19.雪と露
あれから一週間が経ち、ノーナの体調もほぼ回復した。外の寒さに反して、砦の中は意外に温かかったからだ。隙間風が入らないよう工夫されているようで、窓も二重になっていた。
暖房のない廊下はさすがに冷えるが、部屋の中は温水循環式のヒーターが設置されており、この砦全体を温めている。広い部屋には暖炉もあるし、二重の効果で温かい。各部屋に敷かれている分厚い絨毯は床から冷えが伝わってくるのを防ぐためで、ノーナは北の暖房設備に感心しきりだった。
王都に籠もっているだけじゃ、知り得なかったことがたくさんある。
仕事に関しては予定外というか、週に四回騎士団の事務官として仕事をし、週二回は辺境伯の秘書をすることになった。
秘書といっても書類仕事の多いクウィリーさんの手伝いがほとんどだ。ノーナが平民だということも、この砦ではあまり気にされていない。まだ一週間だが驚くほど働きやすく、ノーナは真剣に長期滞在を考えていた。
もちろん王都には大事な家があるから、三年でも長いと思うけど……。シルヴァのことを思い出さなくなるまで、ここに居てもいいかもしれない。
半年ではぜんぜん、足りない気がした。
「今日もかっこよかったぁ……」
「いやいやノーナさん、わかるけど! 本来の目的忘れてないよね?」
夜、同室のパテルに訊かれて、もちろんと頷く。
ノーナは砦の窓から見えるシルヴァの様子を、毎日目に焼き付けていた。壁際に置かれたヒーター近くの席を希望してよかった。仕事の隙間時間に窓の外を眺めると、新人を訓練している彼の姿がよく見えるのだ。
冬の曇り空の下でも、彼のシルバーの髪は輝いている。いや、間違いなく彼自身が輝いて見えた。
シルヴァたちはノーナが到着する前に偵察を終えたようで、結局怪しい動きなんてなかったと聞いた。モルタ辺境伯も「冬眠前の獣じゃないか?」と言っていた始末だ。
結局はシルヴァを誘い出すため、誰かがでっち上げた言い訳だったのだろう。
辺境伯の執務室で手伝いをしているときも、彼は一度だけやってきた。シルヴァに臆さない女性である辺境伯は、彼にとっても新鮮な存在に違いない。
なにもないと分かっていても、親しげに話す二人の様子にはツキンと胸が痛む。彼が女性との結婚を望めば、いつか必ずそんな未来が来る。シルヴァには儚げなご令嬢も似合うが、辺境伯のような強い美人もお似合いだ。
ノーナは辺境伯とクウィリーさんの許可を経て、執務室の入り口からはすぐに見えない場所に机を置いている。シルヴァが来たら合図を受け、ノーナはすぐに隠れるのだ。
姿は見ない。背の高い二人は並ぶと一対のように見えるだろうから。彼の声を聞けるだけでラッキーボーナスだと自分に言い聞かせた。
パテルとの調査も進んでいる。彼が仲の良い騎士から聞き取りをしたりして、ある程度までは怪しい人物を絞り込めた。
とはいえ騎士たちと事務官の生活スペースは全く違うため、普段の会話などは聞けない。決め手がないとシルヴァにも忠告しづらいので、困っていた。
「僕、お風呂に潜入しようかな? 裸なら僕がいたってわからないでしょ?」
「え、馬鹿なの? 俺ならまだしも、ノーナさんの体格は一発でバレるって! 黒髪も逆に目立つし」
「頭に布でも巻いて、お湯にずーっと浸かってれば……」
「だめ、のぼせて倒れる未来しか見えない。はぁ、ピークスさんの苦労がよく分かるよ……」
しっかり者のパテルは、年下なのに保護者みたいだ。いつもノーナは彼に心配と気苦労をかけてしまっているので、たまに肩を揉んであげている。
ノーナもちゃんと役に立ちたい。すでにタイムリミットは迫っていた。ちょうど一週間が経って、敵が行動を起こすとしたらそろそろだと思われる。
王都から同行してきた騎士たちはここ数日砦を離れていたから、シルヴァとの接触もなく安心していた。明日彼らは戻ってくるし、もう一日も気を抜けない。
「明日は休息日だし……。僕、惚れ薬を使って一番怪しい人に話を聞いてみる」
「ねぇ、本当にそれ大丈夫なの……?」
ノーナは最終手段として惚れ薬を使うつもりであることを、パテルに伝えてあった。何度も説明したお陰で彼は魔法の存在を信じてくれるようにはなったものの、ノーナが上手くやれるとは思っていない。
自分の信用が地に落ちているのは悲しいが、今までのことを思い返すとノーナも自信があるとは言えなかった。
でも、たとえ失敗してもいい。覚悟の上でやるつもりだ。
「結果がどうであれ、パテルは明日シルヴァさんに危険を伝えてくれる? あの人なら自分の身は自分で守れるはず」
「まぁ……わかったよ。ノーナさんが惚れ薬を使うときは、俺も見に行くからね!」
翌日の午後になって、騎士たちが戻ってきた。交代になる騎士たちと一緒に、ピンチョ以外の北の地域を見て回っていたらしい。
外が賑やかになったのでノーナとパテルが見に行くと、ここへ来てはじめての雪が降りはじめていた。
王都では滅多に雪が降らないから、ちゃんと降りゆく雪を見たのは数年ぶりかもしれない。
外に出て空を見上げる。ふわふわとゆっくり落ちてくる白い結晶がきれいで、思わず口角が上がった。シルヴァもいま、同じ雪を見ているだろうか?
彼と部屋で食事をしたとき、遠征先で見たきれいな景色について話してくれたことを思い出す。南に行くことが多かったシルヴァも、ここでは雪景色を喜んでいるかもしれない。
そう考えるだけで、ノーナはこの地まで彼を追いかけてきて良かったと思った。同じ景色を同じ時に楽しめるのが嬉しい。
「ノーナさん、あのひとっ」
パテルに肩を叩かれハッと気を引き締める。指さす方向を見ると、ノーナたちが一番怪しいと判断した男が集団から離れていくのが見えた。馬の世話を終え、外の水場に向かっているようだ。
彼とはノーナもほとんど関わったことがなく、移動の途中で何度か業務連絡をしたきりだった。騎士たちの中でも中背で、横幅が大きくガタイがいい。
一重の目つきが鋭いタイプで、どちらかというと近寄りがたい印象だ。同僚の騎士団員たちとも仲良さげに話している様子は、あまり見た覚えがない。
決定的な証拠はなく、ほぼ消去法で彼じゃないかという話になっていた。それでも移動中の宿屋で会話していた二人のうち、一人だ。もう一人も絞り込んではいるのだが、やはり決定打に欠けた。
パテルと一緒に男を追いかけ、建物の陰から見守る。進んだ先の水場にはもう一人先客の騎士がいて、顔を洗っていた。
こんなにも寒いのに外で? と思ってしまうけど、動きまわる彼らにとっては寒さなんて堪えていないのだろう。
男がまた一人になるチャンスはある。様子を窺いながら、ノーナはポケットから惚れ薬を取り出した。これが最後の一個だ。手の平に乗せた瓶の中、桃色の球体を初めてみたパテルは、興味津々で覗き込んでくる。
「それが惚れ薬? なんか飴みたいだね。ほんとに効くの?」
「うん、すごく効く。言ったでしょ? シルヴァさんにさえ効いたんだ」
「シルヴァ様が魔法にかかるって……なんか想像つかない。何回か使った?」
「あー……二回だけ。間違えちゃっ」
「ノーナなのか?」
突然後ろから第三者の声がして、ノーナとパテルは飛び上がった。声の主は――――シルヴァだ。
(うそ……! 今!?)
パテルはすぐに振り返ったが、いまノーナはフードを被っている。振り返らなければバレないはず……って、いま、ノーナの名前を呼んだ?
どうやってノーナだと判断したのだろう。もしかして、声?
「惚れ薬って……どういうことだ」
「あ……」
「俺に使ったのか? 二回も?」
「っちが……」
「こっちを向け!!」
反論する間もなく、怒声を浴びせかけられる。肩をビクッと震わせたノーナは、ギギギ……とからくり人形のように従った。
そこには、降りしきる雪を背景にしたシルヴァが立っている。彼も休息日のはずなのにいつもの騎士服を身につけ、……運動してきたのだろうか、身体から湯気が立ち上って見える。
表情は読み取れないのに、濃赤の瞳は怒りに燃えていた。
なにか上手い言い訳を、と思っていても、彼を目の前にすると頭が真っ白になった。逃げたいのに、足がすくむ。
シルヴァが鬼神と言われる所以が今さらわかった。罪をさらけ出されたノーナは、ただ裁きを待つしかない。
「どうしてこんなところにいるんだ。なにが目的だ?」
「し、シルヴァさんが心配で……」
「俺が心配だって? それでこんなところに? ……あり得ない。何も信じられない。俺の気持ちは……紛い物だったんだな」
「……違うんです……」
「だがその怪しい薬を使ったんだろう? 何度か違和感があったんだ」
シルヴァはノーナの手元に視線を向ける。そこにはまだ、桃色の薬が握られていた。
違う。これはただの飴で、さっきの話も冗談みたいなもので……なんて、言えない。
かつて、シルヴァにもう嘘をつきたくないと誓ったのは、ノーナ自身だった。
「はい……使いました。ごめんなさい……」
「……それを寄越せ。そして金輪際俺に話しかけるな」
ノーナの手から惚れ薬を奪ったシルヴァの手は、冷え切っていた。ノーナの手も同じだ。なんの温かみも感じられない接触を最後に、彼は背中を向ける。
自分に向けられたシルヴァの声に、目に、怒りの裏で悲しさがあふれているのを感じた。彼に悲しみを与えたのは、ノーナだ。
シルヴァのために行動しているつもりでいたのに、彼を傷つけてしまった。また、自業自得だ。
遠ざかっていく背中を見つめて、掛ける言葉も見つからなかった。たとえノーナが真実を全て伝えたところで、もう彼は信じないだろう。
惚れ薬を彼に使ったのはわざとじゃなくて、魔法の影響は残っていなくて、シルヴァの気持ちは全て真実なのだと……そんな都合のいい話。
「ノーナさん、しっかり! あの男はどこか行っちゃったけど、俺はシルヴァ様に危険を伝えてくる!」
パテルはノーナの肩をぎゅっと掴んだあと、シルヴァを追いかけていく。
そうだ。ここへ来た目的は……シルヴァにもう一度会うためでも、傷つけるためでもない。
シルヴァに対して向けられた悪意から、彼を守るためだった。
そう分かっていても足が動かない。凍りついたようにその場に立ち尽くしていたノーナは、その後戻ってきたパテルによって部屋へと連れ戻された。
室内の空気が熱いほどに感じて、全身が冷え切っていたことにやっと気付く。
「シルヴァ様に話しかけたんだけど、俺でも話は聞いてもらえなかった……ごめん。あのときあの場所でノーナさんに、薬のこと聞くべきじゃなかった」
「ううん……僕の方こそごめんなさい。勘違いされちゃったけど、シルヴァさんに惚れ薬を使ったことがあるのは真実だし。僕のせいでぜんぶ失敗だ。はぁ……」
「別の騎士に頼んで伝えてもらうよ。……ねえ、ノーナさん。元々シルヴァ様にはもう会わないつもりだったんでしょう? 後味は悪いけど、これ以上関わらなければそのうち忘れるよ」
パテルの言うとおりだった。誤解を解きたいなんて、ノーナの自分勝手だ。
解いたところで、未来のない関係なら意味がない。傷つけてしまった事実はどうにもならないのだ。




