第十二話 甘い話
夢美は駄菓子を抱えながら神社に向かう。鎮は、池ではなく本殿にいた。夢美の姿が目に入ると、鎮は立ち上がり、下駄を履く。夢美は本殿の軒先に、駄菓子を広げた。色とりどりの包装紙を、鎮は怪訝な顔をして見る。時折駄菓子を摘み上げては、しげしげと眺めていた。夢美は本殿の軒先に腰掛ける。檜の匂いが本殿の奥から立ち込めた。本殿の中には空の神棚があり、天井の龍の絵がこちらを睨んでいる。龍の墨は渇きかけており、所々掠れていた。冷えた空気が漂う本殿に、夢美は身震いする。
「これ、駄菓子か?」
「鎮の好きな物が分からなくて……。好きな物があったら取っていいよ」
「…………」
夢美に見守られ、鎮は手早く駄菓子を取ろうとする。だが、目当ての駄菓子が見当たらず、包装紙のロゴに目を回していた。あまり駄菓子を見慣れていない鎮にとっては、知らない菓子ばかりだ。一つ、目についた駄菓子の箱を鎮は取る。チョコの入ったパイの焼き菓子だ。
「これがいい。昔、母さんと食べた事があるんだ」
鎮は夢美の側に座り、パイ菓子を一つ口に運ぶ。夢美もキャラメルの箱を持ったまま、軒先から足を垂らした。パイのサクサクした音だけが、静まり返る本殿に漂う。一口食べるごとに、鎮の目はどこか遠くを見ていた。ふわりとした赤毛が陽に当たり、より一層鮮やかに輝く。
「鎮はずっとここに住んでるの?」
「……生まれたのは東京だ。たまにこの村には来てたけど、父さんと母さんが死んでからはずっとここに住んでる」
鎮はパイを食べながら呟く。夢美は鎮の出生に驚く。村生まれの夢美とは正反対だ。確かに、鎮は他の村の子供とはどこか違っている。訛りのない言葉に、子供達とは違う異質な服装。まるで白い紙に浮いたシミのように、彼は村に混ざれないでいた。
「母さんはここの神社の家系だったんだ。父さんと結婚したら、父さんがここを継いだ。鰐丸を飼ったのもその頃だ」
鎮は寂し気に語る。夢美は空の本殿に想いを馳せた。この色褪せた本殿の床を、一つの家族が踏んでいたのかもしれない。夢美は黙って、キャラメルの銀紙をめくる。
「だけど、父さんは神社の仕事もろくにやらなかった。いつも酒とギャンブルに明け暮れてたんだ。知らない女の人と一緒にいた時もあったよ」
鎮は苦々しく唇を噛む。淡々としていた鎮だったが、言葉が次第に熱を帯びてきた。パイの箱を置き、本殿の奥へ行く。裸足で歩く鎮は幽霊のようで、ひどく寂しげであった。
しばらくして、鎮は一枚の写真を持って来る。そこには、笑顔の三人と、子供に抱えられた一匹の鰐がいた。子供はおそらく、小さい頃の鎮だろう。白いタンクトップに、法被を羽織っている。麦わら帽子を首にかけ、曇り一つなく笑っていた。今の日に焼けた鎮と比べ、白い肌をしている。鎮を肩車している男は、赤毛のザンバラ頭を伸ばし、薄く不精髭が生えていた。小鰐を愛おしく抱きかかえる子供を見て、傍にいる女性は優しく微笑んでいた。女性の柔らかな眉や、まつ毛の長い目は、鎮とよく似ている。今よりずっと鮮やかな朱い本殿で、家族は笑い合っていた。
「ある日、俺と父さんと母さんがドライブに行った時、一台の車が突っ込んできた。運転席と助手席にいた二人は死んで、俺だけが助かった」
鎮が写真を握りしめる。透き通った声は最後になるにつれて濁っていく。手汗で写真が僅かにふやけた。二度と戻らない光景を、鎮は握り潰してしまいそうな勢いだ。
「父さんは色んな人から借金をしていた。だから、村のみんなは俺を嫌っているんだよ」
鎮の瞳が怒りに震える。自分の翡翠色の瞳も、鮮やかな赤毛も、村人にとっては悪名高い父を思い出させるものだ。だが、憎い父親を思い出そうとすると、楽しく笑っている写真が目に入る。あの光景までも、偽物だったのか? 鎮の目から、一粒の雫が写真に落ちる。
「だけど、俺にとっては、父さんはあの父さんなんだ。俺の居場所はここしかないんだよ」
「…………」
夢美はどうすることもできず、打ちひしがれる。今の現状でいいはずがない。このままでは鎮は鰐丸と二人っきりだ。かつてあった、仮初めの幸せに縋る鎮。夢美には、その姿がどこか自分にも重なるように感じた。居場所が病室にしかない夢美。彼の居場所も、神社しかなかった。
「パイ……ありがとう」
鎮は力無く夢美に言う。母親との思い出をつなぐパイ菓子を、鎮は噛み締めていた。何度かしゃくりあげ、鎮はパイを飲み込めないでいる。まるで、過去を拭い去れないように。
「……ねぇ、今度のお盆祭り、一緒に見に行かない?」
躊躇い気に夢美は鎮に尋ねる。自分のかけがえのない友達がやったように。夢美の提案に、鎮は慌ててパイ菓子を飲み込んだ。鎮は目を泳がせ、突然の話に戸惑う。答えを聞こうと顔を近づける夢美を、鎮は直視できないでいた。
「…………だめだ。お前にも分かるだろ? 俺は村人の一員にはなれない。今も、これからもな」
「で……でも……」
夢美が説得しようとするも、鎮は頑なに首を横に振り続ける。拒絶する鎮は、ひどく苦しげな表情だ。鎮は空になったパイの箱を見つめる。
「……今日はありがとう。俺のためにお菓子を持って来てくれて」
鎮は夢美に弱々しく微笑む。長い間口元をあげていなかったのか、少しぎこちない。翡翠色の瞳の奥には、寂しさが揺らいでいた。
昼下がりの一陣の冷風が吹く中、二人は互いを見ている。夢美はそれ以上言葉を紡ぐことはせず、ただ黙って駄菓子の甘さに浸る他なかった。




