23.五里霧中
翌日になって、シルヴァはすでに捕まっている犯人に話を聞くため地下牢を訪れていた。まだ黙秘を貫いている男も、目的の相手を見れば口を滑らせる可能性があると思ってのことだ。
聴取に最初から携わっているクウィリーに連れられて二人で向かうと、二名の騎士が牢の前で見張りをしていた。
湿っぽく暗い場所のためか、俯き加減で陰鬱な表情をしている。シルヴァの姿を認めると「うわっ」と小さく呟いて姿勢を正す。
犯人にはちょうど朝食が運ばれてきていたようで、パンと少量のスープがトレイに置かれているのが鉄格子の向こうに見える。こんな男でさえ、ノーナより食べていることが憎かった。
来客に気づきこちらを向いた男を見るが、顔だけは知っているものの喋ったことさえない気がする。男はシルヴァの顔を見て挑発的に嗤った。
「あの小さい奴は、死んだか?」
「っ、お前!」
「なーんか見たことある気がしたんだ。お前を籠絡したとかいう、文官の坊主じゃねぇか。すげぇな。入ったの? ケツガバガバじゃん。それともお前のナニが小さかったのかぁ?」
「なっ……ノーナはそんな奴じゃない! お前、それ以上言うと殺すぞ!」
ひどい侮辱に、怒りで目の前が真っ赤に染まる。ガン! と格子に拳を叩きつけ、シルヴァは脅すように言葉を吐き捨てた。
地下全体へと響く低い声に見張りの騎士たちはビクッと震えたが、犯人の男はなおも楽しそうに肩を揺らしている。
クウィリーが「落ち着いて」とシルヴァの腕を掴み、男は「おぉ、こわ」と嗤いながらスープを皿から直接飲んだ。
――その瞬間。
「う、ぐっ……」
「どうした!?」
スープを飲み込んだ瞬間から苦しみだした男は、皿を取り落とし、自らの首を掻きむしる。
クウィリーが慌てて鍵を開けようとしている数秒のうちに、男は床に倒れたままピクリとも動かなくなった。
口からは泡を吹き、首元には爪の跡が赤く幾すじも残っている。断末魔の苦しみが表情に残り、見ていた騎士がヒッ、と息を呑む。
その場にいた全員が証人だった。
彼はスープに入っていた毒かなにかで……死んだのだ。戦場で死人など何度も見てきたが、見開いた目がシルヴァを見たままであることに、背筋が冷える。
クウィリーは牢を開けるのを止め、見張りの一人に医務官を呼んでくるよう伝えた。毒ならば不用意に近づくべきではない。現場を保存し、ありのままを調べてもらうことが大切だった。
毒殺の犯人はもう一人の協力者だろう。口封じか……。汚い手だが、有効だ。
これでもう一人の手がかりがひとつ無くなった。いや、スープに触れた人をひとりひとり確かめていけば……
クウィリーと犯人探しの方法について相談していると、医務官がひぃひぃ言いながら走ってやってきた。ご高齢なのに申し訳ないと思いつつも、一人で牢に入っていきテキパキと状況を確認していく様子は非常に頼もしい。
助手もいたはずだが、きっとノーナに付いているのだろう。
シルヴァたちは地下を出てモルタ辺境伯のもとへ報告に向かった。しかし執務室には誰もいない。当たりをつけて医務室の方へ行くと、彼女は眠っているノーナを静かに見つめていた。
「モルタ様。地下牢の犯人が……死にました」
「は!? ……なにがあった」
クウィリーの報告に一瞬大きな声を出した辺境伯は、慌ててノーナを見つめまだ眠っていることを確認した。昨日より顔色がいいように感じて、シルヴァも少しだけ安堵する。先ほどの件で胸がざわめいていたのだ。
報告を聞き終えた辺境伯は厄介だな、と腕を組む。
「なりふり構わず行動している感じだな。騎士が犯人というのは厄介だ……ここには騎士ばかりだし。シルヴァは充分すぎるくらいに気をつけてくれ」
「わかってる」
「……けほッ」
「ノーナ!!」
小さな咳に全員が反応し、一番近くにいた辺境伯がノーナに声をかける。ノーナは彼女の耳元で小さく話し、彼女はニカッと笑って頷いた。
助手の医務官にスープを持ってくるよう伝えてから、手を洗ってくると宣言し立ち上がった。
「くぅ〜っ。ちっちゃな声で『おなかがすきました』って、可愛すぎじゃないか!?」
出ていった辺境伯を見送って、シルヴァは自分が食事の介助をしたかった……と子どものようなことを考えた。彼女が戻ってきたら部屋を出ないといけない。
昨日医務室に居座ろうとしたせいで、医務官に長時間はやめて下さいとお小言をいただいたのだ。
大人数がノーナを見ているのもよくない。無意識に緊張してしまうだろうと言われて、悔しくも納得する。自分がノーナの回復を妨げる一因にはなりたくなかった。
辺境伯が戻ってくるまではと思い、シルヴァはノーナの視界に入る位置へと腰かけた。クウィリーは気を遣って少し離れた位置にいる。
「シルヴァさん……」
「ノーナ、ありがとう」
やっと言えた感謝のことばに、ノーナはかすかに首を振った。
シルヴァはやっと会話できたことに内心喜んでいたが、ノーナの表情は暗い。何事かと見つめていると、その大きな目がみるみるうちに潤む。
「ごっ、ごめ……なさ……」
「ぅわああああ泣くな! なっ、なんでだ!?」
「……なにしてる」
魔王のような顔をしたモルタ辺境伯が、ズゴゴゴゴゴ……と効果音が付きそうな迫力でシルヴァの背後に立ち、襟首を掴んだ。シルヴァは逆らわずに立ち上がり、ポイッと部屋の外に放り出される。
言い訳は全く聞いてもらえなかったが、ノーナに温かいスープを飲ませることが最優先だ。いまのノーナと話し合いなど疲れさせるだけだろうし、やけに仲のいい辺境伯が彼を慰めてくれるだろう。
「はぁ……」
泣かせてしまうなんて。おおかた、事件の前日に恫喝されたことを思い出したのだろう。シルヴァは二日前の自分を張り倒して吊し上げて百回でも千回でも殴りたくなった。
シルヴァが王都を発つ日も、ノーナはひとりで泣いていた。
あのときは自分が噂の対象になったことを嘆いているのだと思っていたけれど、いま思えば、シルヴァに迷惑を掛けたと感じて涙を流していたのかもしれない。
ノーナはおそらく、男しか愛せないのだろう。そしてそのことに後ろめたさを感じている。確かにそれを悪く言う者がいることも否定できないが、シルヴァにしたら性別など関係なく人を愛せること自体、素晴らしいことだと思うのだ。
もし自分が恋人だったら、ノーナを全ての悪意から守るのに。でも自分がなにを言ったって、彼はシルヴァのことを守ろうとするんだろう……柔らかく小さな手で。
胸に込み上げるこの気持ちをどう表現したらいいのかわからない。自分のように無骨でつまらない男が誰かをきちんと愛し、大切にすることができるのか。
もっとも、自信がないからといってノーナを手放せるかというと、それはまた別の話だ。こんなにも危なっかしい人、つかの間目を離すだけで怪我をしたり事件に巻き込まれたりしかねない。
その気概で年上らしさを示すときもあれば、リラックスしているときは子どものように無邪気な一面を持つ。
部屋でキスをしたときはノーナの色気に惑わされたといっても過言ではない。なのに目の前で転んだ回数は数知れず。
アンバランスなギャップが彼のたまらない魅力だ。シルヴァはふたりきりで過ごした数少ない場面を思い出していた。
どこか、記憶が抜け落ちている気がするのは何なのだろうか……なにか重要なことを忘れている気がして、シルヴァは首を捻った。
その日は医務室の前をウロウロとしてみたり、なんとか隙を縫って眠るノーナを見守ったり。
ノーナと少し会話できたと喜ぶパテルに歯ぎしりしながらも、想定していたより順調な経過に胸を撫で下ろした。
さらに翌日、医務官からも「このまま行けば思ったよりも早く回復しそうだ」と太鼓判を押され、シルヴァは砦の大広間に向かった。さすがに何日も個人的な理由で騎士団の仕事から離れることは許されない。
大広間ではこれから来週王都へ戻るチームと砦に留まるチームとで、最終の引き継ぎや申し送りが行われる。
見回り箇所や実務的な業務内容についてはすでに引き継ぎを終えているが、脳筋な騎士たちはつい事務的な部分を後回しにしがちだ。
いくつか置かれた細長いテーブルには騎士たちに加え、パテルたち事務官もついている。騒々しさに満ちた部屋に入ると、シルヴァと目が合ったパテルは小さく首を振り、表情には焦りが見えた。
どういう合図か分からず周囲を見回したシルヴァは、いつの間にか自分に注目が集まっていることに気づいた。先輩騎士が口を開く。
「シルヴァ、牢に捕らえられていた奴を殺したって、本当か? さすがにやりすぎなんじゃ……」
「は? 俺じゃありません。あの男は何者かに殺されたんです」
「でも直前に『殺すぞ』とお前が言っていたと、見張りのやつが……」
「それは、言いましたが……」
死んだ男の暴言の内容について話すつもりはないし、毒殺であることはまだ秘匿されている。
シルヴァが口籠っていると、周囲の騎士たちは口々に「報復にしてはやりすぎ」「騎士としてあるまじき行為」などと好き勝手に話し始める。
そもそも、ここにいるはずの見張りの奴らはシルヴァが男に指一本触れていないことを知っているはずなのに……
(これが俺の人望か……)
シルヴァのことを気に食わない人たちが、また噂を捏造して流したのだ。
確かにこの場には、シルヴァがこれまで一緒に仕事をしてきた者は少ない。とはいえ噂をすぐに信じられてしまうなんて、シルヴァに人望がないことの証だった。
自嘲気味にため息をついていたそのとき、「失礼します!」と大広間に乱入してきた者がいた。
若い騎士たちがぞろぞろと入ってきて、シルヴァの前に立つ。シルヴァが王都から連れてきた新人騎士たちだ。
「シルヴァ先輩はそんなことしていません。するはずがありません!」
「僕たちは一ヶ月以上一緒にいたからわかるんです。先輩以上に真面目で正義感にあふれている騎士は、滅多にいないということを……みなさんも知っているでしょう!?」
胸が熱くなる。
少し……いやかなり恥ずかしいが、新人たちの言葉に深く頷く者や「やっぱり俺もそう思ってたんだ! シルヴァがそんなこと、するはずない!」と援護し始めた先輩もいる。
「生意気だぞ!」と新人を叱る人もいたが、パテルたち事務官も応戦しすぐに分が悪くなった。
血の気の多い騎士たちが手を出し始めると大混乱になるからだろう。すぐに最年長の上官がその場を収めてくれ、新人たちは退散した。その後の会議でシルヴァが不当な文句を言われることはなかった。
正義、か……。シルヴァは目の前で死んだ男のことを考えて、なんとも言えない気持ちになる。
あの時は困ったが、死んでほしくなかったとは到底思えない。大切な人を侮辱されて大怪我までさせられて、頭の中は憎しみでいっぱいだった。
だが、個人の恨みで他者を手に掛けるなんて人として間違っている。しかも今回の目的は口封じだ。やった方も、やられた方にも憐れみしか覚えない。
スープに毒を入れた犯人はまだ見つかっておらず、牢までスープを運んできた騎士も身に覚えがないと言う。彼は先日到着したチームではなく、来週帰っていくうちの一人なので可能性は低い。
毒は北の地で容易に手に入るものではなく、王都から持ってきたのだろうと医務官は告げた。砦の厨房にて作られた食事で他に被害はなく、完成してから犯人が毒を混入させたと思われるが……
砦で働いている厨房の人間は思ったよりも多く、騎士と接触したかなどの聞き取りに時間がかかっていた。こちら側で信頼できる人間が少ないし、協力者を増やしていくにも時間が足りない。
思うように進まない犯人探しに頭を抱えたくなる。いっそ正面から自分を殺しにくればいいのに。そうしたら返り討ちにしてやる。
八つ当たり気味に心のなかで煽りながら、習慣のように医務室へ向かうと、なぜか部屋には鍵がかかっていた。
「なんだ……? おい、誰もいないのか?」
ドアをノックして声を掛けながらも、違和感が胸の中で膨らむ。この部屋に鍵が掛かっていたことはシルヴァの知る限り、一度もない。
誰もいないなら鍵をかけるのもわかるが、ノーナがいるし傍には医務官とその助手のどちらかが必ずついている。
ノーナを他の部屋に移動させたのかもしれない。でも今朝来たときにはそんな話、聞かなかった。むしろむやみに身体を動かすのはノーナに負担だろう。
だんだんと焦燥感に駆られる。大きく音をさせガンガンとドアを叩いていると、遠くから医務官たちが二人並んで歩いてくるのが見えた。
「あれー。きみ、また来たんだ。そこで何してるの? 鍵、開いてるでしょう?」




