第9章 近づく心
リュシェンヌが目を覚ました時、青年はベットに腰かけていた。
昨夜とは違い、その顔には穏やかな光が宿っている。
慌てて彼女は立ち上がり、そばに駆け寄った。
――すっかり眠ってしまっていたわ!
「……体の……調子は……どうですか?」
リュシェンヌは胸の鼓動を押さえるように、恐る恐る問いかけた。
彼は目を細め、かすかな笑みを浮かべた。
「……目が、見えるようになったんだ」
その声には喜びと、安堵が静かに溶けていた。
「君のおかげだ。助けてくれてありがとう。リュシェンヌ」
真っすぐな感謝の言葉。彼の言葉に嘘の色は視えない。
その視線に包まれて、胸が温かく満たされていく。
――でも。
ふと自分の姿に気づいてしまった。
壺を被ったままの自分。
「呪いの娘」と呼ばれ、森の奥の納屋に追いやられた、自分……。
高鳴った心は、次第に萎んでいった。
きっと彼も、怖がってしまう。
そして何も言わずに去っていくに違いない……。
リュシェンヌ小さく唇を噛み、うつむいた。
けれどその沈黙を破るように、青年はそっと立ち上がり、彼女に歩み寄った。
そしてリュシェンヌをそっと抱きしめた。
その瞬間、リュシェンヌの中で何かが音を立てて崩れた。
ずっと張りつめていた恐れや孤独が、彼の腕の温もりの中でゆっくりと溶けていく。
衣服越しにも伝わる体温は、思っていたよりずっと温かかった。
彼の胸に耳を寄せると、鼓動が伝わってくる。
その一定の音が、不思議と心を落ち着かせる。
——人の温もりってこんなにも優しいものだっただろうか。
けれど次の瞬間、はっとして身を引いた。
「っ……!あ、あの……!」
リュシェンヌは顔を真っ赤にして慌てて後ずさる。
「ご、ごめんなさい!その、わ、私……!」
焦りで言葉が壺の中で跳ね返り、こもった声が何重にも折り重なる。
まるで、壺の中の彼女自身がもう一人いて、からかうように同じ言葉を繰り返しているかのようだった。
「わ、わたし……っ!」
「……わたし……っ!」
反響する声にさらに動揺して、両手で壺を押さえる。
青年は、一瞬ぽかんと目を瞬かせた。
そして、次の瞬間、耐えきれずにふっと吹き出し笑った。
「あはははっ」
その笑い声は、あたたかくて、どこか懐かしい色に視えた。
からかうでもなく、ただ心から安堵したような笑いだった。
「……あなた、笑うなんて……ひどいわ……」
小さな声で呟くリュシェンヌに、彼は優しく首を振った。
「……あ、あの、……あなたは、この姿を……怖いと……思わないの……?」
「君は……壺を被っているだけの、普通の女の子でしょう?」
その言葉に、リュシェンヌの胸の奥が強く震えた。
誰からも恐れられ、避けられてきた彼女にとって‘‘普通の女の子‘‘と呼ばれることが、どんなに遠い言葉だったか。
「……でも……私は……呪われているの」
かすれた声が、壺の中で反響して、胸の奥にひっそりと残る余韻のようだった。
青年は少しの沈黙の後、穏やかに首を振った。
「君は僕を助けてくれた」
静かに、でも力強く言葉を紡ぐ。
「君が苦しんでいるなら……僕は力になりたい」
その声は、リュシェンヌの胸の奥まで温かく届いた。
壺の中で、呼吸が震える。
涙があふれそうになって、思わず顔を背ける。
——どうして、こんなにも優しい言葉をくれるの……?
朝の光が二人の間に差し込み、埃の粒がキラキラと輝くように舞っていた。
世界が少しだけ、優しくなった気がした。




