第394話 二日/朝/那岐和八雲、大いに語る
ヒナタが心配になって電話したら、逆に心配されてしまった。
『そっち大変なのに、私に電話してる余裕あるの~?』
「むぐ……」
と、一瞬言葉を詰まらせるシンラであったが、反論がないワケでもない。
「……仕方がなかろう。おまえのことも心配なのだ」
『もぉ~、心配性なんだからぁ~』
「当たり前ではないか。余は、おまえの父親なのだぞ」
『全く、仕方がないなぁ、おとうさんは~』
スマホの向こうから、ヒナタが苦笑する気配が伝わってくる。
『こっちは大丈夫だよ。おじいちゃんもおばあちゃんもいつも通りですよ~』
「そうか。いや、そうだとわかってはいるのだがな……」
自分が抱いている心配は、根拠のない心配だ。
そんなことは重々承知しているが、やはり気にはなってしまう。過保護だろうか。
『フフフフ~、いいよ、わかってるから。あ、それとお兄ちゃん』
「何だ?」
『おじいちゃんが、結構、みさちゃんのこと気にしてるみたい』
「む、やはりか、わかった」
藤咲家には一度美沙子を伴って挨拶に行った方がよさそうだ。
問題はないだろう。いや、藤咲夫妻のことを考えれば、むしろ気が合いそうだ。
これについては、あとで美沙子に共有しておこう。
さて、その美沙子だが、八雲に連れられて庭に出たようだった。
屋敷の裏側の方、勝手口に繋がっている庭だ。
そこから外に出る気配は今のところないが、八雲は何を話すつもりなのだか。
『美沙子さん、大丈夫ですか?』
ヒナタとの電話を終えたのち、シンラは美沙子に魔力念話を送る。
そして自分は『隙間風の外套』を羽織って、足早に屋敷の外に出て勝手口近くへ。
『はい、大丈夫ですよ。シンラさん。ひとまず話を聞いてみますね』
『近くに待機しております。何かあらばいつでもお呼びください』
『もちろんです』
美沙子の答え方に、彼女からの信頼を感じる。
シンラがいるのは塀を越えた美沙子達のすぐ近く。盗み聞きのような形になる。
だが、シンラは八雲のことを何も信用していない。
美沙子に対する執着は本物のようだが、そこにあまり誠実さを感じられない。
最悪、何かの形で暴発するかもわからない。
さらにいえば、あの男が赤い影の異面体の本体である可能性もある。
美沙子の実力は知っているが、さりとてそれは心配しない理由にはならない。
偵察用ゴーグルをつけて、塀越しに屋敷裏手の庭を見る。
そこもまた、結構な広さがある。見るからに立派な石灯籠が印象的だ。
やはりこの屋敷、相当な歴史があるようだ。
その庭の真ん中に八雲と美沙子が立っている。
八雲は、随分と真剣な様子だ。いや、緊張しているのだろうか。こんな朝から。
「美沙子さん」
シンラが覗き見しているところに、八雲が意を決したように口を開く。
「改めて、君に結婚を申し込ませてもらいたい」
「…………」
切り出されたのは、結婚の申し込み。つまりはプロポーズ。
だが美沙子は無言のままだ。何も反応せず、八雲の話に一応は耳を傾けている。
「こんな朝早くから何を、と思うかもしれない。でも一刻も早く伝えたかったんだ」
「なるほど、それで?」
「君に、知ってほしいんだ。僕がどれだけ本気かということを」
両腕を広げて、八雲は美沙子に対して必死な様子を演出しようとする。
だが、その顔にはどこか余裕が残っている。本人は気づいていないだろうが。
「八雲さんは――」
美沙子が、口を開いた。
「アタシに何を求めるんですか?」
「何を、とは?」
「今さら、愛だ恋だと口にするような歳でもないでしょう。アタシらは」
言いつつ、彼女は口元に笑みを浮かべる。
それは、相手を露骨に小馬鹿にするような笑みだ。
言葉だけの求婚に応じる気はない。美沙子はそれを言葉もなしに表す。
八雲の顔色がにわかに変わる。怒る、というよりは、より真剣な面差しになる。
なお、シンラは極々真剣に『愛だ恋だと口にしますが、何か?』と言う男である。
だがどうやら、那岐和八雲は違うようだった。
「そうですね。僕達はもう大人だ。色恋だけで人生を決めてはいけませんね」
バカめ、色恋も含めて人生を決めるのだ。と、シンラは思う。
年をとったからと己の中の幼さを否定するのは、それこそ子供じみた行為だろう。
「美沙子さん、僕が君に結婚を申し込む理由は、君が必要だからなんだ」
「それは、どういった観点で?」
「今、僕は与党議員のもとで議員秘書を務めている。これの意味はわかるかな」
「将来的に、八雲さんも議員になるおつもり。ということですよね?」
答える美沙子に、八雲が神妙な面持ちのままでコクリとうなずく。
「この先、僕は経験と実績を積んで、父の基盤を継いで政界へ進出する予定だ」
那岐和八雲は国会議員の息子。いわゆる二世議員になるつもりか。
シンラも、那岐和という苗字には心当たりがあった。与党議員の那岐和六郎だ。
「そんなおエラい人の奥さんに、このアタシが? 御冗談でしょう?」
「いいや、冗談じゃない。考える限り、《《君が最適なんだ》》、美沙子さん」
「最適……」
シンラが眉をしかめる。
最適という言葉には、一体どんな意味が含まれているのか。
「申し訳ないけれど、君の経歴を調べさせてもらったよ、美沙子さん」
「そのくらいはするでしょうねぇ、議員さんの息子ともなれば」
「これについては詫びても詫び足りないと思う。でも、僕には必要なことだった」
八雲が、深々と頭を下げる。
だが、果たして『でも』がつく謝罪は本当の意味で謝罪になりうるのかどうか。
「中学までは地元の学校に進んでいたけど、高校は進学校で、大学は県下でも有数の国立大学に進んでいるね。さすがだと思う。中学の頃から、君は常に優秀な成績を収めていたから、これくらいは当然のことなのかもしれないけれど」
「それが何だっていうんですか……?」
「僕は、自分の伴侶とする人間には、容姿よりも能力や人格を重視する。その意味で、美沙子さんほど僕が求める条件に合致する女性はいないんだ。頭脳も、性格も」
少しずつ、だが明確に八雲の口数が多くなっている。声量も大きさを増す。
「それに、二十年近くぶりに君と再会して思ったよ。君は、綺麗になった。とても」
「ありがとうございます」
形ばかりの感謝を述べる美沙子。
しかし、自分の話に没入し始めている八雲には、その声は伝わり切らない。
「君は、中学の頃から目立ちはしなかったけど、他の女性生徒よりもずっと大人びた雰囲気を持った子だった。物静かで、いつも風景の中に溶け込んでいるようだったけど、僕は君の雰囲気に心惹かれたんだ。……好きだったよ、あの頃から」
これは、美沙子のことを褒めているのだろうか。シンラは判断に苦しむ。
だが、語る八雲の顔は、思い出に浸っているように微笑んでいる。
「僕はこの年齢だ。でも未だに独身でね」
「はぁ……」
急に、話題が変わる。美沙子もついていけていない様子で、生返事だけをする。
「それなりに恋愛もしてきたけど、どの相手も妻に迎えるとなると今一つ、足りていなくてね。だが、いいかげん、支えてくれる人が欲しい。そう思っていたところに、今回の話が舞い込んできたんだよ。僕にとってそれは、天啓にも等しかった」
「アタシなんかが、ですか……?」
「自分を卑下するものじゃないよ、美沙子さん。言ったろ、君が最適なんだ」
「だからそれは、どういった点での話なんです?」
美沙子が若干イラ立ち始めている。八雲はそれに気づいていないのだろうか。
シンラは今、それに気づいて割とハラハラしている。
「優れた容姿と能力もさることながら、最も必要なのは人格・性格。中でも芯の強さを雰囲気で覆い隠せる女性こそが最適だね。夫を支えてくれる妻。夫に支えられる妻。そういった関係性を前面に出せれば言うことはない。そして、僕が知る中でそれができそうなのが君だよ、美沙子さん。君は我慢強い女性だからね」
「我慢強い、ですか……」
シンラに届く美沙子の声が、少しだけ硬度を増す。
「君は、決して自己主張が強い方じゃない。だけど、確かな芯の強さを持っている。その強い芯こそ、僕を支えてくれる柱となるだろう。僕が求めているのは、それだ」
「八雲さん――」
朗々と語る八雲に、美沙子は気づかれないようにため息をつく。
シンラはしっかり気づいたが、美沙子を眼前に置いているはずの八雲は無反応。
「アタシのことを調べたなら知ってますよね、アタシはすねに傷がある身ですよ?」
「もしかして、郷塚源三のことを言っているのかな?」
郷塚源三。
アキラが『出戻り』をする原因となった、美沙子の不倫相手だ。
「ええ、そうです。アタシはアイツに加担して、前の夫を陥れました。そんな女が、未来の議員先生の妻として最適? さすがにお世辞にもなりませんよ、そんなの」
騙されて、でもなく、脅されて、でもなう、加担して。
それを言いきるところに、シンラは美沙子という女性の潔さを感じる。
今の彼女にとって、ただ苦いだけの過去だろうに。
「何だ、そんなこと――」
だが八雲は、自らの罪を吐露する美沙子に、笑って応じる。
「取るに足らない話だよ、美沙子さん。君は騙された身じゃないか。君は何も悪くない。悪いのは君を騙した源三という男の方じゃないか。今は行方不明らしいけど」
「八雲さんがそう思っているとしても事実は変わりませんよ」
「変わるさ、周りにどう語るかで、どうとでもなるとも。そんなこと」
そんなこと、と、八雲は二回も言う。美沙子にとって苦しい過去であるのに。
シンラは思う。同じ話題になったら自分は何と答えるだろうか。
きっと八雲と同じ言葉を、違う意味で使う。
八雲は本当に些事としか思っていない。だから『そんなこと』などと言っている。
しかしシンラは、少しだけ違う。
同じ『そんなこと』という言葉を使うが、それは美沙子にとって過去だからだ。
美沙子がどれだけそれを重く考えていても過去は過去でしかない。
彼女が重く考えていることに理解を示した上で、シンラはその言葉を使うだろう。
共に歩む相手として、その重みを自分も一緒に背負うという意味を交えて。
だが一方で、八雲はどうか。
彼は、美沙子の抱えるその過去を取るに足らない些事と断じた、この男は。
「君は被害者だよ、美沙子さん。そう周りに語れば、それが真実となる。事実がどうであっても、人は自分が受け取った情報を『真実』だと思い込むものさ」
「そうかも、しれませんけどね……」
「何なら、君とアキラ君のことを、広告材料にするのもいいかもしれないね」
――何?
今の言葉を聞いて、シンラの背筋が冷たくなる。
この那岐和八雲という男、今、何と言った。美沙子とアキラを、何だって?
「今の君は、自分では気づいていないかもしれないけれど、完璧なレディだよ、美沙子さん。優れた容姿に、優れた能力。あの欣司さんにだって負けない芯の強さ。どこをとっても一流だ。そんな君が、過去に失敗をしている。それはきっと、親しみやすさに繋がるポイントだよ。だから決して、悪いことでは――」
「はぁ~あ……」
まだまだ語ろうとする八雲を、だが、美沙子の盛大なため息が遮った。
「何が、親しみやすさに繋がるポイントだい。全く、気分が悪いったらないねぇ」
「……美沙子さん?」
突如として敬語をやめた美沙子に、八雲が怪訝そうな顔を見せる。
「ちょっと失礼するよ」
彼に一言断って、美沙子が収納空間から取り出したのは、煙草。
くたびれた紙の箱から一本取り出し、彼女はそれに指先で火をつける。
シンラも初めて見る、美沙子の喫煙姿だ。
「普段は子供がいるから吸わないけどね、吸わなきゃやってられないさ、こんな話」
「こ、こんな話……!? それに、煙草を吸うのか、君は……!」
煙草を吸い始めた美沙子に、八雲は顔をしかめる。
だが、シンラの反応は真逆。何てことだ、紫煙をくゆらせる美沙子がカッコいい。
正直、胸がドキドキし始めている。
ここに来て、まだ新たな魅力を教えてくれるというのか、美沙子さん!
『美沙子さん、煙草を吸う姿がとても似合っています! 素敵ですよ!』
『えッ、ぁ、あ~……、はい、あの、どうも、です……』
興奮したシンラが思わず念話を送ると、美沙子は速攻で恐縮したようだった。
それがまた可愛らしく感じられて、一粒で二度おいしいシンラであった。
「僕は、自分の妻には喫煙はしてほしくない。僕と結婚したら、君には――」
「うるさいねぇ、まだそんなバカな夢見てンのかい、このおぼっちゃんは」
言いかける八雲を、しかし、美沙子は一転して正面からぶった切る。
「おぼ、っちゃん……? 僕がかッ!?」
「ふぅ――」
気色ばむ八雲を眺めつつ、美沙子は一度煙を吐いて、
「それじゃ。ここからはアタシのターンを始めさせてもらうよ、ボンボン」
口の端に煙草をくわえたまま、そう言って腕を組むのだった。




