18.北の砦
「わぁ……これが、砦……」
「ノーナさん、動けるならこっち!」
十五日間の旅が終わり、ようやく目的地に着いた。
ノーナもなんとか生きたまま到着できて安心しているところだ。すっかり頬がこけてしまった気がするが、途中一日宿で休んでからは、徐々に体調も回復していた。
道中で雪が降らなかったのも大きい。これからもっと寒くなると教えられて、砦の外には出ないことを固く決心する。
被ったフードの下から初めて砦というものを見たノーナは、その物々しさと質実剛健な外観に驚いていた。豪華さと芸術性を全面に押し出した王宮とはまるで違う。
港町、ピンチョを見下ろすように建てられた石造りの城塞はいかにも堅牢で、大砲の一つや二つではびくともしなさそうだ。ここからはよく見えないが、屋上には海に向かって砲台が設置されているという。
とはいえ、この地で大きな戦いが起きていたのはノーナが生まれる前の話だ。当時は頻繁に修繕されていたというが、今は籠城して戦うような争いもなく、辺境伯の住まい兼国王軍の常駐基地となっている。辺境伯には軍の所持が認められているが、戦いの少ない現在はその規模が制限されている。
国にとって、辺境を守る領主が持つ力のバランスを取ることは重要だ。過剰な戦力はかえって脅威になりかねない。
そのためエレニア王国北部一帯の防衛に就く国王軍に、基地を提供するのが義務となっている。砦の維持費用も国に一部負担してもらえるので、持ちつ持たれつの関係らしい。
何百名も収容できそうな砦には現在五、六十名の騎士が常駐していて、追加で新人騎士十数名を連れたシルヴァが滞在しているようだ。
砦は広いし、ノーナたち事務官は基本的に事務室に籠もりきりとなる。与えられる部屋や風呂や食堂も、事務官と騎士たちは別だ。
シルヴァが居なくなるまでの数週間くらいなら、ノーナの存在が露見する心配は本当になさそうでホッと胸を撫でおろす。
ひとつ慌てたのは、到着直後、やつれたノーナを心配した騎士が医務官を呼んでもらおうとしたことだ。二週間も一緒にいれば寝込んでいたノーナでも騎士たちと面識はできたのだが、完全に「か弱い人」のレッテルを貼られてしまった。
自分のせいだけど、これ以上情けない理由で目立ちたくない。
「よく来たな! ピンチョの辺境伯、モルタ・ホルトゥロルムだ!」
「わぁ……」
「女性だって、知らなかった?」
到着したのは夕方だったため、ノーナたちは荷物の積み下ろしと整理だけをおこないすぐに休んだ。
翌日になって挨拶に来たのは臙脂色の軍服を纏った大柄な女性だった。しかもノーナよりは年上だろうがかなり若い。
想像していた辺境伯の姿とはまったく違ったので、思わず目を丸くしてしまった。
騎士たちに劣らないくらい背が高く、真っ赤な髪をポニーテールにした美人で、スタイルがいい。辺境伯軍オリジナルの軍服だろうが、きっちりと着込んだ禁欲的な姿は、彼女のメリハリある身体をかえって強調している。
騎士団内でも彼女は有名らしく、ノーナのように驚いている人はいなかった。……ぽーっと見惚れている騎士は数名いたが。
「……なんだ? ちっこいのがいるな」
「えっ、えっ」
挨拶を終えてから、なぜか辺境伯はノーナに目をつけた。わざわざ近づいて来たかと思うと至近距離で顔を覗き込んでくる。近くで目を合わせると、アーモンド型の目に収まったヘーゼルの瞳が獲物を見つけた猛禽類のように細められる。
そして次の瞬間。――むぎゅっ、と強く抱きしめられた。なお効果音は彼女の……うん、察してほしい。
ノーナは女性に性的興味がないので、ただただ焦った。
「ぷはっ。ごめんなさい! 失礼ですが、なんですか!?」
「か〜わいい! どうしてこんなところに来ちゃったの? うちの子になりなさい。ねっ、そうしよう!」
ちょっと何を言っているのかわからない。
彼女の圧迫から顔を逸らして、ノーナは助けを求めようとする。だが周囲の騎士たちは羨ましそうに見たり、ほわぁっと癒やしを見つけたみたいな顔をしていて、誰も近づいてさえ来ない。パテルも、頭の上に疑問符を浮かべて突っ立っていた。
誰か……助けてよぉぉぉ!
「うちの子って……養子をとる前に結婚して下さいよ、モルタ様」
「無理だ。砦にはむさ苦しい奴ばっかりだし……ねっ、きみ、成人してるの? 私の秘書にどうだろう、いいだろう? そうしよう!」
「はぁ……仕事が立て込んでるから一言挨拶だけって言いましたよね? その子を連れてきていいですから、行きますよ」
「えっ、えぇ!?」
片眼鏡をかけた男性は、彼女の側近だろうか? 紺色の髪は長めのショートカットで、ノーナのボブヘアに少し似ている。
彼は辺境伯に対し親しげに苦言を呈しているが、なぜかノーナは解放されなかった。状況を全く理解できないまま、ノーナは辺境伯にドナドナされる。
しかし彼女は砦の最高権力者だ。今回の遠征チームの代表格的なおじさんも彼女のことをよく知っているのか、「仕方ない」の一言でオーケーを出した。
そのまま、かなり強引に辺境伯の使っている執務室へ連れて行かれる。久しぶりに小走りしたノーナは、分厚い絨毯が敷かれた部屋に足を踏み入れたとき、ぐわんと頭が揺れた。
わ〜部屋が回ってる? と思ったときには時すでに遅し。ノーナはまたもや情けないことに……眩暈を起こしてぶっ倒れた。
「どうした!? って……細すぎるし、真っ青じゃないか! 食事を与えられていなかったのか?」
「モルタ様、うるさいですよ。元々体調を崩していたのかもしれません。とにかくそこに寝かせて、医務官を呼びましょう」
近くで話し声が聞こえたが、目を開けられないほど気分が悪かった。
あぁ、早く回復して、行動しなきゃならないのに……ノーナは焦った気持ちのまま、意識を手放す。
『……、昨日来たという事務官は大丈夫なんですか? あなたが強引に連れ去ったと聞きましたよ』
『いやぁ、男だけどあまりにも好みど真ん中で可愛くて……お前だって可愛いものが好きだと言っていただろう、シルヴァ?』
ふと意識が浮上したとき、聞き覚えのある声が耳に届きノーナは固まった。しまいには決定的な名前まで聞こえてきて、慌てて目の上まで毛布を引き上げる。
ここはどこだっけ? わからないけど……
(同じ部屋に……いる!)
しかも辺境伯と仲が良さそうだ。ノーナは久しぶりに会うシルヴァの様子が気になって仕方なかったが、ここで顔を出すわけにはいかない。
思わず毛布の端をぎゅっと握りしめていると、身じろぎに気付いたのか二人が近づいてきてしまった。
「きみ、体調はよくなった? さっき医務官に見せたけど、疲労が溜まってるだけだから休めば治るって。ごめんね、急に連れてきちゃって」
「ぁの……ケホッ、だい゙じょゔぶです……」
「個室のほうがいいでしょう。私が連れて行きますよ」
「!!」
ノーナは掠れた小声で答えた。普段とは似ても似つかない声に、シルヴァも気が付いていないようだ。しかし彼の優しさがここでも発揮されてしまい、ノーナはビクッと震えた。
到着するまではあんなにも大丈夫だと思っていたのに、さっそくの危機だ。なんでこんなことばっかり?
ノーナはどうしようもなくて、毛布にくるまったまま声のする方に背中を向け、焼かれた海老のように丸まった。
「あぁ、怖かったね。この男は追い出すから、安心していいよ。――シルヴァ。君さぁ、自分を鏡で見たことある?」
「そ、そこまで怖いですか……?」
「私の可愛い兎には狼に見えるんだよ。ほら、退いたのいた。好きな子にも逃げられないようにね」
おそらく辺境伯の手がノーナの背中をよしよしと撫で、声が離れていく。シルヴァに誤解を与えてしまったのは申し訳ないが、二人の声が遠ざかっていってノーナはやっと全身の力を抜いた。
よかった……元気そうだ。いまは姿を見れなかったけど、いずれ遠くから見られる時も来るだろう。
それにしても、本当にノーナは辺境伯の秘書にさせられるのだろうか?
なんだか彼女ならあり得る気もしたが、騎士団のほうでも事務員は必要な存在だ。パテルやノーナが立候補したところで、予定していた人員には満たなかったらしい。
ノーナは拝命したからにはきちんと仕事がしたいと思っていた。今まで配備されていた人たちとこれから二週間引き継ぎがあって、彼らはシルヴァと共に王都へ帰る。
シルヴァのことが解決したら、あとはもう仕事に邁進したい。仕事でもしていないと、彼のことばかり考えてしまいそうだから。
その後ノーナは執務室に置かれた寝椅子であれこれと世話を焼かれ、気づけばモルタ辺境伯とも普通に会話していた。
「モルタと呼んでくれ!」と気安く言ってくれた彼女は現在二十八歳。父親を数年前に亡くし、ホルトゥロルム辺境伯となった。
小さくて可愛いものが大好きなんだそうだ。ノーナがそれに当てはまるという認識については、異を唱えたい。いくら童顔だからといっても、自分はもう成人を十年も過ぎているのだ。
彼女の側近はクウィリーさんといった。モルタ辺境伯の五つ年上で、猪突猛進な彼女の軌道修正兼ストッパー役を担っている。
片眼鏡が賢そうに見えるが、事実かなりの頭脳派らしくピンチョの問題はほぼ全て彼が捌いているそうだ。
辺境伯が大人しくしていないせいで昼夜仕事に追われている彼は、ノーナが経理局の元文官だと打ち明けると「ここに一年、いや三年でいいので就職しませんか?」とスカウトしてきた。
「騎士団の仕事が終わったら……考えてみます」
「おや、王都に待っている人はいないのかな?」
「……はい。家族も恋人も、いないので」
「そうなのか!? 恋人も?」
しぶしぶ書類を処理しながらも話を聞いていたモルタ辺境伯が、驚いた声をあげる。目が合ったので頷くと、彼女は羽根ペンをほっぽり出して顎に手を置いた。
うーんと考える様子を見遣って、そんなに驚くことだろうかとノーナも首を傾げた。王宮で働いていたならまだしも、いまの自分はどこを取っても女性に好かれるタイプではないはずだ。
「わかったぞ! ノーナは男に好かれそうなタイプだ!」
「モルタ様、失礼じゃないですか?」
「別にいいだろう。私だって同性が好きだ! ノーナは私に嫌悪感を抱くか?」
「あっ。え、えっと……僕も、同性が好きなので」
こんなにも堂々と少数派の性的指向を話してみせる人に、はじめて出会ったと思う。そのさっぱりとした様子につられて、ついノーナも同志だと打ち明けてしまった。モルタ辺境伯は「やっぱり!」と花開いたような笑顔を見せる。
ノーナは彼女の好みに当てはまるらしいが、男に興味はないし、可愛いものを集めて置きたい感覚のようだ。ノーナも収集癖があるのでそれは分からなくもないような。でも、可愛い……?
クウィリーさんは肩をすくめて首を振っている。しかし意外に理解はあるようで、女性でもいいから早く一緒になって養子を取り、後継者を育ててほしいと言っていた。
エレニア王国では同性間の結婚は認められていない。けれど辺境伯が堂々としているおかげで、ピンチョの町の人は様々な性的指向を緩やかに受け入れているという。彼女がこの地域で愛されている証拠だろう。
「ほら、ノーナも生活しやすいと思うぞ? あいつなんてどうだ、さっき来てたでかいの。見た目はアレだがまぁまぁいい奴だし、確か好きな人は男だと言っていたような……」
「シルヴァさんは駄目です! あ、あの……彼の前では僕の名前を出さないでもらえますか?」
「へぇ……何かあったんですね。これは面白い。モルタ様、ノーナ君には借りがあります。ここだけの秘密にしましょう」
ノーナはつい声を上げてしまって失礼だと自覚しながらも、気安い空気に背中を押され、重ねてお願いをした。なぜか訳知り顔のクウィリーさんが先に同意し、モルタ辺境伯も続いて頷く。
強引にノーナを引き連れてきてしまったことに二人とも負い目を感じているようで、なんだか申し訳ない。そもそも自分が軟弱なせいだ。
ただ、シルヴァと辺境伯が普通に話す仲であることを考慮すると、ここで口止めしておかないと危険だ。
先手を打てたことはある意味幸運だった。




