第十三話 盆祭り
夏の熱気が鳴りを潜める頃、村は静まり返り、何かの準備に密かに進んでいるようだった。村の空気が一変した事を、布団に寝そべる夢美も感じ取る。雨の前のようなツンとした匂いが、夢美の鼻を通り抜けた。夢美はフラフラと布団をめくり、窓から外を覗き込む。灯りのないはずの畦道に、橙色の行燈の列が浮いていた。行燈は村の中心部へと広がっている。所々灯りにまぎれて、人々が往来していた。夢美は階段を降り、千代の元に向かう。
千代は盆棚の供物であるおはぎの餡を煮込んでいた。甘い香りが漂う湯気を掻き分け、夢美は千代の前に立つ。
「あら、夢美ちゃん。どうしたんべ?」
千代は餡が入った鍋の火を止め、夢美を見る。煮えたった餡がグツグツと音を立てた。夢美は少し恥ずかし気に、指を組んでいる。
「おばあちゃん、お祭り、行ってもいいかな?」
「だいじけぇ? 身体の具合は」
千代は細い身体の夢美を見た。この頃少し日に焼けた夢美だが、まだまだ乳白色の肌は不健康に見える。
「大丈夫だよ。友達と一緒に行くから」
「そうだんべか? あ、ちっとんべぇ待って。夢美ちゃんにいい物あげるべ」
千代はすぐさま自分の私室の方へと向かう。夢美は張り切る千代の後ろ姿を見ていた。しばらくして、千代は麻の葉模様のもんぺを持ってくる。鮮やかな菫色のもんぺは、僅かに線香の匂いがした。常盤色の帯が、もんぺの上に添えられている。
「これは、祭り用の装いだべ。夢美ちゃん、嫌じゃないかい?」
夢美は見慣れないもんぺを見つめる。きめ細かい絹の繊維が、電灯の光を浴びて輝いた。夢美はもんぺを手に取り、まじまじと見る。
「嫌なんかじゃないよ。ありがとう、おばあちゃん」
夢美は嬉しそうにもんぺを手に取る。孫の笑顔を見て、千代も満面の笑みをたたえた。もんぺに着替えに行く夢美を、千代は見送る。階段を駆け上がる音が、忙しなく家中に響いた。
家の前には八重子が待っていた。もんぺに着替えた夢美は、八重子に手を振る。八重子は固い動作で手をふり返していた。夕日に照らされた八重子は、儀礼服のような装束に身を包んでいた。龍を模った模様が入った白い法衣に、赤い袴。紅を差した顔は白く化粧が施されており、八重子はいつもより大人っぽく見える。八重子は夢美を見ると、子供らしい笑顔を向けた。
「お待たせ。八重子ちゃん」
「あら、夢美ちゃん、今日は和服だんべな。似合ってるべよ」
八重子に全身を見られ、夢美は恥ずかしくなる。豪華な装飾を纏う八重子は、近づきがたい畏怖さえ感じられた。夢美は高下駄を履いた足で、軽快にステップを踏む。
「劇は、いつ始まるの?」
「祭りの最後だべ。だから、まだ全然屋台見れるだんべよ」
八重子は待ちきれないのか、高下駄を鳴らす。夢美の手を引き、八重子は畦道を駆けて行った。祭りの匂いは、村の中心部に行くにつれて濃くなっていく。
行燈の光が強くなり、空はすっかり夜に変わっていた。村は小規模だが、往来は多い。既に屋台で綿飴を買った子供、射的に何度も挑戦する青年。行燈の列も次第に賑やかになってきた。八重子は一直線に、ある屋台の前へと駆けて行く。
「中之条先生! 遊びに来たんべ!」
「広沢さん、わざわざからかいに来たんですか?」
メイク越しであっても、先生は教え子を見破る。先生が団扇で仰いでいる物体は、夢美が見た事のない物で合った。大判の団子のような生地に、たっぷりと付いた甘じょっぱい匂いのする茶色いタレ。金網の上で、焦げたタレが落ちていた。屋台の上には、"焼きまんじゅう"と書かれている。
「これ、うまいんだべ。先生、一個ちょうだい」
「はいはい」
先生は焼き上がった串を八重子に渡す。八重子はすぐさま、一つ目のまんじゅうを口にした。口をハフハフさせながら、八重子はまんじゅうを咀嚼する。夢美も恐る恐る一本注文する。湯気が立つまんじゅうを、夢美は息を吹きかけて小さく齧った。湯気とともに、甘じょっぱいタレが口の中に溢れる。
「どうですか? 夢美ちゃん。この村には慣れましたか?」
「え? は、はい」
突然中之条先生に話しかけられ、夢美はまんじゅうを喉に詰まらせそうになる。愛想笑いを浮かべ、夢美は先生に答えた。先生は汗を拭い、満足気に笑う。
「このお祭りは神流村で何百年も続いているお祭りですから、ぜひ、楽しんで行ってください」
眼鏡を曇らせながら、先生は夢美に笑いかける。頰から汗が垂れ、先生は慌てて首にかけたタオルで汗を拭った。
「じゃ、先生。絶対アタシの劇見に来てね!」
焼きまんじゅうを食べ終わった夢美を連れ、八重子は先生に手を振った。先生もタオルで汗を拭きながら、二人の姿を見送る。
「や、二人共」
ベビーカステラの袋を持った耕助が、二人に向かって歩み寄った。緑色の法被は小さめで、どこかキツそうだ。白いはちまきを額に締め、足袋を履いている。
「あ、耕助。アンタ盆祭り前にそんなの食べたらお腹壊すだんべ」
「早く買わんと売り切れちゃうから、今のうちに食べとくんだべ」
カステラを頬張る耕助に、八重子は呆れてため息をつく。蜂蜜の入った甘い香りと、紙袋の匂いが漂った。
三人はしばらく屋台を見て回る。歩き回っているうちに、八重子の手にはリンゴ飴と、チョコバナナが握られ、耕助はフランクフルトを齧っていた。あちこちから漂う祭りの匂いに、夢美の胸もざわつく。
屋台の列の奥から、見覚えのある二人の子供がやって来た。背の低い方の子供は焼きそばを両手で持ち、背の高い方は使い古したバットを背中に差し、草鞋を履いていた。三人は傍若無人な兄弟を見て、ギョッとする。
「あーっ! 駄菓子屋にいたよそもんだ!」
小さい方の子供、元博は夢美を見た途端、無遠慮に指を差す。村人達と似たような服装を見に纏っても、よそ者はよそ者。そう言われているようだ。夢美は元博を避けようと、二人の後ろに隠れようとする。元博はさらに言葉を続けようとするが、八重子に睨まれ引っ込む。
「アンタ達も来てたんだね、馬鹿兄弟」
「父ちゃんが出店やってっから、そのついでだんべ。せいぜいオメェが恥かくの見てやるよ」
毒づく八重子をものともせず、忠治はぶっきらぼうに答える。元博も文句こそは言わないが、舌をベーっと出していた。忠治は鼻を鳴らし、弟を連れてその場から立ち去る。八重子は二人の姿が見えなくなるまで、紅が差された鋭い目で睨んだ。
「ふん、恥かくなんかするわけねぇべ。アタシ何回も練習してきたんだから」
八重子は強がるが、その声は僅かに震えていた。ぎこちない足の動きに、若干の緊張がある。おしろいを塗りたくれども、八重子の緊張は見え隠れしていた。
「大丈夫? 八重子ちゃん」
夢美が心配そうに八重子の手を取る。冷たい手に握られ、八重子は大袈裟なほど肩をびくつかせた。八重子の指先の震えが、夢美には痛いほど伝わる。
「平気よ。あんな奴気にしてたら、それこそ本番失敗しちまうべ」
八重子は首を振り、頬を軽く叩く。おしろいが少し取れ、八重子の気弱な表情がわずかに見えた。
「それでこそ八重子だんべ」
「そうよ! 頭きたから、りんご飴齧ってやる!」
八重子はヤケになり、りんご飴を一口で口の中に入れた。岩が砕けるような音を立て、八重子はリンゴ飴を噛み砕く。ボリボリと音を立てたまま、八重子は夢美と耕助を連れて屋台を練り歩いた。
夢美は目を凝らして、ある人物を探す。浅葱色の甚平のあの子。あの子が鳴らす下駄の音。だが、どこを探しても彼はいなかった。やっぱり来てくれなかったか。夢美は胸にぽっかりと穴が空いたように感じられた。空洞になった穴に、乾いた花火の音だけが響く。




