21.現実と真実
「よか、ったぁ……」
囁くように小さな声でそう告げたノーナは、静かに目を閉じた。その顔は、死人のように血の気がない。
当たり前だ。肩にはまだ槍が刺さっているし、血も流れ続けている。小さな身体を貫通する異物が、あまりにも憎い。
傷口を不用意に広げないため、戦場でもない限り体内に入った異物は医師が取り除くのが騎士の中では基本となっている。
その身に染みついたルールがシルヴァを押し留めていたが、正直、何をどうすればよいのか分からなかった。
目の前で起きた出来事が衝撃的すぎて、理解が追いつかない。混乱、動揺、怒り。あらゆる感情が頭の中を駆け巡っている。
いったい何が起きた? ――結果だけが目の前に横たわっている。
「医務官を呼べ!」
誰かが叫んでいる。そうだ……医務官。なによりもノーナを医務官に診せることが先決だ。
シルヴァは刺さったランスを支えながらノーナを抱き上げ、立ち上がった。流れ出した血が手にべったりと付いて滑りそうだ。
彼はこんなにも軽かっただろうか?
よく見ると、王都で会ったときより痩せ細っている。どうして。昨日は怒りとショックでなにも気づかなかった。
「シルヴァ!! 早く行こう。クウィリーに医務官を待機させた。――あぁ、ノーナ……」
「モルタ辺境伯……俺には、何がなんだか……」
「すぐに分かるさ。おい! 犯人は地下牢へ連れて行ってくれ」
ランスでノーナを刺した男が拘束されている。いや……男はシルヴァを狙っていたのだ。同じ騎士が……。
彼を見ると憎悪の感情が湧き上がってきたが、グッと抑える。いまはノーナより優先すべきことなどなかった。
なるべく振動を与えないよう速歩きで、辺境伯に付いて砦内へと向かう。
「ノーナ!!」
砦に入ると、階段を駆け下りてきたパテルが叫ぶ。彼も王都から来た騎士団の事務官だ。
ぐったりとしたノーナの姿を視認すると目を見開き、「そんな……」と絶望的な声で呟いた。
昨日も二人は一緒にいたはずだが、彼とノーナの接点は思い当たらなかった。シルヴァはノーナのことを何も知らない。
急ぐシルヴァとモルタ辺境伯に、パテルは付いてきた。騒ぎが起きてから窓の外を見て、事件を知ったようだ。
パテルはノーナの怪我の経緯を知りたがり、辺境伯が質問に答える。彼女は直前までノーナと一緒にいたらしい。
ノーナが辺境伯の秘書として働いていたことさえも、シルヴァは知らなかった。
医務室へ到着し、詳しい話は後にしてノーナを医務官へ託す。騎士団が常駐しているため、この砦には医務官も雇われているのだ。
老年の男性は怪我をしたのが騎士だと思っていたらしく、ノーナの姿を見て目を見張った。
「まずはこれを抜きましょう。私と助手は肩と腕を押さえますのであなた方は脚を押さえて下さい。あなたはまっすぐ、ただまっすぐとこれを抜いて下さい」
医務官は痛みを鈍らせる効果があるという水状の液体を患部に掛け、舌を噛まないようノーナの口に布を噛ませる。その場に居た全員に、ノーナの身体を押さえるよう指示した。
シルヴァは自分がランスを抜くように言われて、束の間逡巡した。彼の行った準備は全て、抜く瞬間の痛みが相当な衝撃をノーナに与えることを意味している。
だが、抜かないと治療を始められないのだ。シルヴァはノーナの生気のない顔を見遣って、覚悟を決めた。
「行くぞ。三、二、一……」
「ッ!!」
まっすぐ、一瞬で抜けたと思う。
しかしランスを抜いた瞬間……ノーナは大きく身体をのけ反らせ、目を見開いた。
エメラルドグリーンの瞳に、血まみれのランスを持ったシルヴァが映ったように見えた。
ノーナはどう思っただろう……それを知る手段もなく、彼は眉間に深く皺を寄せたまま、またすぐに目を閉じてしまう。
医務官と助手が慌ただしく治療を始める。シルヴァたちはもうお役御免で、邪魔になるため部屋を追い出されてしまった。
医務室の前で、そこにいた全員が鎮痛な面持ちをしている。
モルタ辺境伯がパン、パン! と気持ちを切り替えるように手を叩き、号令をかけた。
「医務官とノーナを信じよう。とりあえず、情報共有だ。――シルヴァは着替えてきてくれ」
執務室に集まるよう言われて、シルヴァは自室として使っている部屋へと向かった。部屋の手前に共同の水場があり、そこで手を洗う。
手についた血が赤黒く乾き始めていた。水をかけると鮮やかな色になって流れてゆくのを、ただ見つめる。
これはノーナの血だ。彼が、シルヴァの為に流した。
(どうしてこんなことに……。ノーナは奔放で、ずるい人じゃなかったのか?)
ノーナは不思議な存在だ。シルヴァのことを好きだと告白したその口で、次の週には他の男に乗り換えたと言う。
童顔で色事とは無関係に見えるのに、男の寝所に忍び込んだり、連れ込み宿で人と会おうとする。
彼のイメージとは正反対に奔放で、積極的なのだ。それなのに、会って話しているとどうしても、純粋で可愛い人だとしか思えなくて……
意外性に溢れたノーナを、気付けば好きになっていた。だからこそ、噂になったときは自分が彼を守らなければいけないと思ったのだ。
あのとき、待っていてくれと言ったらノーナは頷いてくれたから……気持ちが通じ合ったのだと、柄にもなく浮かれた。
タイミングの悪い遠征に、初めて「行きたくない」と思ったくらいだ。
それが昨日聞いてしまった話で全て崩れ落ちる。惚れ薬なんて眉唾ものの話だと思いたいのに、ふたりの様子は真剣だった。
シルヴァ自身どうしてこんなにもノーナに惹かれるのか分からなくて、魔法みたいだと思っていたのだ。長年、恋愛という意味で人を好きになれないと思っていた自分が、急に男を好きになるなんて思うか?
だから……惚れ薬を使われたと聞いて腑に落ちた。
やっぱりシルヴァは他人を愛することができない。ノーナも、他人の心を弄びたかっただけなのだと。
部屋に戻って着替えると、胸の辺りに小さな傷ができていた。騎士服には血が染み込み、その中心に穴が開いている。
ノーナが身を呈さなければ、あのランスはシルヴァの胸を貫いていたのだろう。
脱いだ服を強く握りしめる。自分の不甲斐なさを、痛いほどに感じていた。
「遅い! 腑抜けている暇なんてないぞシルヴァ」
「……はい。まずは、知っていることを教えてください」
執務室に行くと、先ほどのメンバーに加えてクウィリーもいた。彼を加えても、一番情報を持っておらず、何も知らないのがシルヴァに違いない。
「ノーナはお前に存在を知られなくないと言っていたぞ? だから隠してやったんだ」
「そんな……どうしてですか!」
「知るか! お前が怖かったんだろ」
「ストーップ! 失礼ですが、私が一番今回の件については詳しいかと」
ピリピリとした空気に、つい辺境伯と言い合いになりかける。それを止めたのはパテルだった。
関わりはほとんどなかったものの、気の良い事務官の彼をシルヴァは信用していた。
いつもはきちんと纏められている水色の髪が乱れていて、顔色が悪い。彼も憔悴しているのだ。
「あの……冷静に聞いてくださいね。シルヴァ様は特に」
そう前置きしたパテルが語った内容――ノーナがここへ来た唯一の理由――は、シルヴァに甚大なダメージを与えた。
悲しさと悔しさが胸を覆い尽くし、目の前が真っ黒に塗りつぶされている。どうして自分が、のうのうとここに立っているのだろう。
「……全部、俺のせいだったのか?」
一部の人間にとって、自分が良く思われていないことは分かっていた。
父親の持つ貴族としての力が強すぎて、シルヴァへ無駄な期待が寄せられる。騎士としても、上手く公私を分けられずに嫌味な人間だと思われてしまう。
それがここまで発展すると思っていなかったのは、シルヴァの怠慢だ。恨みが自分に降りかかるならそれでいいと思っていた。
なにもかもどうでもいいと投げやりだった気持ちが、結果的にノーナを傷つけてしまったのだ。
「そうじゃないだろう。シルヴァほど目立つ男なら、必ず憎く思う者が出てくる。それは必然だ。だが……ノーナは勇敢だな」
「はい、とても。それにノーナさんは……驚くほど深く、シルヴァ様を愛しているんです」
「…………」
「彼を信じてあげてくれませんか? その、あの薬の件は本人からきちんと聞いてください。ご存知のとおり、ノーナさんは少々……わりと頻繁に……途轍もなく、ドジなんです」
「ノーナくん、仕事は完璧なのによく何も無いところで転んでますよね」
そうそう、とシルヴァ以外の人間が小さく笑い合う。もっとも、その笑い声もすぐに立ち消え執務室はシンと静まり返った。
「ノーナさん……大丈夫かなぁ」
「弱っていたもんな……。ただ、あの医務官はただの爺じゃない。国を渡り歩いてまで最新の医学を学んできた御仁らしい」
パテルがぽつりと呟き、辺境伯が眉間に皺を寄せる。ノーナはこの砦へくる過程で体調を崩し、やっと回復してきた頃だったらしい。
抱き上げたときの頼りない軽さを思い出し、自らの手を見つめた。医務官の腕によっては小さな怪我でも、簡単に人の命を奪ってしまう。騎士ならば元々の体力で乗り切る例もあるが、ノーナはどうだろうか。
元々あんなにも華奢なのに、シルヴァのために行動し、弱ってしまっていた。そこに今回の大怪我だ。致命傷になりかねないことを皆がわかっていて、あえて口にしていないのだった。
「たまに働きすぎちゃうだけで、意外と丈夫なんですよ」
ノーナと話すようになった頃、本人が口にした言葉を思い出す。疲れてボロボロになることはあれど、仕事は休んだことがないのだと誇らしげに言っていた。
あの小さな身体に、溢れんばかりの生命力が詰まっていると信じたい。祈ることしかできない自分は無力だ。
なにか自分にできることはないのだろうか? そういえば……
「犯人はどうなったんですか?」
「それについては、私から報告を」
ノーナとパテルが追っていた人物であり、ノーナに大怪我をさせた騎士の男。
確か牢へ運ばれて行ったなと思い出し尋ねると、片眼鏡をかけたクウィリーが手を挙げた。
「現行犯なので犯人なのは間違いないですが、今のところ黙秘を貫いています。場合によっては刑務官を呼び寄せ、拷問にかけることも有りかと」
「あの、捕まったのは一人ですか?」
「えぇ、――あ。そういえば話し相手がいたと……」
「そうなんです。私とノーナさんが追っていた犯人は二人いました。特定には至っていませんでしたから……シルヴァさん、まだ気をつけていてください」
まだ敵が騎士の中に紛れ込んでいるのかと思うと、ぞっとする。怖いという意味ではなく、騎士とは思えない卑しい精神に心底嫌悪感を覚えた。
騎士となる際に叩き込まれる騎士道精神を、どこへ置いてきてしまったのか。しかし教えは形骸化しているものも多く、こういうところがシルヴァの頭が堅いと言われる所以なのだろう。
コンコン、と執務室のドアが叩かれる。シルヴァが警戒しながら出迎えると、やって来たのは医務官だった。
ノーナのことを報告に来たのだろう。彼はモルタ辺境伯の目の前まで歩いてゆき、口を開いた。
みんなが固唾を飲んで彼の言葉を待つ。
「当面の治療は終えました。いまは痛み止めも効いて落ち着いて眠っています。ただ……創傷は彼の身体に大きな負担を与えました。これから一週間は生死の境を彷徨うことになるでしょう」




