第5章 沈黙の館
夕暮れの森は、まるで息をひそめたように静まり返っていた。
鳥たちは巣に戻り、木々の影が長く地に落ちている。空の端には沈みきらぬ陽が、微かに空を紅に染めていた。
リュシエンヌは、息を整えて侯爵家の屋敷を見上げた。窓の灯りはまだいくつか残っている。使用人たちが夕餉の支度をしているのだろう。
胸の奥がきゅっと締め付けられた。そこは、かつて自分が「侯爵家の娘」として過ごした場所。
けれど今は、「呪いの娘」として追われるように森の奥の納屋へと追いやられた――。
(……誰かに見つかったら、また……)
侯爵家へ忍び込む時はいつも恐怖が頭をよぎる。
けれど、倒れている彼の顔が浮かぶ。
彼は何かに巻き込まれて怪我を負い……目が見えなくなった。
彼は私よりも沢山の恐怖の中にいる……それでも「ありがとう」と言った声。
(あの人を、助けたい……)
向かい風が冷たく彼女に吹き付ける。けれど、胸の奥は熱く脈打っている。
リュシェンヌは壺にそっと手を添えて言葉を綴る。
《お母様……どうか、私に勇気を……》
リュシエンヌは物陰に身をひそめ、裏口の見張りが交代する瞬間をまった。
静かに深呼吸をする。
壺の中で光が一瞬だけふわりと揺れる。
それがまるで「行きなさい」と背中を押してくれているように感じた。
見張りの隙をついて裏門の近くにある蔦に覆われた古びた扉まで駆ける。扉は、まだ錠が壊れたままだった。
幼いころ、母と一緒に森へ野苺詰みに抜け出すために使った小道。
その記憶に導かれるように、彼女は音を立てぬよう扉を押し開けた。
中庭には、風に揺れるバラの香りがほのかに漂っている。もう誰も世話をしなくなった花々は、自由に伸び放題だ。
庭を抜けて、庭師の道具小屋の床下の扉を開けて、地下道を通る。
使用人から壺を被った姿を恐れられ、傷ついて部屋に閉じこもったリュシェンヌに、父は秘密の抜け道を幾つか教えてくれていたのだ。
足音を忍ばせ、リュシェンヌは屋敷の中へ滑り込んだ。薄暗い廊下。磨き上げられた床。
すべてが懐かしくて、でも今は遠い世界のようだった。
図書室に忍び込んだリュシェンヌは、ろうそくに火を灯す。
図書室は、まるで時間を閉じ込めたような場所だった。
天井まで届く書棚が何列も並び、革表紙の古い書物が整然と並んでいる。
リュシェンヌは揺らめくろうそくの光を頼りに、一冊一冊の背表紙に指を滑らせる。
§
どれくらいの時間が経っていたのか、窓の外はどっぷりと暗闇に覆われていた。
リュシェンヌは「毒を中和する薬草の本」や「治療法を記述された本」を抱えて、納屋に戻ろうとしたその時、扉の外から話声が聞こえてきた。
リュシェンヌは慌てて書棚の隅に隠れ、ろうそくの火を消した。
扉を開けて、ランプを手に、中に入って来た人物は2人。
継母のセラフィーヌと、深緑のマントに身を包んだ見知らぬ騎士だった。




