Level1-4
部屋の外からドアがノックされた。アンナによる時間切れのお知らせだ。
「お嬢様、お休みになるお時間です」
厳しい訓練や『自由時間』を希望通り過ごす代わりに食事と睡眠を疎かにしないこと。アンナとの約束だ。美と健康を向上することも公爵令嬢の務め。むしろ本職と言えるだろう。
「それではお嬢様、今日はこれで失礼します」
急ぎ部屋を片付け、ヨリからお嬢様に退出の挨拶をする。ベッドに入るまで見張っていないとひとりで夜更かししそうな勢いだが…そこはアンナに任せて問題ないだろう。
「おやすみなさい、ヨリ。また明日ね」
「おやすみなさい」、返事を返して一礼し、部屋を出た。また明日。ヨリにとっては特別なこの挨拶を、毎夜お嬢様は口にする。
父への日報を終え使用人棟に戻りぐるりと見回りをする。人と物の出入りの記録に目を通し、不審や異常がないことを確認する。
「おかえり、ヨリ。今日も遅くまでお疲れさんだな」
厨房の奥から料理長のゼリリフが顔を出した。ちょっと待ってな、とすぐ奥に引っ込んでしまう。この後の流れを予想して、食堂の椅子に腰かけた。
「ただいま。ゼフさんこそまた新メニューの開発?もうすぐ朝の仕込みの時間だよ」
「夢中になっちまってな。これ残りもんだけど、食ってくれ」
湯気の上がるスープボールをもってきてヨリの隣に座る。
「いただきます」
差し出されたポタージュを一口飲むと、口いっぱいにうまみが広がり鼻から芋の香りが抜けた。おいしい。芋と野菜の芽…が入っている色味だ。詳しいレシピは教えてもらえないが。火傷に気を付けつつ夢中で飲み干してしまう。ほっと息を吐くと、隣で見ていたゼリリフに頭をワシワシと混ぜられた。
「しっかり食わんと、でかくなれないぞ」
料理人だからか、手がごつくてばかでかい。「じゃあな、早く寝ろよ」とまた厨房に戻る背中に、「おやすみ、ごちそうさま」、と声をかけ、自室に向かった。一日の疲労は残ったままだし髪もぼさぼさ。それでもお腹がほかほかしている。
今日も一日滞りなく終了した。スパイと執事見習いの二役とも抜かりない。
―――公爵家に忠誠を示し信用を得ること
ヨリに与えられているスパイの任務は父の外部との連絡手段の一端を担うこと。そして公爵家の使用人の監視と管理。炊事場や洗濯場などに顔を出し御用聞きをするなかで、使用人に困り事や変わった様子がないか確認する。外部との情報のやりとりも見落としてはいけない。
生まれ育ったこの場所で、自分を育てた人たちを欺き、疑い、見張っている。
ベッドに倒れこみ、洗いあがったふかふかのシーツに包まって目を閉じる。
朝、王都にそそいでいた朝陽と剣を振るうお嬢様の金髪の眩しさが暗い瞼の裏に残っている。
ヨリはスパイとして身を潜めている立場で、目立った行動はできないし何の力も持っていない。しかしお嬢様は両国の和平をいつか成し遂げるかもしれない。家柄も申し分なく頭脳明晰で行動力もある。
バイタリティもとんでもないしな、と考えて、喉の奥でクツクツと笑う。
一度だけ、父に聞いたことがある。スパイとしての今の生活が終わることはあるのかと。
今日国への帰還命令が出て突然終わるかもしれないし、スパイのまま死ぬかもしれない。どちらにせよ、自分で選ぶことはできない。
はっきりと答えた父の表情は見えなかった。
粉骨砕身努力されているお嬢様に、望む世界を手に入れてほしいと思う。
その時自分はここにいないだろうけれど。
あっという間に睡魔に襲われる。
「また…明日」
小さく落とした言葉は誰にも届かない。明日もまた、いつもと変わらない一日であればいいと願って、意識を手放した。
■スパイLevel1■ 敵国公爵家で執事見習いになる




