26.冬の散歩
まだ医務室で生活しているものの、散歩の許可をもらった。わあいと喜んだノーナは、医務官が「ただし」と釘刺すように前置きした言葉にピクリと固まり、耳を傾けた。
「後遺症は必ず残ります。でも希望を持ってくださいね。リハビリ次第ですが、日常生活に支障がでないほどまで回復することもあり得ますから。とにかく、生きていてよかった。ノーナくん、なかなかの根性でしたよ」
「ありがとうございます……。リハビリ、がんばります!」
肩を貫いた槍のせいで、肩の骨は折れ、一部は砕けてしまったらしい。骨折はくっついたけど、砕けたものは他の組織に入り込み医務官の持つ異邦の技術をもってしても再建できなかった。
目覚めた当初から元どおりにはならないと言われていたし、ノーナは片腕を失う覚悟くらいできていた。
本当に……生きていただけありがたい。ずっとそう思っている。それでもある程度の回復は見込めると言われて、心が浮き立った。
片腕だとひとりで着替えるのさえ大変で、いまは特に体力が落ちすぎてすぐに息切れしてしまう。みんな積極的にノーナを介助してくれるとはいえ、人の手を借りつづけるのは申し訳なかったのだ。
砦を離れれば、ひとり暮らしに後戻りとなる。あの小さな家が恋しいけれど、不自由な身体での生活には不安もある。
ノーナは素直に決意した。春までにリハビリを頑張ろう!
しかし――周囲はそれで納得しなかった。
「えぇっ。後遺症!? ノーナ、ひとり暮らしなんだろう。危なすぎる! 砦に永久就職はどうだ? ここならいつでも私が助けてやる」
「あの、日常生活には支障がないと……」
「誰かに襲われたらどうするんだ。医務官! どうにか治せないのか」
「えぇ〜? これでも頑張ったんですよ。みなさん過保護ですねぇ」
モルタ辺境伯やシルヴァにノーナの楽天的な言葉は聞き入れられず、医務官のおじいさんが宥めてなんとかやっと……渋々ながら納得してくれた。視界の端で二人が頷き合っているから、多分大丈夫。
その日からノーナは、体力作りのため砦の中を歩き回る散歩を開始した。これまで部屋の中でしか動けなかったから、それだけでも新鮮だ。
辺境伯に贈られた温かい外套をきっちりと着込み、昼間の明るい時間帯に出かける。
ノーナはいつの間にか砦で有名になっているらしく、騎士や事務官たちに会うと声を掛けてくれたり手を振ってくれたりするのも恥ずかしいが嬉しい。人によっては「あの小さな身体で……シルヴァさんを守って……ウッ!」と目頭を押さえていた。
特に若い子たちはキラキラした目で見てきて、握手を求められたりもする。握手はちょっと照れるんです、とシルヴァに話すと、翌日からは近づいてこなくなった。……なにか言ったのかなぁ?
別に散歩は一人でも大丈夫なのに、シルヴァたちや医務官の助手さんなど必ず誰かが付いてくれた。
砦は広いから、うっかり迷子になりかねないと思われているらしい。ノーナも自分のうっかり加減にはいつも裏切られているので、なにも言い返せないのがつらい。
そして、肩を動かすリハビリの方は一筋縄ではいかなかった。筋力が落ちていることは分かっていたものの、こんなにも苦戦するとは思っておらず油断していた。
ずっと固定していたので、筋肉も骨も全て固まってしまっている。そして砕けた骨の破片があちこちの組織に入りこんで、動かすたびに突き刺さるような痛みが走るのだ。
「い゙っ……たぁ」
「もうちょっといきましょう。頑張ってください!」
痛みに顔をしかめる。腕を少しだけ持ち上げる動作が、助手さんに支えられていてもギリギリと痛い。
ノーナは歯を食いしばりながら、決められた回数の動作を繰り返した。
痛みのせいで目尻に溜まった涙を、怪我した方の指で掬いとる。手の感覚はあるし、肘から下の動きにはそこまで問題がないのは不幸中の幸いだった。
想像以上につらいけれど、頑張らないという選択肢はない。心配性な人たちに見せたくなくて、リハビリ中は見舞いも遠慮してもらっている。
「昨日よりほんの少し、上がってますよ! もうワンセット、いきますか?」
「ほ、ほんの少しかぁ……よしっ。がんばります!」
先は遠い。でもノーナはコツコツと地道に努力することに関しては自信があるので、毎日真面目にリハビリをこなした。
ある早朝、妙にスッキリと目覚めた。誰かに呼ばれた? と思うも周囲はシンと静まり返っている。まだ薄暗く、夜間警備の騎士以外は寝ているに違いない。
ノーナはベッドから下り、窓際へと歩み寄る。
「わ、きれい……」
そこから見える景色は、一面の銀世界だった。朝を覆う雪が、黎明の薄青に染まっている。
ノーナが起き上がれないあいだに一度積もった雪は解けてしまい、寒さは厳しいがしばらくは積もらないほどの天気が続いていた。
厚く積もったときの雪はすごく綺麗だったとシルヴァが言ったので、ノーナもこの日を待ちに待っていたのだ。
我慢できなくなって、外套を羽織り部屋を出る。自分でボタンを留めるのには時間がかかるため、本当に羽織っただけだ。
すごく寒かったけど、この美しい景色は儚くすぐに消えてしまいそうな気がして、息を切らしながら最大限急いで階段を上っていく。
玄関から外に出ると警備の者にかち合ってしまう。あえて屋上に向かったノーナは、外に出たとたん目の前に広がった景色に息を呑んだ。
朝日の昇る時間まであと少しといったところか。しかし雪のお陰で視界は思った以上に明るく、遠くまで見渡すことができた。
今回は港の方までも雪が積もったようだ。地面の段差も、屋根や常緑樹も、雪に覆われてこんもりとしていて可愛い。
雪が全ての音を吸い込んでしまうのか、驚くほど静かだ。
夜明けに向けて変化する空の色。それを余すことなく映す雪のキャンバスには感動を覚えずにはいられない。
このときばかりはノーナも、突き刺すような寒さを忘れていた。
砦の屋上を歩くと、雪の上に自分の足跡がつく。ふわっとしているのに、踏みしめるとキュッと不思議な音がする。手で掬ってみてもふわっ。固めるように握ると、きゅっ。
まっさらな新雪に自分の足跡をつけるのも思いのほか楽しくて、ノーナは童心に返って夢中になって雪で遊んだ。
「ふぁっ。さすがに、疲れた……」
「ノーナ!!」
屋上の端でぺたんと座り込んだノーナは、出入り口の方から大声で名前を呼ばれて飛び上がった。
ちょうど朝の太陽が海の向こうから顔を見せ、シルヴァの輝く銀髪を照らす。あぁ、この人はなんて綺麗なんだろう。
こちらへ向かってくるシルヴァに向かい合おうと、雪から腰を上げる。
――その瞬間、踏み締めた足元がツルッと滑り、ノーナは思わず怪我した方の手で身体を支えようとした。
「うわっ」
「ノーナッ……!」
シルヴァに支えられて、ほっと息をつく。そのまま転んでいたら、さすがに肩へのダメージが大きかったに違いない。
「……えへへ、ごめんなさい」
「駄目だ!!」
何度彼にはこんなシーンを見せてしまっているだろう。気まずげに笑ったノーナに対し、シルヴァは厳しい顔をして声を張り上げた。
びくっと肩を揺らし間近で見上げると、爛々と燃える瞳と目が合った。どうしてこんなに……怒っているの?
シルヴァはそのままノーナを抱き上げ、ずんずん砦の中へと歩みを進める。医務室へ戻るのかと考えていたが、到着したのは別の部屋だった。
パテルとの相部屋だった部屋と同じくらいの広さで、一人分のベッドが置かれている。そこに座らされたノーナは、無言の彼に毛布でぐるぐる巻きにされた。
毛布から微かにジンジャーのような爽やかな香りが漂ってきて、ノーナはここがシルヴァの部屋で、彼の使っている毛布に包まれていることを悟った。
匂いにドキドキしているノーナをよそに、彼は温水ヒーターを調整しさらに部屋を暖めていく。そんなことしなくても、外と比べれば格段に暖かいけれど。
ひととおりの部屋の準備を終えたのか、ノーナの前に跪いたシルヴァが、先ほどとは打って変わって悲痛な目でこちらを見上げてくる。
「シルヴァさん……?」
「ノーナ……早まらないでくれ! 絶望する気持ちはわかるが、王都に帰ってからも俺が全力で支える。だから……お願いだから身投げなんて考えないでほしい」
「へ? あ、あの……」
なにか盛大な行き違いがあることに気付いて、ノーナは慌てた。ミノムシ状態なのが情けないが、実情を説明する。――屋上でひとり、雪遊びをしていただけだと。
彼のいつもの硬い表情がポカンと呆けて、いたたまれない気持ちになる。思いつきの行動は余計な心配をかけてしまったみたいだ。
そもそもどうしてそんな勘違いに発展したんだろう。ノーナはこれでもしっかりした大人のつもりだし、ひとりで出かけたっていいと思うのだ。
理由を尋ねると、見舞いに訪れたシルヴァたちはリハビリ中のノーナのうめき声を偶然聞いてしまい、よっぽど苦しんでいるのだろうと胸を痛めていたらしい。
リハビリ中も患者は精神的に不安定になりやすいと医務官から言われ、注意深く見守ろうと思っていた矢先……早朝に失踪し、屋上の端で転がっているノーナを発見して早とちりしてしまったそうだ。
「……そうか。勘違いならよかった」
「僕はみなさんが思っているよりも元気ですよ? ――くしゅっ」
「なっ! 死ぬほど冷えてるじゃないか!」
くしゃみひとつで動揺したシルヴァに抱き上げられ、横抱きにされたままヒーターの前に座る。その状態で彼の手がノーナの顔や手足に触れていく。
触られている感覚が鈍い。彼の体温を熱すぎるように感じてやっと、自分の身体が冷え切っていることに気づいた。意外と長時間遊んでしまったらしい。
「すみません……」
「雪は……綺麗だったか?」
「っ! はい。とても! ぜんぶ雪に覆われてて、きれいで感動しちゃいました。毎日雪でもいいくらい。……あっ、でも騎士のみなさんは雪かきが大変ですよね」
「ふっ。子供みたいにはしゃいだんだろう。せめて防寒着はちゃんと身につけてくれ」
「あ……」
シルヴァが、笑った。目元を細めて、口角が上がる。その一瞬の表情に心を奪われて、ノーナは口をぽかんと開けたまま頬を赤らめた。
――いつぶりだろう。彼のくだけた笑顔を見たのは。
シルヴァの部屋で過ごしていたあの数週間。惚れ薬に頼らずとも距離が縮まっていき、毎日が楽しくて仕方がなかった。
初めからあんな風に自然と仲良くなれればよかったのに。それを歪めてしまったのは、他でもない自分自身だ。
彼の笑顔がいま、こんなにも尊い。ノーナは目の奥が熱くなって唇を噛みしめた。
間近で顔を見つめていたシルヴァがノーナの顎に手をかけ、親指で唇を撫でてくる。繊細な刺激に震えた唇が解放され、ノーナは近づいてくる顔を感じた。
あぁ、このまま流れに身を任せてしまいたい。彼の好意を受け取って、この先ずっと彼に守られて。
でも――――
「待って。シルヴァさん……聞いてください」




