第393話 二日/朝/その中身、実に三万円
夜が明けた。
1月2日、午前6時。
随分と早く目が覚めちまいましたよ、また……。
まぁ、正直あんまり眠れていない。
考えることが多すぎて、目を閉じても頭の中が落ち着かなかった。
昨日は、夕食後にミフユと電話したりして終わった。
ミフユにこっちでの一件を話したら『何ですって、すぐ行くわ!』とか言ってた。
「君、まさかそれを口実にしてこっちに来たいだけだけでは?」
「…………」
返ってきた無言が何より雄弁だったんだなー、これが!
電話の向こうで夢莉が『ミフユちゃん、逃がさないわよ!』って言ってたし。
そこからは三十分ほどミフユの愚痴に付き合ったね。
親戚からやたら息子を紹介されたりお見合いを打診されたりだったとか。笑うわ。
「全員のデータを揃えておいてください。仕返しに行くんで」
「落ち着け」
逆に止められてしまった。
何でだ。人のカミさんにコナかける連中なんだぞ!
って、言ったら『せめて精通してから言え』と叱られた。くぅ、小二の身が辛い。
さて、朝だが、他の皆はまだ寝ている。
俺はそっと部屋を出て、屋敷の中を軽く散策していた。
まだ陽はのぼりかけで、辺りは結構暗い。
それでも完全な闇というワケではなく、空は深い紺色をしている。
かすかに差す明るさによって、屋敷の中も薄影に覆われている程度になっている。
窓際に真っすぐ続く廊下を、今、俺は歩いている。
いや~、やたら広い。
平屋ではあるが、とにかく部屋が多いし庭も広い。池があるお庭とか初めて見た。
何となく、探求心がくすぐられるというか、ワクワクしちゃう。
いや、お袋のこととか、あの赤い影のこととか色々考えなきゃいけないんだが。
でも仕方ないよね。小二だモン。
好奇心旺盛なのも全部、年齢のせい。俺、悪くない。
廊下が板張りだから音が鳴りやすいのが辛い。
俺は意識して足音を立てないよう歩いているが、それでも多少は鳴る。
歩いているうち、欣司が寝ている部屋の近くに差し掛かった。
昨日のうちに王原が手配した医者もやってきて欣司を診察した。結果は原因不明。
今の欣司は、どうやら完全な仮死状態というわけではないらしい。
非常に薄いが呼吸をしており、心臓もかすかにだが動いている。
ただ、それらが本当に微弱であるため、はたから見ればないように映ってしまう。
そういった状態らしい。
魂を七割抜かれた人間はそういう状態に陥るということか。
医者はすぐに大きな病院に移すべきだと主張したらしいが、王原がそれを拒んだ。
周りが山に囲まれたこの僻地からとなると、大きな病院までは相当遠い。
ほぼ仮死状態の欣司が移動中のストレスに耐えられるのか。
王原はそれを危惧したようだった。今の欣司は七割死んでいる。怖くもなるか。
結果的に、病院で使っている危惧を屋敷に持ち込むことになった。
現在、欣司の部屋は集中治療室みたいな有様だ。もちろん、入室禁止。
その部屋の前を、俺は通りかかろうとする。
だが、そこで部屋を仕切るふすまがガラリと開いて、中から美喜子が出てきた。
「あら」
「お」
思いがけない遭遇。あっちも、俺がいたことに驚いているようだ。
俺は、美喜子を見上げて、改めてその姿を観察する。
和服姿の、年をとったお袋。まさにそんなイメージの女だ。
見た目だけでいえば、非常に楚々とした、上品な歳の取り方をしたババアだ。
が、中身はちょっと薄まっただけの以前の『お袋』そっくりなことなかれ人間だ。
昨日の年始の挨拶についても、欣司が倒れたあとはこいつが取り仕切った。
自分から前面に出るだけ『お袋』よりはマシだが、方向性は一緒だ。
客や親族を帰らせたことについて、徹頭徹尾『厄介ごとはゴメン』だからだしな。
「おばあちゃん、おはよう!」
だが、俺はいい子なので、このババアを前にしてもちゃんとご挨拶してやるぜ。
すると美喜子もニッコリと笑って、膝を屈ませる。
「はい、おはよう。アキラちゃんだったわね」
「そうだよ、僕、金鐘崎アキラだよ」
「あら、ちゃんとお名前も言えるのね。えらいわね~」
美喜子が俺の頭を撫でてくる。
全身にゾワワっと悪寒が走ったが、がんばって笑顔を保ちましたよ、俺。
奥座敷の一件を止めない時点で、俺の中では美喜子はだいぶギルティ寄り。
でも、昨日、助けられたこともあり、現在はまだ判断保留中なんだよなー。
それはそれとして、俺個人としてはかなり嫌悪感ビシバシだけど、このババア。
だって『お袋』のこと思い出すんだモンよー。気分いいワケねぇっての。
「アキラちゃんはどうしたのかな?」
「目が覚めちゃったから、お屋敷の中をお散歩してたんだ」
「あら、そうなのね。ここ、大きなお屋敷でしょう?」
「うん! すごい広いね。迷いそうになっちゃった」
あ~、キツいキツい。
別に子供のふりをするのは苦じゃない。いや、俺は実際に子供だしね。
しかし、このババアと会話するのがキツい。
でも、こいつの扱いをどうするべきかも決めないといけない。
この女が、俺と、お袋にとってどういう存在か、しっかりと見極めねばならない。
俺は、チラリと美喜子が出てきた欣司の部屋の方を見る。
それに、美喜子も気づいたようで、
「おじいちゃんのことが気になるの?」
「……うん」
うなずいておくと、返ってくるのは『ごめんなさいね』という答え。
「おじいちゃんね、今、まだ寝てるのよ。起こしちゃいけないから、ね?」
「わかったー」
立ち入らせるのめんどくさいです、という空気を、目の前のババアから感じとる。
あ~、本当に『お袋』に似てんな~、色々フラッシュバックするぜぇ……。
「いい子ね、それじゃあ、お菓子をあげましょうねぇ。こっちにいらっしゃい」
「は~い」
どうやら美喜子は、俺を欣司の部屋から遠ざけたいようだった。
拒んでもうま味はないので、ここは従っておくことにする。お菓子欲しいし。
美喜子についていって辿り着いた先は、もはや見慣れた畳敷きの部屋。
大きな木のテーブルが置かれていて、その上に菓子が乗った菓子盆があった。
「ここはお客さん用のお部屋の一つなの。ほら、お菓子があるでしょう? 好きに食べていいわよ。今、ジュースを持ってくるわね」
と、美喜子は一度部屋を出る。台所が近いようだ。
しかし、オイオイ、いいのかいおばあちゃんよ。まだ朝食前だぜェ?
これがお袋だったら『もっかい寝ときな』でフィニッシュですよ。
少し待っていると、お盆にジュースを注いだコップを乗せて美喜子が戻ってくる。
「お待たせ。オレンジジュースでよかったかしら」
ヘッ、オレンジジュースだと、ババアめ。そんなモノはなぁ、大好きだぜ!
「うん、ありがとうばあちゃん!」
「それと、はい、これ」
ジュースを俺の前に置いたあとで、美喜子が俺に何かを差し出してくる。
こ、これは、もしや――、
「あけましておめでとう、アキラちゃん。ママには内緒ですよ」
お年玉だァァァァァァァァァァァ――――ッ!?
「う、うん」
若干の緊張と共に、俺はポチ袋を受け取る。
ぉぉぉ、おおおおおお、袋が内側から膨れてやがる。中の紙幣が一枚じゃないぞ。
「それで何か、好きなモノでも買いなさい」
お金持ちがよく言うセリフ第四位(スダレ調べ)を言って、美喜子は俺に笑う。
「ありがとう!」
中身は確認せず、俺はひとまず礼を言う。
すると、美喜子はどこか懐かしむような目をして、また俺の頭を撫でてくる。
「何か、思い出しちゃうわね……」
「何が~?」
「アキラちゃんのママもね、小さい頃は今のアキラちゃんみたいに元気だったのよ」
――ほぉ、あの『お袋』が。それはなかなか意外な。
「でもね、あの子が学校に上がってからはおじいちゃんが厳しくしつけてね、いつの間にか大人しい子になっちゃったのよね。人っていうのは変わるものだわ」
ちがうだろ、それ。
欣司が厳しくしつけたのはそうかもしれないけど、大人しくなった理由は違う。
小夜子や美智子、崟吾なんかがよってたかって抑えつけた結果だろ。
何かをするたびに『お袋』は騒がれ、罵られ、否定され続けたんだろ。
そして、結果として、ただ流され続けるだけで何もしない人間になっちまった。
おまえだってそれに消極的な形で加担していたはずだぜ、ババア。
ウチの『お袋』を『助けない』という手段をもって、突き放していたんだろうよ。
だってお袋は言っていた。
美喜子は、ちょっとマシなだけの『過去の自分』だ、と。
かつて、自分の保身のために『お袋』が『僕』を豚に捧げたように。
おまえも、同じことを『お袋』にしたんだろ、金鐘崎美喜子。目に浮かぶよ。
「どうかした、アキラちゃん?」
「ん~ん、何でもないよ。お年玉、嬉しいな」
「そう、よかった」
あ~、マズいマズい。ちょっと体内の水分が沸騰しかけちゃったわ~。
正直言えば、今この場で仕返ししてやりたい気分ではある。
だが、それは先走りってモンだ。
お袋こそが、このババアに言いたいことがあるだろうからな。
俺が仕返しをするのはそのあとだ。
目の前のババアに、お袋が溜め込んでいる恨みを吐き出してから。それがいい。
だが、その前に――、
「あのね、おばあちゃんは……」
「何かしら?」
「ママに、この家に戻ってきてほしい?」
「それはおばあちゃんが決めることではないわねぇ……」
誰もおまえに決めろなんて言ってねぇんだわ。何を上からモノを抜かしてやがる。
「おばあちゃんは、みんなには仲良くしていて欲しいと思っているわ」
はい、なるほどね。
要するに『何も起きないのが一番楽。厄介ごとに関わりたくない』ってことか。
悪意ある解釈とは思わない。
何故ならこのババア、言ってることとやってることが食い違ってるからだ。
本当に『仲良くしていてほしい』というなら、奥座敷のときに止めに入れよ。
自分の目の前で、娘がいとこに因縁吹っ掛けられてたんだぞ……。
やっぱもう、今から仕返ししちまおうかなー。
と、思う俺であったが、残念ながらここでタイムアップ。
「おはようございます。奥様」
「おはよ~ごっざいま~っす! って、あれあれ、子供がいる~!」
部屋に入って来たのは、茅野のオバチャンと那岐和十萌のお手伝いさんコンビ。
「あら、あんた、美沙子さんトコの子だね」
「アキラっていいます!」
茅野のオバチャンに呼ばれて、俺は元気よく手を挙げる。
お年玉はすでにポケットに隠した。これはもう、俺のモノだァ……!
「あ、ちょっと奥様、朝ごはん前に子供に何食べさせてるんですか!」
「あらあら、見つかっちゃったわ。ごめんなさいね」
目ざとく菓子が減っていることに気づいた茅野に叱られ、美喜子がコロコロ笑う。
それから少しして、屋敷に滞在している面子が次々に起き出してくる。
ほどなく、朝食の時間になった。
食事時ということもあり、赤い影の襲撃を警戒していたが、何事もなかった。
「く、苦しい……」
「ご飯前にお菓子なんて食べるからだよ」
朝めしを食って満腹で動けなくなった俺に、お袋がため息をついたのだった。
あ、お年玉はバレて没収されました。クソがッッ!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アキラが食べ過ぎで苦しんでいる。
別に負傷したワケでもないので、それは全回復魔法でも回復できない。
美沙子は、アキラを部屋まで連れていって布団に寝かせた。
どうやら少し睡眠が足りていないようだ。
息子に「横になってな」と告げて、自分は静かに部屋を出ていく。
シンラは今現在、ヒナタと電話をしている。
タマキはカリンとジンギの様子を見に行っている。気になるのだろう。
そうして、今、美沙子は一人きりだ。
といっても、シンラとは10mも離れていない。
美沙子が見る曲がり角の先に、彼はいる。
この、金鐘崎本家屋敷で、シンラは常に自分から離れず近くにいてくれる。
それが、とても心強く感じられる美沙子である。
異世界では、アキラが巣立って以降は一人で生き続けてきた彼女だ。
頼れる他人という存在自体、実は未だに慣れ切っていない。
アキラはもちろん頼りになるが、彼は息子だ。
どうしたって、他人とはまた違った関係性となる。
今の、金鐘崎美沙子が何も考えずに頼れる相手、それはシンラだけだ。
かつてはそこに宙船坂集もいた。
しかし、彼との関係を壊し、断絶させたのは他でもない『自分』である。
今さらアキラのこと以外で集に頼るのは厚顔無恥というものだ。
集とて、自分についてはシンラに任せる気でいる。
美沙子は知っていた。
シンラと集が、月に何度か一緒に飲みに行っていることを。
あの二人はあの二人で、友人関係を構築している。
それが、ほんのちょっと羨ましかったりもする美沙子なのだが――、
「美沙子さん」
背後から、誰かが美沙子に声をかける。
振り返れば、そこにいたのは那岐和八雲。欣司がさだめた、自分の再婚相手。
「ちょっと、話をしたいんだ。いいかな」
眼鏡の奥にある瞳は、随分と真剣だ。
どうやら、朝も早くから重要な話をするつもりらしい。
だが、いい機会だ。
彼ともさっさと決着をつけなければならないところではあった。
「わかりました。いいですよ」
シンラにも聞こえるよう少しだけ声高に、美沙子は答えた。
八雲との話し合いは、庭で行なわれることになった。




