂った。煙が舞う中、一人の老婆が現れる。檜皮色の着物を着た老婆は、ゆっくりと息を吸い込む。
「幾歳も昔、この村がまだ神流村という名でない頃。村の衆は妖の影に怯えておった。一息で水を枯らし、地を荒らす化け物。その目は真赤で、日輪のようであった。干魃をもたらしたその化け物を、人は"火窩鬼"と呼んだのじゃ」
重々しい老婆の語りと共に、山の絵が捲れ、燃え盛る炎の絵が現れた。同時に、社の裏から大きな熊の顔が現れる。作り物の熊の頭がガチガチと歯を鳴らし、爪を振り回した。張子で作られた偽物だが、赤い水晶が埋め込まれた二つの目は、夜空で不気味に光る。火窩鬼が爪を振ると、爪を担いだ黒子が激しく動いた。草の張りぼてを薙ぎ倒し、怪獣を模した低い鳴き声が、スピーカー越しに鳴り響く。火窩鬼の登場と共に、和太鼓が激しく打ち鳴らされる。煙を纏い、火窩鬼は闇夜に咆哮した。観ていた子供の何人かは泣き叫ぶ。荒れ狂う化け物を背に、老婆は語りを続ける。
「人智を越えし火窩鬼に人は怯え、渇いて死ぬのを待つしかなかったのじゃ。じゃが、一人の巫女だけは違った」
老婆は明朗とした語り口とともに、煙の中に消えていく。すると、背景だと思われていた社の扉が開いた。眩く輝く社の中。観客達は息をするのも忘れ、社を見る。白い布を靡かせ、一人の少女が現れた。高下駄を履いているにも関わらず、少女は軽快な足取りで、社の階段を降りて行く。紅の走る目で、少女は村に仇なす妖怪を睨んだ。少し気弱に揺れる瞳を観て、夢美は巫女が八重子だと気づいた。花飾りが煌びやかに輝き、朱色の袴が風に揺れる。耕助は驚きのあまり、息を吸い込んだ。
「あ……あれ、本当に八重子だんべか?」
八重子はしなやかな動きで、腰紐にかかった神楽鈴を指に挟み、軽く打ち鳴らす。澄み切った鈴の音が、炎を払い除けるように響く。火窩鬼の首が、小さな巫女の少女を見下ろす。赤い二つの目に睨まれた八重子は、尚も毅然としていた。
「我は総社の巫女なり! 汝はこの地に旱害をもたらす妖と聞き、我は参った! 一つ問う! 汝は何故我らを苦しめるのか!?」
普段よりも張りのある、堂々とした声を上げる八重子。その姿は妖怪に立ち向かう勇士のようであった。巫女の声に頬を打たれ、火窩鬼の首は巫女の元へ降りてくる。
「総社の巫女よ。某が何故汝らに災いをもたらすかなど知れた事。某は炎干。某は天日。某が災いは、人が止める事はあたわぬのだ」
嘲笑うように口を開閉させる火窩鬼。カタカタと牙が打ち鳴らされる音は、本当に笑っているようであった。火窩鬼の返答に、巫女は鈴を腰紐に結び、小刀を取り出した。鞘を抜き放ち、白銀の刃が火窩鬼に向けられる。
「なれば、神代の刀で汝を討ち果たそう! 人に降りかかる災禍を、我は見逃しはせぬ!」
「愚か也、総社の巫女よ。天日を討とうとするとは。なれば、その身、一片に至るまで焼き尽くそうぞ!」
火窩鬼の吠え声が轟く。舞台上にある爪が走り回り、巫女に襲いかかった。巫女は、八重子は袖をはためかせ、悪鬼の爪牙を躱わす。夜空を白い衣が舞う。時折着地にふらつくと、夢美は巫女が八重子に見えた。駆け回る五本爪は止まらず、巫女の体を切り裂く。白い衣が舞い散り、巫女は真っ赤な装束が露わになった。巫女は火窩鬼の首目掛けて小刀を突き刺すが、もう一方の爪に裂かれ、赤色の紙吹雪を散らす。照明に照らされる中、倒れる巫女。鬼気迫る八重子の顔は、本当に巫女が憑依しているようであった。
「哀れな巫女よ。骸になって悔いるがよい」
火窩鬼の口が開かれる。巫女は息も絶え絶えになり、上体だけ起こす。目の前には、真っ赤に燃える火窩鬼の口。この口は自分はおろか、人々まで飲み込んでしまうだろう。血糊がついた腹を抑え、巫女は小刀を両手で振り上げた。
「この地におわします神流の龍神よ! 我々を助けたまえ! 我が命と引き換えに、大水をもたらし、彼の妖を打ち滅ぼしたまえ!」
八重子の叫びが村中に木霊する。鋭い叫びとともに、小刀が一気に振り下ろされた。小刀は巫女の腹を貫き、再び紙吹雪が舞う。八重子はしゃくり上げるような呼吸をして、その場に倒れた。舞い落ちる紙吹雪は、巫女の亡骸に被さる。
その時、雷鳴が巫女の死を嘆くように鳴り響いた。その音はもはやスピーカーのものなのか、本物かすらも分からない。雨が降り注ぎ、燃え盛る炎の絵が消え去り、波へと変わる。奥の山の絵にも、滝が降り注いだ。水が滴り落ちる社の扉が勢いよく開かれる。
甲高い龍笛の音が一筋響き、巨大な龍が現れた。作り物の龍は何人もの黒子によって身体をうねらせ、雨に鱗を濡らす。深緑の体が、雷の閃光に輝いた。龍の首は髭を靡かせ、舞台を自在に駆け回る。ギョロリとした金色の瞳が、八方を睨む。雷鳴とともに、フラッシュが焚かれ、和太鼓の音が轟いた。龍は口を大きく開け、煙を吐き出す。煙が渦巻き、雨雲のように火窩鬼を取り囲んだ。火窩鬼は雲を振り払おうとするが、龍は宙を舞い、次々と煙を吐く。けたたましい雷の音とともに、稲妻の槍が火窩鬼を貫いた。稲妻は目を凝らすと、スポットライトの細い光のようだ。火窩鬼は踊り狂うようにもがき、口を開いてその場に崩れ落ちた。
「巫女の祈りに龍神は応え、ついに悪鬼は倒された。我が身を犠牲にした巫女に龍神は涙し、その涙は雨となって降り注いだのじゃ」
龍笛が風のように吹き抜け、龍は倒れる巫女の前で身体をくねらせる。一際高い龍笛が鳴り響くと、煙が立ち込め、龍は消えていく。煙が舞台全体を覆い、雨だけが降り注ぐ。
「やがてその池は神池となり、今でもこの地に恵みをもたらすという……」
老婆が静かに語り終え、三味線の音が反響する。最後の三味線の音が消えた時、舞台の光は消え、まるで夢のように社も水彩画の山も、暗闇に溶けていった。物語の終幕を感じ取り、観客は自然と拍手をする。物語にのめり込んでいた夢美も引き戻され、戸惑いながらも拍手をした。
「いんやぁ、すごかったんべ八重子。まるで本物の巫女さんみたいだべ」
「うん、すごかった……」
耕助が興奮気味に話す。夢美も劇の余韻が残っているのか、反応が少し遅れた。祭りのメインイベントが終わり、村人達は散り散りになる。
「ご来場の皆様に、ご案内があります。この後、二十一時より神流盆踊りを開催いたしますので、櫓前にお集まりください」
「いっけね。僕、踊んなきゃいけねぇんだ。じゃあね、夢美ちゃん」
「あっ! 待って!」
言い終わらないうちに、耕助は足袋で地面を蹴って駆けていく。夢美が後を追いかけようとすると、地面を揺るがすような雷鳴が鳴り響いた。明らかに催しのものではない音だ。ぽつぽつと大粒の雨が降り、生温かい空気が漂う。雨はすぐに驟雨に変わり、祭り全体を覆い尽くした。




