24.命の重み
「あれー。きみ、また来たんだ。そこで何してるの? 鍵、開いてるでしょう?」
医務官にそう言われた瞬間、全体重をかけてドアにドンッ!!と体当たりする。
ノーナが自分で鍵をかけるはずがない。つまり――
「早かったね。もう少しだったのに」
「あなたが……!」
ノーナの上半身を掴み上げ、後ろから首元に短剣を当てているのは、ノーナが刺される直前に話しかけてきていた先輩だった。
彼は共に南でも戦ったことのある人だ。実力があって、シルヴァにもよく話しかけてくる明るい人という印象を持っていた。
そんな人が、どうして……
「不思議そうな顔だね? 自覚がないってところが、嫌味だよなぁ」
「ひっ。い゙……」
「ノーナを離してください!」
ここからは血こそ見えないが、シルヴァが来るまでに甚振られていたのだろう。ノーナに着せられていた柔らかそうな室内着は短剣でビリビリに裂かれ、包帯の巻かれた肩やあちこちの肌が見えていた。
無理矢理起こされていることに加え、肩に置かれた手は傷口の上にある。ノーナの青褪めた顔は、恐怖だけが原因ではないことは明らかだった。
エメラルドグリーンの目は見開かれ、潤みながらシルヴァを見つめている。
「お前が自分で自分の首を掻っ切るなら離してやろう」
「わかった」
「シルヴァさん……っ」
「動くな、ノーナ」
どうせ目的はシルヴァなのだ。自分が交換条件になることは願ってもない。ノーナが必死に首を振ったせいで、短剣に当たった皮膚から血が滲む。もう、ノーナの血は見たくなかった。
シルヴァは懐から護身用の短剣を取り出し鞘を床に落とす。勝機を見出すため、足は少しずつ二人の方へにじり寄っていた。
「お前ら、本気なの……? キモ」
「ぃあ゙ああ!」
「やめてくれ! 先輩、お願いですから……」
男がノーナの肩に置いた手に力を込めたことは、耳に届く悲鳴で痛いほど伝わってくる。
自分のせいでノーナが辛い目に遭っている事実は、男の目論み以上にシルヴァを苦しめた。
「シルヴァくんさぁ、なーんにも興味ないって顔してたじゃん。はじめから全部持ってるくせに……ずっと胸糞悪かったよ。無鉄砲に敵に向かって行くから死にたいのかと思って期待してたのになかなか死なないし。刺客を差し向けたって死なないんだから」
「あれは……先輩が?」
「みんな日和って陰口を言うだけ。仲間がいるよって教えて、ちゃーんと段取りしてあげれば色々やってくれたなぁ」
「そう、ですか……」
男は勝利を確信しているのだろう。酔ったように自己語りしているあいだに、シルヴァはゆっくりと自分の首元へ短剣を当てる。
「まさか唯一興味を持ったのが男って。傑作だよ! まぁこの子、少年と女の中間みたいで可愛いもんなぁ。お前が死んだら、壊れるまで仲間内で輪姦してやろうっと」
「ッ!!」
「お〜! その顔その顔。最高じゃん。――ねぇ、さっさと死んでくれる? お前のことを命懸けで助けた恋人の前で自殺って、クソおもしれぇ〜っ」
「……さぞスカッとするだろうな」
――バリーン!!!
男が高らかに笑い、目を細めた瞬間だった。二人の背後にあった窓が割られ、人が飛び込んでくる。
紺色のショートカット、片眼鏡は外しているクウィリーだ。
彼は犯人に飛び掛かり、同時にシルヴァも飛び込むように近づいて緩んだ腕を掴んで投げ飛ばす。
「ゔあ゙あ゙っ」
男は苦痛に顔を歪めたが、簡単には捕まらずベッドから転がるように離れて立ち上がる。
シルヴァは投げ出されたノーナの身体がクウィリーによって支えられたのを横目で確認しつつ、男と相対した。
互いに持つのは短剣ひとつだ。緊迫感に汗がこめかみを伝う。
「真面目そうな顔して姑息なやつめ! どうして死なないんだ! 死ね!」
「俺は、死なない」
二人は睨み合ったまま円を描くようにじりじりと足を進めるが、先に前へと動いたのはシルヴァだった。こんなことに時間をかけていられない。
キィンッと交わった金属音が鳴り、男は受け流そうとしたがシルヴァの力とスピードが勝った。前腕に刃が入り、男の血が飛ぶ。
「クソッ」
体勢を崩し、後ろに逃げようとした身体に体当たりをかける。ドン!としたたかに後頭部をぶつけ、男はあっさりと意識を失った。
「……はぁ」
先輩として慕っていた男の哀しい末路に、どうしようもなく切ない気持ちが湧き上がってくる。
しかしシルヴァの意識はすぐさまノーナに向かった。否、ずっとノーナに向かっている。
ガラスの散らばるベッドの方へ駆け戻ると、相変わらずノーナの顔色はひどく、もはや目の焦点が合っていない。シルヴァはクウィリーの腕からノーナをしっかりと受け止めた。
「ノーナ……しっかりしろ!」
「シルヴァ、こっちだ!」
いつの間にかすぐ後ろにまで来ていたモルタ辺境伯に催促され、ノーナを抱き上げ別の部屋へ移動する。そこでは医務官がもう待機していた。
「あぁ、せっかく傷口が塞がりかけていたのに……しかも熱を持ってますね。一旦冷やしましょう。痛みにも多少効くはずだ」
血の滲む包帯を変えたあと、シルヴァたちも協力してノーナを着替えさせた。
ろくに食べられていないせいで数日前よりさらに細くなった気がする。肋の浮いた身体が痛々しい。どうして彼ばかりがこんな……!
犯人を捕まえられたのに、気分は最悪だった。もうシルヴァにできることはない。意気消沈しふらりと部屋を出ようとすると、医務官に引き留められた。
「シルヴァさん! ノーナくんが呼んでる!」
慌ててベッドに駆け寄る。処置中は意識を失っていたノーナが目を開けていた。
苦しそうにはっ、はっ、と息をしながらも、シルヴァの顔を認識すると口の形は「し、る、ば」と動いた。
「どうした? 無理するな……」
「し、死のうと、しない、で……こわ、こわかった…………っ」
「あぁ、ごめん。ごめんな……!」
ノーナは人質に取られたことよりも、シルヴァが躊躇いもなく自害しようとしたことが怖かったのだ。
確かに、ノーナのためなら自分の命くらい簡単に賭けられる。それゆえの行動だった。
でも……
「大丈夫だ。俺はあのとき、生きてノーナを救うことしか考えていなかった」
「ほっ、ほん、と……?」
「あぁ。お前と生きていきたいんだ。約束する。だから、ほら。もう無理に喋るな……自分のことだけ考えていてくれ」
ノーナの唇に自分の唇を密着させ、強制的に口を閉じる。ノーナは少し血色の戻った顔で目を潤ませ、シルヴァを見つめた。
しばらく間近で見つめ合っていると、限界を迎えたようにゆっくりとまぶたが下りていく。
――少しは胸に希望を抱いてくれただろうか。
シルヴァは「イチャイチャしていいとは言ってません!」と医務官に怒られ、肩を冷やしていた助手にも真っ赤な顔で睨まれた。
素直に部屋を追い出され、モルタ辺境伯の執務室へと向かう。彼女は窓の前に立ち、外を眺めていた。
「見ろ、ここ数時間で一面の銀世界だ……ノーナに見せてやりたいな」
ノーナは初めて積もった雪を見て、子どものように目を輝かせていたのだという。数時間前に降り出した雪はひとつひとつの欠片が大きく、あっという間に景色を白く染め上げていた。
シルヴァは雪に滲んだノーナの鮮血の色を思い出してしまい、頭を振って残像を追い払う。
「モルタ辺境伯、あの男は」
「クウィリーが地下で見てる。刑務官も手配したから、もう勝手に死なせないよ」
「すみません。騎士団のゴタゴタを持ち込んでしまって……」
「なに、膿を出せたと思って割り切ろう」
辺境伯がこちらに親身になってくれるお人柄でよかった。それに、クウィリーも……彼の協力のおかげで、犯人を捕まえることができたことは間違いない。
細身のため気づいている者は少なそうだが、彼の身のこなしは常人のものではなかった。国王軍とも関わらないといけない特殊な立場にある辺境伯のボディガードとして、幼い頃から訓練を受けてきているのだろう。
あのとき、自分ひとりではなにもできなかったと思う。シルヴァは時間を稼ぎ、他人の協力を信じるしかなかった。以前の自分だったら身を顧みず特攻するか、自害さえ厭わなかったはずだ。
ノーナは心配していたけれど、いまのシルヴァはもう、生きることしか考えていない。生きていなければ、弱くて無鉄砲な愛しい人を守れないからだ。
ノーナはシルヴァの弱点であり、強みでもある。弱っている彼を人質にした犯人は卑怯だと感じたが、シルヴァに味方がいなかったら間違いなく詰んでいた。
その反面、ノーナがいることでシルヴァは強くなれる。これまで漠然と国のために戦っていたが、また南の防衛に駆り出されるときは戦い方も変わってくるだろう。
勝ってこの国を守るため、そして――生きてノーナの元に戻ってくるために。
守りたい人のいない自分といる自分とでは、こんなにも心持ちが違うのかと驚くほどだ。
まず確保すべきはノーナの健康だ。あの細すぎる身体に肉がつくくらい食べさせて、白い肌に血色を戻して健康的な色にさせたい。
あの肌は日焼けするだろうか? 赤くなるだけ? なんにせよ肌は弱そうだから日光浴はほどほどがいいかもしれない。
シルヴァはノーナの肌を想像して、すぐにあられもない姿が脳裏に映って焦った。
見たこともないはずなのに、汗ばんで赤らむ肌が記憶に残っているかのようで妙に鮮明だ。自分の想像力が変な方向へ向かおうとするのを、慌てて軌道修正する。
あぁ、治療は上手くいっているんだろうか。どうか大丈夫であってほしい。心配することしかできないのがもどかしくて、シルヴァは奥歯を噛み締めた。
しかし――祈りも虚しく、夜半になって急報が届いた。
「高熱が出て意識も戻りません。今夜が山でしょう。……覚悟しておいてください」
なんの覚悟をしろと?
シルヴァたちは医務室へと駆けつけ、眠ったままでも苦しそうに浅い呼吸を繰り返すノーナを見舞った。
額に浮かんでいる脂汗を、濡らしたタオルで拭ってやる。このまま目覚めることがなかったらどうしよう、と重い不安が伸し掛かり、シルヴァは思わずノーナの手を握った。
熱で発汗しているのに、指先が冷たい。自分の体温を分け与えるように両手で包み込むと、ほんの微かに握り返される。
「ノーナッ……」
「まずい、呼吸が止まっています!」
「なんだって!?」
医務官が即座に心臓マッサージを始め、シルヴァは人工呼吸を言い渡される。紫になりかけた唇を覆い、自分の息を吹き込んだ。
何度か繰り返すも、ノーナの自発呼吸はない。目の前で、命がこぼれ落ちて行く。
「ノーナ、戻ってきてくれ!」
「ノーナさん!」
「ノーナぁぁ!」




