29.ふたりの家
カタコトと揺れる馬車のなか、窓の外を見ていたノーナは向かいに座る青年へと話しかけた。
「春、ですね……」
「あぁ、春だな……」
ノーナは街道沿いに咲くカラフルな花々を、大きなエメラルドグリーンの目で眺めながら楽しんでいる。青年は、そんなノーナをひたすらに見つめながら応えた。
横顔に刺さる視線が気になって、ノーナも彼の方を向く。
シルバーの短髪に、バーガンディの瞳をもつ凛々しい顔つき。騎士服を着た身体は逞しくて、ノーナより遥かに大きい。
さいきん二十一歳になった彼は狼騎士、なんて怖そうな肩書きで呼ばれている。しかし窓から柔らかく差し込む春の日差しに照らされて、いまはちょっと幸せそうな柔らかい表情に見えた。
「シルヴァ……僕の顔になんかついてます?」
「いや……。肩は痛まないか?」
まだ少し冷たい春風がノーナの黒髪を乱し、シルヴァは手を伸ばして顔にかかった髪を優しく避けてくれた。
愛情じみた仕草が恥ずかしくなって、視線を逸らす。あの日以来、シルヴァからのスキンシップは驚くほど多くなった。
「まだ全然大丈夫ですよ。今日は天気もいいし」
「よかった。だが無理は禁物だ。もう少ししたら休もう」
「……はい。ありがとうございます」
シルヴァは御者に声をかけ、切りの良いところで馬車を止めるよう指示した。彼の過保護はノーナが怪我してからずっと続いている。
あれから数ヶ月が経って、ノーナの肩はかなり動くようになった。とはいえリハビリはずっと続けているし、疲れたときや天気の悪い日はじくじくと痛んだりする。
ノーナよりも周囲が過剰に心配するので、自分でも無理はしないよう気をつけているのだ。
ゆっくりと馬車が止まり、シルヴァが立ち上がる。先に外へ出て、ノーナが馬車を降りる手助けをしてくれた。
これは過保護の一環というより、初手でノーナが躓いて転がり落ちそうになったからである。
「お目付け役がいなくなったら、気を引き締めないといけないな」
「ふっ、あはは。あのおじいちゃん、シルヴァにすごい目吊り上げてましたね」
「本当にな。あんな風に怒られたのは初めてだった……」
二人が話しているのは砦にいた医務官のことだ。
あの夜、ノーナがシルヴァと初めて身体を繋げたあと……
ノーナは情けなくも寝落ちしてしまった。シルヴァは慣れないながら頑張って後処理してくれたようだが、隠しきれない情事の痕跡に医務官はすぐに気づいた。
「〜〜〜っせめて部屋に戻ってからにして下さい!!」
もっともな意見に言い訳のしようもなく、ノーナたちは項垂れて反省した。しかも翌朝、ノーナは無理がたたって微熱を出してしまったのだ。
医務官はシルヴァに懇々と説いた。医務室は連れ込み宿と違うのだ。それに体格が違うのだから、ひと晩に何度も求めるのは負担が大きすぎる、と。
見ていたかのような口ぶりに、隣で聞いていたノーナは赤面するしかなかった。
熱はすぐに下がったものの、ノーナとシルヴァは若さゆえの情熱を抑えきれなかった。パテルとの相部屋に戻ったノーナはたびたびシルヴァの部屋に外泊し、そのせいなのか冬のあいだに何度か体調を崩してしまった。
ノーナも自覚はある。つい、気持ちが昂って盛り上がりすぎてしまうことがあって……
「また君たちですか! まったくもう、体力をつけるのにはいい運動ですがね。加減を考えて下さいよ!」
医務官は怒るたび、シルヴァにさまざまな注意事項と知識を伝授した。挿入を伴う性行為は連日せず、必ず何日か置くこととか。
さらにはおすすめの体位や、準備や後処理の仕方まできっちりと……受け手の負担を減らす方法を教えてくれたらしい。おじいちゃんは異国で何を学んでいたのだろう。
おかげで、ノーナがこれまで自分でやっていたあれこれをシルヴァは手伝いたがるようになってしまった。
ノーナの羞恥心は死んだが、なんだかんだいってシルヴァとの仲はこれ以上ないくらいに深まっている。
「ほんとうに、いいんですか? うちに住むって。狭いですけど」
「ノーナは王宮に住みたくないだろ? 邪魔にならないよう気をつけるから、王都にいるときは住まわせてほしい」
シルヴァは王都へ戻ったら、あの辺鄙な場所にあるノーナの家に住むらしい。
騎士団の任務で王都を離れることも多く、彼は王宮内の部屋以外住む場所を持っていなかった。ノーナを部屋に住まわせていたときは、わざわざ宿屋に泊まっていたようだ。知らなかったとはいえ、申し訳ない。
迷いの森に差し掛かっていて誰も近寄らない、ノーナの小さな家。
そんな場所でシルヴァを生活させるなんてと思うけれど、彼がノーナと離れて暮らすことを初めから考えていないのが嬉しい。
それにシルヴァは全然嫌そうじゃなくて、ちょっとわくわくしている感じなのだ。ノーナも二人きりでの生活に期待はある。砦では必ず人目があったし……好きなだけいちゃいちゃ、できちゃうかもしれない。
二人でなら、もっと広くていい部屋を借りられるかもしれないとは思う。けれど初めてノーナの家に来たときも、こまごまと集めた置物を興味深そうに見ていたことを思い出す。
シルヴァの部屋はなにも無かったから、うちみたいにごちゃっとした部屋は嫌いかと思っていたけど……この様子なら大丈夫そうだ。椅子も二脚あるし。
「あ、ベッドは買い替えた方がいいかも……寝れないことはないと思いますけど、いつもくっついてたら疲れも取れないですよね?」
「いやくっついてる方が疲れも取れるが」
「え?」
「ん゙んっ。いや……それより、落ち着いたら家を買おう」
いえ……家!?
大げさに驚いたノーナに、シルヴァは当然と頷いた。シルヴァがいないときに、あの家ではノーナの身の安全が心配らしい。
シルヴァに恋人ができたことは、王都でもすぐに噂になるだろう。噂くらいノーナも覚悟しているが、自分がシルヴァの弱点になり得ることは砦での事件で身をもって知ってしまった。
よくよく考えてみれば、砦では事件が解決したものの、王宮や騎士団内にはまだシルヴァの失脚を願って行動に出ようとする敵がいるのではないだろうか。
「だ、大丈夫ですか? またシルヴァが狙われたらどうしよう」
「あぁ、それなんだが……兄が動いてくれたみたいだ」
シルヴァが家とは縁を切ったつもりでいることは、ノーナも聞いていた。しかし六つ上のお兄さんとは会っていないだけで不仲ではないらしい。
ウィミナリス侯爵の嫡男として着々と力をつけているお兄さんは、父親の影響もあり上流階級でかなりの繋がりを持っている。情報にも聡く、今回の事件を聞きつけ頼まなくとも動いてくれたというのだ。
結局シルヴァに妬み嫉みを抱いているのは侯爵家より下の貴族ばかり。ちょっと圧力をかけてやれば皆黙った、とのこと。たぶんそれだけじゃないと思いますけど……
シルヴァが北の砦にいるあいだ一通だけ届いた手紙に、簡潔に結果だけが書かれていたそうだ。
それを聞いて、ノーナは彼のお父さんも力を貸してくれたのかもと内心思う。お兄さんだけが勝手に動くことはできないだろうし。
シルヴァの家族は基本的に静観を貫いていても、いざというときは守ってくれる。不器用なだけで、なんだかんだ愛されているはずだ。
きっと彼らはノーナのことも知っているような気がする。……大事な息子の恋人として、排斥対象と判断されないことを願うばかりだ。
眉根を寄せて考え込んでいると、シルヴァは困ったように小さく笑って、ノーナの額にキスをした。
「だから、俺は大丈夫だ。自分の心配をしてほしい」
「……はい。なんだか、ドキドキします。一緒に住む家を買うって、……か、家族みたいですね」
「家族じゃだめか? 俺がノーナの唯一の家族になるから、ノーナは俺の唯一になってくれ」
「……っ。はい……」
幸せで視界が滲む。エレニア王国では当然、同性間の婚姻は認められていない。
けれどたとえ口約束でも、あるのとないのとじゃ大違いだ。家を買えば二人の資産ができる。こうやって、ひとつひとつ積み重ねて、シルヴァはノーナと家族になろうとしてくれている。
見晴らしのいい丘で立ち止まって、眼下の景色を眺めた。もう見えないけれど、視線の先は何ヶ月も滞在した北の砦だ。
「みなさんにもうなかなか会えないと思うと、寂しいです」
「あー……ノーナが引き止められすぎて、こっちが悪者みたいな気分になったな」
「あはは、あれは冗談ですよ」
「いや本気だった」
パテルたち事務官はノーナが復帰してから格段に仕事が楽になったと喜んでいた。ノーナの考案した数式で過去の経費から未来の経費について予測を立てる方法が、画期的に感じたらしい。
他にもいろいろと提案した分、ノーナが帰ってしまったらどうすればいいんだと事務官一同が詰め寄ってきたのだ。経理局を辞めるときはこんな風に引き止められなかったから、ノーナも嬉しくてぎりぎりまで協力してしまった。
確かに騎士団内の事務で、特に経理に関する部分はぐだぐ……管理が甘く、ノーナも頭を抱えたことは一度や二度ではない。
そもそも騎士団の事務官は人数の割にやることが多すぎるのだ。王宮の文官なら局によって別れている仕事が、騎士団内では全部ひっくるめて事務官の仕事だ。
ノーナがいる間にあれこれと改善に着手したが、不完全燃焼なのは否めない。
今回は臨時職員だったので、王都に戻ったら事務官の募集に応募してみようかと思っているのは、まだシルヴァには秘密だ。そもそも募集があるのかも分からないし、ノーナは働きたいけれど、心配性の彼には反対されそうな気もする。
モルタ辺境伯はあの手この手でかわいい秘書を引き留めようとした。
王都にはない北の地限定のスイーツをたくさん集めてくれたり(ほぼシルヴァの胃に収まった)、ノーナが酒好きだと知ると彼女のコレクションからとっておきの酒を持ってきてくれたりしたのである。
ちょっと……いやかなりの誘惑ではあったものの、ノーナは王都に戻るまで酒は飲まないと決めていた。
「早く飲みたいなぁ……」
「医務官から許可も出ていただろう? 我慢しなくてよかったのに」
「えっと……部屋に、白ワインを用意してくれていたでしょう? メッセージカードつきで」
「あっ! あれを見たのか!?」
「ふふ、はい。あれを最初に飲みたくて」
シルヴァが目を見開く。渡していないのに、どうして知っているんだと言わんばかりの顔だ。ノーナは面白くなってしまって、にこにこ顔で「嬉しかったです」と告げた。
シルヴァはノーナといるときだけ、表情が豊かになったように感じる。彼はまだ若いのに、色々と背負いすぎていたのだ。
騎士としての仕事は強ければ強いほど頼りにされてしまう。王都へ戻ったらそう遠からず南へ向かうと聞いているけど、戦いの場ではもう少し力を抜いて、どうか怪我をせずに帰ってきて欲しい。
待つ人がいるというのは変な感じだ。両親が亡くなってから、ずっとノーナはひとりだった。
はじめは寂しくて夜に泣いてばかりだったし、仕事はやりすぎなくらいやるようにした。トゥルヌスさんと関係を持ってからは楽しい時間もあったけれど、やっぱり家に帰るとひとり。
もうとっくに慣れたと思っていたものの、砦で常に誰かといる生活は思いがけない幸せだった。
特にシルヴァといる時間はどれだけあっても足りないくらい。事務官や秘書の仕事をしていてもひと目見たいと思ってしまうし、見ると言葉を交わしたいと思ってしまう。会うと離れがたくて……
こんなにも誰かと一緒にいたいと感じたのは初めてだ。そしてたぶん、シルヴァも同じ気持ちでいてくれる。
そう感じさせてくれる彼のことが、愛おしくてたまらない。
「帰ったら、ピークスに会わなきゃ。おばあさんにも……会えるかなぁ」
「魔女のことか? 俺も会いたいが……森の中に住んでいるのか?」
シルヴァも魔女に会いたいなんてちょっと意外で、ノーナは首を傾げた。あの、桃色の惚れ薬にはお互い散々に振り回されたのだ。
ノーナのうっかりのせいだが、シルヴァは一番の被害者でもある。本当に……記憶がなくてよかった。
「勝手に僕の家に入って座っていたこともあるので、そのうち会えるかもしれないですね」
「勝手に!?」
たとえ便利な魔法が存在するとしても、これからはノーナ自身の努力で彼を繋ぎ止めないといけない。そうじゃないと意味がないことを知った。
ずっと好きでいてもらう方法はわからないけれど、ノーナはシルヴァをひたむきに愛することしかできない。
強くて、優しくて、繊細な人。彼の支えになりたいし、守れる部分があるなら守りたい。ノーナは受け取るより、差し出す方を選ぶ。
自分からシルヴァの手を掴んで、大きな手の平をぎゅっと握った。バーガンディの瞳に、幸せそうに微笑むノーナが映り込む。
「帰りましょう。――僕たちの家に」
あたたかい風がぴゅうっと丘を駆け上り、ふたりの背中を優しく押す。かぐわしい花の薫りがした。




