20.雪に鮮血の色
落ち込んでいても仕方ない。パテルは信頼できる騎士経由でシルヴァに危険を伝えるよう頼んでくれて、ノーナは本当の最終手段としてモルタ辺境伯に相談しようと決意した。
ノーナ自身の力はあまりにも小さく、弱い。人の助けを借りなければ何も出来ないことが不甲斐なかった。
翌日は辺境伯の秘書をする日だったので、ノーナは執務室に向かった。挨拶して部屋に入ると、窓から外を見ている辺境伯とクウィリーさんが並んでいた。
ふたりは昔から一緒にいるらしく、本当の兄妹のように見えることがある。
「ノーナ! 見ろ、雪かきしてるぞ」
「ゆき、かき……?」
「王都では馴染みのない景色かもしれませんね」
聞いたことのない単語に、ノーナは興味を持って窓際へと近づく。
起きてから外を見ていなかったが、窓から見下ろした砦の周囲は積もった雪に覆われていて、眩しいほど白く、美しかった。海に近い港の方は風向きや気温が違うのか、屋根に薄らと雪が残っているだけだ。
砦の近くでは訓練場や通路に積もった雪を、騎士たちがスコップで退かしている。
「これが雪かきですか……」
「まだまだ少ないけどな。本格的なシーズンに入れば、ノーナなんて埋まるほど積もるぞ」
「えぇっ。そんなに?」
モルタ辺境伯の言ったとおりこの程度は少ないのか、あっという間に白い塊は一箇所に集められていく。中心となって作業している騎士たちのなかにシルヴァを見つけて、ノーナの胸は引き絞られたように痛んだ。
昨晩は悲しみと不安で眠れなかった。シルヴァは、どんな夜を過ごしただろうか……
ひとりでズンと落ち込みそうになる気持ちを切り替え、ノーナはシルヴァを狙う人がいることを、辺境伯に説明しようとした。
「あの、実は……」
そのとき、先に雪かきを終えた騎士たちが今日の訓練の準備をしているのが見えた。倉庫のような場所からたくさんの槍を取り出している。馬上で剣やメイスと並んで使われる、騎士たちの代表的な武器だ。
その中に昨日話を聞き出そうとしていた男を見つけて、ついノーナの視線は吸い寄せられた。
「ノーナくん、どうしたんですか?」
「あの人……やっぱり怪しい」
「ノーナ? 説明してくれ」
「シルヴァさんに怪我をさせるという陰謀が王都で企てられていたみたいなんです。僕たちと一緒に来た騎士の中に実行役が紛れていると聞いて、探していて……あのっ、僕、下に行って見てきます!」
「え! ノーナ!?」
表情までは見えなかったものの、槍を握る男の雰囲気に嫌なものを感じて居ても立ってもいられなくなった。
不十分な説明に状況がまだ理解できないのだろう。突然の行動に焦った声で呼ばれたが、ノーナは上着も着ないまま階段を駆け下り、外に飛び出した。
砦の玄関から五十メートルほど先にいたシルヴァは雪かきを終え、他の人の分までスコップを集めている。新人でもないのに片付けまでやるところが、真面目な彼らしい。
しかし感心する余裕はなく、ノーナは窓から見えた男を探した。するとシルヴァよりも遠くで、さっそく騎乗しているのが見えた。手には、槍を握っている。
男がシルヴァのいる方向へと馬の頭を向け、進み出す。徐々にスピードを上げているため、近くにいた人は驚いて避けた。
「危ないぞ! どこに向かってる!」
ノーナはまた走った。こんなにも全力疾走を続けたことはない。
口を大きく開けて呼吸しても、足りないくらいに息が苦しい。心臓は激しく拍動して痛いほどだ。
普段ならとっくに体力が尽きて足が動かなくなっている頃だ。だが火事場の馬鹿力というやつなのか、ノーナは走り続けることだけはできていた。
「はぁっ、はぁっ」
自分の一歩は小さくて、なかなかシルヴァに近づけないのがもどかしい。大声を上げるにも、口は酸素を取り入れるのに忙しかった。
シルヴァは、ノーナとも近付いてくる男とも違う方向を向いて誰かと話している。
ノーナは槍を構えた男の方へ向かっても馬に蹴飛ばされるだけだと判断し、手前のシルヴァに向かって走っていた。
目測でも、直前にノーナがたどり着けそうだ。
男が馬を速く走らせたら負けるが、訓練場に散らばった騎士たちが上手く障害物の役割を果たしている。騎乗した人よりノーナの方が身軽に人を避けていける。
槍を構えた男がすぐ近くにまで迫っていて、気づいた者は「何だ!?」と怒るが、シルヴァは気づかない。
誰かにずっと話しかけられ気を逸らされているようで、もしかしたらその騎士も協力者なのかもしれなかった。
騎士たちの中にいると、背の低いノーナは完全に紛れてしまう。
あと数メートル。足より声の方が辛うじて先に届きそうなところで、ノーナは全力を振り絞って声を出した。
――気づいて!!
「シルヴァ……!」
一瞬の出来事がスローモーションのようだった。
ノーナの声に気づいたシルヴァが振り返り、走ってきたノーナを視界に収めた。驚いて見開かれるバーガンディの目。
直後に馬上から槍を振り上げる男にも気付く。しかし僅かに遅く、普段は機敏なシルヴァの動きを両手に持ったスコップが阻んだ。
「死ねぇーーーッ!」
最後の瞬間に男が声を張り上げる。
ノーナは走る勢いそのままに――シルヴァに飛びかかった。
「あ゙っ……」
「――ッ。ノーナ!!!」
肩に焼かれたような熱さが走り、シルヴァと一緒にそのまま地面へと倒れ込む。
周囲はそのまま逃げようとする犯人を捕獲に走ったりと急に慌ただしくなったが、ノーナにはほとんど聞こえていなかった。
痛い、と認識した時には燃えるような痛みがすべての感覚を覆っていた。
それもそのはず、尖った槍の先はノーナの肩を貫通し、シルヴァの肌にまで傷を付ける勢いだったのだ。
ノーナは即座にシルヴァによって上半身を支えられたが、意識が遠のきかけている。肩から腕を伝ってドクドクと血が流れ落ち、地面に集められた雪へと赤い染みを作っていた。
意識を失う前にこれだけは確認しなければと、ノーナは小さな声を絞り出した。
「しるゔぁ、さん……怪我は?」
「俺は大丈夫だ! なんで! なんでこんなこと……」
「よか、ったぁ……」
ノーナはホッとして目を閉じた。目的は達成できたから……もう、自分はどうなってもいい。
全ての感覚が鈍り、シルヴァの声さえ聞こえなくなっていた。
自分はここで死ぬんだな、と初めてノーナは思った。
でも先に旅立った両親に会えるのならそれもいい。ずっと、ひとりで寂しかったから。
走馬灯のように、両親がいた頃から今までの思い出が駆け巡る。
仲が良くて温かい家庭だった。
商売をやっていたから忙しそうだったけど、ノーナも幼い頃から当たり前のように仕事を手伝っていたのだ。新しいもの好きな両親は色んな雑貨を集めて家に置いていた。それらを見て、おもちゃにして遊ぶのが好きだった。入れてもらった学園でも友だちがたくさんできて楽しかった。
――強盗に入られて、両親の命が奪われるまでは。
ひとりで家を買って、すぐに王宮の下働きとして就職先を見つけた。お金がなかったのもあるし、忙しくしていないと孤独に押しつぶされそうだったからだ。
仕事はつらいこともたくさんあったけど、やりがいもあった。ノーナを経理局に引き上げてくれたかつての上司は、まだお元気だろうか。あの人は自分の孫のようにノーナを可愛がってくれて、大好きだった。
そして、新しい上司になったトゥルヌスさん。彼のことは……もう考えたくない。忘れたい。
ノーナの恋心をまっさらな色に塗り替えてしまったのは、シルヴァだ。半年にも満たない期間で、彼と過ごした時間はほんの少しだったと言えるだろう。
それでも、シルヴァはノーナの人生を変えた。価値観が変わり、自分の本当に望むものを見つけることができた。
――たくさん、拗れちゃったけど。
うまくいかなかったなぁ。でも、自分から愛せる人を見つけ、大事な人を守れたのだから本望だ。
シルヴァにも幸せになってほしい。どうしようもないノーナのことは忘れて、遠くで愛する人を見つけて、幸せな家庭を築いて……
それを心から祝えないことだけは許してほしい。自分の前に金輪際姿を見せるなと言われたから、大丈夫か。
あぁ、なんか疲れたな。たくさん走ったからかな?
なんで走ってたんだっけ……大事な目的があった気がしたけれど、思い出せない。
ちょっとゆっくり寝たいな。確か昨日は眠れなかったんだ。
何か……心配事があって。ううーん? 寝て起きたら思い出すか。
ねぇパパ、ママ。今日はいっしょに寝ていい?
すごくさむいの。あした、ゆき、ふるかなぁ……。




