Level1-1
スルディオーネ国王都にあるフォルステル公爵家王都邸。
フォルステル公爵家に仕える執事見習い、ヨリの朝は早い。
使用人棟で起床後、食堂で使用人の朝食用に籠いっぱい用意された食材の下ごしらえに取り掛かる。ナイフの扱いも慣れたもので、あっという間にノルマを終える。
「ヨリ、ご苦労さん。これ食っていきな」
料理長のゼリリフに貰ったパンをミルクで流し込み、お礼を残して食堂を後にする。
「ヨリ!ナポルが起きてこないんだ。ついでに叩き起こしてきておくれ!」
洗濯室から侍女頭シルクの指令が飛んだ。背中に受け止め、使用人棟最上階まで駆け上がる。上から下へ駆け回り、全室のシーツを回収する。途中、シルクの息子で同じ執事見習いのナポルの部屋だけベッドがこんもり膨らんでいたので勢いよく跳びあがり両足で踏みつけた。踏まれた猫みたいな叫び声をあげたナポルから遠慮なくシーツを奪い、洗濯室を目指す。
手応え…『足応え』的に今日は太ももに乗っただろうか。痛そうだ。
シルクにシーツを託し、すぐに洗濯室から駆け出す。「また靴跡がついてるじゃないか」、というお小言は聞こえなかったことにした。
最後に、今日の使用人棟への業者の出入りを確認する。食材の搬入、不足設備の補充、郵便に宅配の定期便。新しい顔はなさそうだ。
早朝の仕事を一通り終え一呼吸つく。問題ない。今日もいつもと変わらない一日が始まる。
本棟の仕事に移るため渡り廊下に出ると、朝陽の中に見慣れたお団子頭を見つけた。小走りで駆け寄り声をかける。
「アンナさん、おはようございます」
「ヨリ様、おはようございます。毎朝のお約束ですが、お屋敷内を走ってはいけませんよ」
清潔に整えられたメイド服に栗毛の長髪をお団子にまとめた女性がヨリに振り向く。忙しい朝でも足を止めてあいさつを返してくれるその表情は、注意する言葉とは裏腹に柔らかい。アンナは公爵家ご令嬢の専属侍女で、身の回りのお世話や相談役を一手に担う凄腕だ。ヨリが追いつき横に並ぶと、先ほどより歩調を緩めて歩き始める。
「こちらも毎朝のお約束ですが、様に敬語はやめてくれませんか。わたしはただの見習いですよ」
「将来お立場が変わったときに備えて今から慣れておいてくださいませ。それに、私はこの口調が話しやすいのですよ」
頭ひとつ分ほど背が高いアンナの顔を見上げてお伺いを立てるが、にこりと笑顔で却下された。昔は弟のように扱われていたように思うが、いつからか口調や態度に距離を感じるようになった。ヨリが将来父の後を継いで執事や家令になるかもしれないと言っているのだろうが…。先のことはわからないし、年齢もずいぶん自分のほうが下なのでいたたまれない。…ちなみに歳の話は口に出すべきではないと、生まれてからの十三年で学んでいる。
「ではまた後ほど」、アンナの挨拶を合図に二手に分かれて大広間に向かう。アンナはお嬢様の部屋へ。ヨリは公爵家ご家族の朝食準備を手伝うのが次の仕事だ。
「ヨリ」
後ろから名前を呼ばれて立ち止まる。声の主はフォルステル公爵家家令でありヨリの父、タツル・ヨルデルだ。スルディオーネ国では珍しい灰色の髪と瞳。髪は後ろにまとめ上げられ瞳には眼鏡をかけている。いつも通り、穏やかな佇まいだ。
「父様、おはようございます」
「おはよう。すまないが街に使いに出てきてくれ」
「皆様の朝食が終わるまでにな」、とメモ紙を渡される。頷き、使用人棟に引き返して使用人口から公爵家を出た。渡されたメモは街の朝市で調達可能な買い出しリストだ。目を通しながら小走りで向かう。
街の中心部に着き大通りから横道に入ったタイミングで、カーゴポケットから出した帽子を目深にかぶり、背を丸めて歩幅を広げ、歩調を落とした。これだけで普段挨拶を交わす顔馴染みからも声をかけられることはない。買い出しリストに隠して渡された本命の指示書で今日の集合場所を確認する。
スルディオーネ国王都に潜伏するノルテルド国のスパイが待つ場所だ。
父が北のノルテルド国から潜入しているスパイだと聞かされたのがいつだったか、ヨリは覚えていない。物心ついた時にはすでに父との間にいくつもの約束事があった。
目的地に着いたところで背中に視線がないことを確認し、裏路地に入る。家の壁を二、三度蹴って屋根に上がる。ここなら、後をつけられたとしても屋根に上らない限り姿はとらえられないし、地上に声も届かない。
―――誰よりも『普通』にスルディオーネ国民として生活を送ること
普通の人間は壁から屋根に上らないので、人に見られてはいけない。幼いころからスパイとして与えられた知識や力は確実に身に宿っている。
屋根の一部を強く踏んで足音を立てると、天窓のように屋根の一部が開かれた。人が一人通れるほどの隠し扉だ。
「よう、ヨリ。遅かったな」
顔は出さず声をかけてきたのは情報の運搬係を務めるスパイ仲間だ。スルディオーネ国ではベリルと名乗っているが、本名は違うだろう。
「おれは最速で来たぞ。約束と違うなら親父に言ってくれ」
乱暴に答えながら、父から渡された伝令文を屋根の下に差し出した。無駄話をしている暇はない。「へいへい」、と気のない返事とともに小包を差し出される。ご丁寧に、買い出しリストに載っていた店の包装紙で包まれている。中身はノルテルド国から父への定期連絡だ。
「じゃあな」
「待てって。お前、俺様のおかげでだいぶ『それ』っぽく見えるようになっただろ。今度礼にうまいもんでも持ってきてく」
仲間の言葉は最後まで聞かず屋根の扉を閉めた。公爵家で育てられ『いいとこの坊ちゃん』全開だったヨリに街に馴染む振る舞いを教えたのはベリルだ。身振りや口調の指南を受けるうちに気の知れた仲になったため毎回何かしら軽口をたたかれるが、本気でないことはわかっている。
足元の喧騒に目を向けると、朝の中心街に陽が差し活気づいてきている。視線を上げると視界いっぱいに朝陽に照らされた街が広がる。スルディオーネ国王都。気候は穏やかで人はおおらか。たくさんの人が長く平和に暮らしている。
他国の人間が潜んで何か企んでいるなどと誰も思わないだろう。
―――ノルテルド国に忠誠を誓うこと
生まれてから一度も見たことのない自国・ノルテルドは、雪と氷に覆われた冬の国らしい。父の灰色の髪と瞳はノルテルド人に多い特徴で、雪景色に馴染むという。ヨリも父譲りの髪と瞳を持っているが、豊穣の大地を誇るスルディオーネでは正直浮いていると感じる。
目がかすむほどの朝陽に背を向け、暗がりの裏通りに向けて屋根を降りた。




