22.愛は矛盾のなかにある
シルヴァはウィミナリス侯爵家の次男として生まれた。
父は現エレニア国王の異母弟だ。ウィミナリス侯爵に叙せられ領地を与えてからは、強い野心をもって領地経営を行い、瞬く間に名実ともに実力のある貴族となった。
いまは豊富な資金力を盾に有力貴族との繋がりをもつ政治家で、父の発言が王政を揺るがすとも言われている。
六つ上の兄は順調に父の後を継いでいる。子が生まれたと聞いて贈り物はしたが、もう何年も会っていない。
それどころか王都からほど近い領地へも家を出てからは一度も帰っていなかった。あの家とはもう、縁を切ったつもりだ。
父と母は典型的な政略結婚で、二人のあいだに愛があるように見えたことはなかった。両親は子育てに全く干渉しない。貴族の結婚なんてそんなものなのだろうか。
社交に忙しい父はほとんど家におらず、母は有り余る金で駆け出しの芸術家に資金援助する楽しみに傾倒した。芸術に価値を置くこの国で、パトロンの存在は重要だ。
そのうちの何人かが出世し、結果的にわが家に利益をもたらした例もある。
それだけなら美談だが、母は芸術家たちと身体の関係を持っていた。父もそうだ。外に囲っている女が何人もいるらしい、とシルヴァは学園に入ってから噂で聞くことになる。
シルヴァが学園に通い始めたころ、よく母は家でひとりになっていた。父は学園を卒業した兄を連れて王宮や、その他シルヴァも知り得ない貴族の社交場を巡るのが常だったからだ。
学園から馬車で家に帰ると、母は芸術家の誰かと部屋に籠もっていることが多かった。当時は女性が男性と二人きりになる意味が分かっておらず、作品制作を見学しているとか、自分の絵を書かせているのだと思っていた。
学園で習う剣術に夢中になったシルヴァは、よく庭で鍛錬をしていた。晴れていると室内は光の反射で見えないが、ある曇りの日、外から窓を通して部屋の中がよく見えた。
――肌色が絡み合っている。
その意味が、学園で色んな話を聞くようになったシルヴァには分かってしまった。
気持ち悪い。
その行為というより、堂々と愛人を連れ込める考えに吐き気がした。父も、母も、病気だ。相手を取っ替え引っ替えして遊ぶことに全く罪悪感を感じていないように思えた。
お互いの遊びを知っていて、なにも言わない。家に悪影響がなければそれでいいのだ。
結婚ってなんなのだろう。家族って?
ただの契約なのかと自分を納得させようとしても、学園の友人は恋や愛への憧れを語る。自分の家以外の話を聞くと、物語のように幸せな家庭がちゃんと存在していることを知った。
自分が誰かを愛せる日がいつか来るのだろうか。両親のような関係になるくらいなら、ずっと一人でいいとさえ思う。
たまに、可愛いと思う人はいた。でもシルヴァがじっと見つめるだけで、相手は怖がって逃げていく。自分が大柄なのに、小柄で小動物のような人に惹かれていたからだ。会話もできないから、恋に発展することはなかった。
積極的な女性が寄ってくることもあったが、母を思い出して嫌悪を催してしまう。自分に恋愛は無理なんだと悟った。愛を知らないシルヴァが人を愛するなんて、不可能な話なのだ。
学園の卒業が迫ったとき、父が突然シルヴァに婚約者を見繕ってきた。顔も知らない有力貴族の娘だ。
「無理です。俺に結婚なんてできない」
「シルヴァ、お前は馬鹿か? 形だけでいいのに、無理だなんて結婚に夢を見ているんだろう。この婚約は我が家に利益をもたらす。お前も子さえ作れば好きにしていい。誰の恩恵でこの生活をしていると思っているんだ。私に逆らおうとするな!」
そう恫喝されてシルヴァは家を出ることに決めた。兄の協力もあって、学園の卒業後、騎士見習いとなり国王軍の騎士として叙勲された。
シルヴァに期待することを諦めたのか、父からは妨害も干渉もなかったが、事情を知らない周囲の貴族は勝手に行動する。
騎士団幹部になれるよう取り立ててやる、と頼んでもいないのに言ってくる。賄賂を持ってきて父に取り次いでほしいとすり寄ってくる。両親と同じ、恥も外聞もない奴らばかりだ。
守るもののないシルヴァは危険を顧みない姿勢で先頭に立ち、戦場で戦った。むやみに命を捨てるつもりはないが、結果的に死んでも誰にも迷惑を掛けない。戦っているときは必死で、無感情でいられる。
真面目に騎士として生きていれば、認めてくれる人もだんだんと出てきた。先輩からは周りを頼って自分の身もちゃんと守ってくれ、と嘆願されることもあった。
シルヴァはうまく他人と生きられない。夢も目標もなく、両親のようになりたくないという思いだけでここまで来た。
曲がったことや矛盾、嘘や建前も嫌いで、周囲に煙たがられているのは分かっていたがどうしようもない。……どうしようもなかった。
――ノーナに出会うまでは。
医務官に許可を貰って、シルヴァはノーナの寝ているベッドの横に立つ。あのときは薄着で血まみれになっていたノーナも、いまは清潔な服を着せられ、温かい部屋で温かい毛布にくるまっている。
まだその顔に血の気はなく、肌が白いせいで人形が横たわっているようにも見える。怖くなったシルヴァは布団の中に手を差し込み、ノーナの右手をそっと掴んだ。
体温は高くないものの、柔らかい手には血が通っていることが分かってホッとする。シルヴァは死人の手がもっと冷たく、硬いことを知っていた。
この小さな手が、シルヴァを守ろうとしたのだ。シルヴァは生まれてこの方、誰かから守られるという経験をしたことがなかった。
幼い頃は家に守られていたと思うけどそうじゃなくて……騎士となってからは自分が国王の手足となってこの国を、国民を守るのだという意識はあったものの、こんな血の通った思いではない。
ひとりの人間が、誰かひとりを命がけで守ろうとすること。これが愛じゃなければなんというのだろうか。
胸が苦しくなって、シルヴァはノーナの手を少しだけ強く握りしめた。こんなにも小さくて愛しいもの、どう大切にしたらいいのか分からない。
ノーナに出会って初めて、矛盾や相反する感情が自分の心を埋め尽くすことを知った。ノーナなんて、もう顔も見たくないと思っていたのはつい昨日の話なのだ。
シルヴァは、あまりにも知らなすぎた。知ろうともしていなかった。
もしかしたら両親も、なにか複雑な感情を抱えていたのかもしれない。人として好きになれないことは仕方ないとしても、理解しようと歩み寄れなかったのはお互いさまなのだろう。
ノーナの不可解な行動にも、なにか理由があったのだろうか。彼が目覚めたら、ちゃんと話を聞きたい。
彼がどんな嘘をついていたとしても……もはやシルヴァは無条件に受け入れ、赦してしまう自信があった。
「し、る、ぁ……」
「ッノーナ!?」
自分の名前を呼ばれたように感じてシルヴァはハッとする。注意深く見ていると、黒く長いまつ毛が震え、徐々にノーナはまぶたを上げた。
シルヴァは、その大きな瞳に自分が映ることを恐れてすぐには動けなかった。
怖いと思われるかもしれない。ランスを抜いたとき、最後に痛みを与えたのは自分なのだ。それに昨日も……怒りにまかせて酷いことを言ってしまった。
しかしノーナは自分の手を誰かが握っていることに気づいたのか、首を微かに動かし、すぐにシルヴァを見つけた。
「ほんとに、いたぁ……」
「くっ」
へにゃっという効果音がつきそうなほど柔らかく微笑んだノーナは、破壊的なほど可愛かった。
だが彼は無意識に身体ごと動かそうとして、痛みに顔を顰める。
「い゙っ……」
「動くんじゃない! あぁ、痛いよな? ……すまない。すぐに医務官を呼んでくる」
「いたい……さむいの。ぱぱ、まま。ひとりにしないで……」
「…………」
確か……両親を早くに亡くしたと言っていたか。また目を閉じてしまったノーナは夢うつつだったのだろう。子どものような辿々しい喋り方に胸が苦しくなった。
シルヴァは医務官を呼び、ノーナの言葉を伝える。
「もう強い痛み止めは使えません。こちらも使用にリスクがあるのです。効果は弱いですが、鎮静作用のある薬草を混ぜたスープを飲ませましょう。……あなたがやりますか?」
是非やらせてくれと頷くと、医務官は手を石鹸で洗ってこいとシルヴァに命令し、自分はスープを取りに行った。
ノーナのように弱った人間は、少しでも水分と栄養を取らないと、新しい血を作れないのだという。失った血を取り戻すことは、彼の回復に最重要といえる。
背中にクッションを挟み込み、ノーナをそっと抱き起こす。ノーナは薄く目を開いたり閉じたりして、すごく眠そうだ。痛みを感じないよう、自然と眠りに逃げようとしているのかもしれない。
こぼしてもいいようにと医務官が胸元に布を置き、シルヴァは具のないスープをスプーンに掬ってノーナの口元へと運ぶ。
「ノーナ、これを飲んでくれ」
「んー……」
「あったかいぞ? 痛みも良くなる」
「んー……」
何をするのも億劫、というように目の前のスープを無視したノーナに、なるべく優しく声をかける。正直、重低音としか言いようがない自分の声では意味がないように思えたが、ノーナはスープの匂いに釣られたのか「あ」と口を開けた。
小さな口にスープを落としていくと、コクンと飲み込む。その様子に、シルヴァはあらゆる感情が湧き上がってきて爆発しそうだった。が、なんとか表面上は平静を保つ。
医務官は面白そうにノーナとシルヴァを見比べて「仲が良いんですね」と言った。仲は……最悪に拗れたところで止まっているが。
取り戻せるだろうか。いや、絶対に取り戻す。ノーナが、元気になってくれれば……
皿が半分ほど空になったところでノーナは咳をして、飲み込みかけたスープを吐き出した。傷に響くに違いない、咳をするたびに「うぅっ」「い゙っ」と辛そうに呻き、目元に涙が浮かぶ。
シルヴァは代われるものなら代わってやりたいと心底思いながら背中をさすり、医務官の指示に従ってノーナを寝かした。
疲れ切った顔でまた眠ったノーナ。涙を纏ったまつ毛は重そうに伏せられている。その姿はあまりにも儚い。
手元に残った皿を見てシルヴァは恐ろしくなった。自分にはひとくちに思える量のスープを、たった半分しか……
ノーナは本来なら意外なほど食べるし、飲む。酒を飲む速さなんて、シルヴァを大きく上回るほどなのだ。
「一歩ずつだよ。ノーナくんを信じよう」
ポン、と医務官がシルヴァの肩を叩く。そうだ。絶望している暇なんてない。
この件を本部に伝えるため、有志が今日王都へと発った。多少の雪では影響が出ないよう街道は整備されているし、騎士ひとりの移動なら一週間ほどで到着するだろう。
来週には新人騎士を連れてシルヴァも王都へ帰る予定だったが、今冬は帰らないことに決めた。
新人たちは交代で王都へ戻る騎士たちに託し、シルヴァはノーナと共に春までここにいる。勝手に決めたことだが、モルタ辺境伯からも嘆願書を書いてもらったからなんとか受理されるだろう。
これまで真面目にやってきたんだ。一度くらい命令に背いたっていいはずだ。
ノーナが回復する頃には、もっと冬が深まっているだろう。寒さに弱い彼の負担になるような移動は控えたいし、シルヴァがノーナを置いてひとりで王都に戻ることなんて……もう考えられなかった。
まずはこの一週間を乗り切らなければならない。ノーナの容態のこともそうだし、もう一人の犯人もまだ同じ砦にいるはずなのだ。なんとか数日以内に見つけて、王都へ戻るチームに引き渡してしまいたい。
あの様子だと、またノーナはシルヴァを守ろうとしてしまうかもしれない。ノーナには心から安心できる環境で回復に努めてもらわなければ。
なにか、解決の糸口が見つかればいいが……そう願っていたのに。
翌日、地下牢に捕えられていた実行犯が死んだ。




