17.一歩踏み出す
ノーナは自分になにができるだろうか、と熟考しながら王宮内を歩いていた。
もう定時を過ぎ、人影は少ない。王宮にいられる最後の瞬間まで有効に使いたくて、なかなか帰る気になれなかった。
(もういっそのこと、北の砦に特攻しちゃおっか……)
王都ほどではないが、北の地にも栄えている街があると聞く。国境付近の山脈の麓は避暑地として貴族に一時期人気だったし、海の方にも港町があり魚介の産地として有名である。
砦の内部に入り込むことはできなくても、砦の周辺に滞在すれば情報が入ってくることは十分に考えられる。シルヴァはどこにいても目立つし。
あとは移動と滞在費の問題だ。乗合馬車を乗り継いでいけば三週間ほどで辿り着けるが、雪が降ったら街道も一時的に閉ざされるらしい。いくつかルートを確認して……
滞在費に関しては港町なら労働者向けの安宿がありそうだ。貴族も訪れない閑散期なら、交渉してもっと安くなるかも。
雪で帰れなくなった場合は数ヶ月滞在することになる。今まで貯めてきた資金で足りるだろうか。
向こうで短期の仕事を見つける? それなら住み込みで宿代を節約できる方がいいな……
頭の中であらゆる計算をしていたとき、遠くから「ノーナ!」と名前を呼ばれ振り返った。後方から走ってくるのはピークスだ。
彼はノーナの傍で立ち止まり、膝に手をついて息を整えている。ブラウンの癖毛も乱れているし、ずっと探してくれていたように見えた。
「はぁっ、はぁ……間に合ってよかった。どこにもいないからもう帰ったのかと……」
「ごめんピークス。最後だと思ってふらふらしちゃってた。なにかあった?」
「いや、大丈夫かなって……心配で。って、なに? その顔。早まっちゃだめだよ!」
早まるってなんのことだ。しかし何かを決意したようなノーナの顔に、ピークスだからこそ気づいたのかもしれなかった。
ノーナはピークスに、シルヴァを追いかけようと思っていることを説明した。数日前に発覚した陰謀と、それをパテルに話したこと。それでも自分は気になって仕方がなくて、放っておけないのだと。
「なにそれ……危ないよ! ノーナなんてたどり着く前にトラブルに巻き込まれそうじゃん」
「ゔ。そこは、なんとか……気をつけるつもり」
「はぁ〜っ。絶対だめ。パテルのところに行こう。関わるなって言われても関わるんだったら、協力してもらうしかないよ」
「え! いや、邪魔をしたいわけじゃなくて……」
「ノーナ自身も守らなきゃいけないの! 心配してるんだよ馬鹿!」
ひどいことを言われている気もするが、愛のある叱責に頷かざるを得ない。
ピークスに小突かれ怒られ、引きずられるようにして騎士団本部の方へ向かうと、正面から走ってきた男によってノーナたちは空き部屋に押し込まれた。水色の髪を束ねた彼は、パテルだ。
ノーナは年下の彼にも怒られるかとビクビクしていたのだが、パテルは「ちょうど良かった!」と焦った声で話しはじめた。
「ごめん……駄目だったんだ。派閥が複雑に絡み合っていて、誰が味方で誰が敵なのか見分けるのに時間がかかりそうで……結局上の人にもシルヴァ様なら大丈夫だって言われた。あの人の味方になってくれそうな人、みんな南に行っちゃったんだよ。だから俺、来週出立するチームについて行くことにした。本人に危険があるってことだけでも伝えれば、多少は意味があると思うから」
「僕も行く!」
「えぇ!? でも、仕事は?」
「今日で辞めた。雑用でもなんでもするから、連れて行って!」
切れ長の目を大きく見開いたパテルは、戸惑ったようにノーナとピークスを交互に見た。ピークスは諦めたように肩を落として首を振り、「放っといても行こうとするから、連れて行ってあげて」とパテルの肩を叩く。
北の砦に常駐する騎士団員の入れ替えのため来週にも出立するチームには、事務官も含まれている。寒くて遠い北に行きたがる事務官は少ないようで、パテルの立候補は歓迎されたらしい。ノーナの申し出も直前だが受理されるだろう。
「行ったら半年は帰れないよ……? シルヴァ様は途中で帰っちゃうだろうし」
そんなの関係ない。シルヴァと一緒にいるために行くのではなく、彼に迫っている危機を可能な限り排除するために行くのだ。彼の安全を見届けられたら、その後はどうなったっていい。
ノーナが意思を変えないつもりだと理解したパテルは、少し腰を落として目線を合わせてきた。
「よし、一緒に行きましょう!」
週末、ノーナは自宅で旅の準備をしていた。
北の地は王都より遥かに寒いというので、暖かい服も買い足した。ノーナは王都を出たことがないから、気候の違いが想像つかなくてちょっと不安だ。
とはいえ、文官を退職すると決めて何者でもなくなったときほどの不安はもうなかった。
ノーナは臨時の事務官として北の砦に行く。
パテルがノーナを事務経験者としてチームにねじ込んでくれたお陰だ。人員を管理するほうも、その日まで経理局にいた元文官が申し込んだとは夢にも思ってないに違いない。
これで移動と滞在費の心配もなくなり、心置きなく北へ向かえる。
もちろんノーナはシルヴァに接触するつもりはない。なにか伝えるにしてもパテルに頼むつもりだし、元々騎士団員と事務官の接点はそこまでないらしい。
ノーナは新しい上着をフードつきのものにした。防寒のためもあるが、万が一にも見つからないよう外に出るときは常にフードを被っていようと思う。
小さな鞄に最低限のものを詰めていく。追加の上着は自由だけど、基本的な制服や日用品は支給されるから持っていかなくていい。
だから意外に荷物は少なくて済んだ。木彫りの置物はさすがに子どもみたいだと思って諦めて、香油は保湿のため……と言い訳して鞄に入れた。
今までより確実に騎士の存在は身近になる。浮かれている場合ではないが、仕事中のシルヴァを垣間見ることができるかと思うと嬉しかった。
胸が高鳴るのを、ノーナはひとときだけ自分に許す。
「これ……最後の一個になっちゃったな」
ノーナは瓶にひとつだけ残った惚れ薬を眺めた。魔女にこれを貰ったとき、ノーナの人生はここまで惚れ薬に振り回されることになるとは思いもしなかった。
たった数ヶ月でノーナは新しい好きな人ができ、長年勤めた職場を辞め、その人を追いかけて初めて王都の外へ出ることになったのだ。
これが嫌な変化かというと、逆だ。むしろこれが無かったらずるずるとトゥルヌスさんと付き合って、彼が結婚しても知らないまま愛人として日陰の存在を続けてしまっていたかもしれない。
それが幸せな未来だとは、もう思えなかった。
結局捨てるなと魔女に怒られたおかげで、ノーナは惚れ薬を使って重要な情報を得ることができたのだ。もう一個も有効利用できる可能性を捨てきれないため、瓶ごと布に包んで鞄に入れる。
シルヴァを害そうとしている実行犯は誰なのか分かっていない。もし分かれば、これを使って詳細な計画を聞くことができるかもしれないのだ。
一緒に北の砦へ向かうメンバーのなかに、確実にシルヴァの敵がいる。
北の砦に着くまでは約二週間。自分で乗合馬車を乗り継いでいくより格段に早いのは朗報だが、その間に何かしらの情報を得たい。
パテルも協力すると言ってくれたし、怪しい動きをする人物がいれば全員疑ってかかろう。
そう、思っていたのに…………
「ゔぅ……寒い……」
「ノーナさん、気をしっかり持って!」
「ケホッ。僕はもう、死ぬかもしれない。パテル、あとは頼んだよ……」
「死ぬなぁ〜!!!」
弱気になっていたノーナはポカっとパテルに殴られ、優しい痛みと情けなさに涙が滲んだ。
王都から出立してはや十日。ノーナは慣れない長時間の移動と外気の寒さによって、あっという間に体調を崩していた。
二十名弱の集団での宿泊は、街道沿いで野営が基本だ。騎士たちは慣れた手付きで天幕を立て、ノーナたち事務官は馬車の中で休ませてもらう。
天幕よりよっぽど壁は厚いものの、中で火を熾せないためホッとするほど温まることはない。ノーナは自分の家にあった暖炉が死ぬほど恋しかった。
一日中毛布にくるまり、朝晩の食事で温かいスープをいただく瞬間だけを待ち望む日々。
しかし体調を崩してからは満足に食事も取れず、ノーナはパテルに看病されながらドナドナされる病人でしかなかった。
パテルはやはり元騎士だったようで、身体は丈夫だ。日に日に弱っていくノーナに「かよわっ!」と文句を言いながらもかいがいしく世話をし、「怪しい感じの人がいた」と周囲の観察までしてくれる。
ノーナは到着したら必ずパテルの倍は働こうと誓った。
「いや、その前に体調戻してねちゃんと。顔が青くて幽霊みたいになってるし」
「おっしゃる通りで……」
「まぁ急すぎたもんね。ごめん。俺もノーナさんがいてくれたら正直助かるーって思ってたから」
「謝らないで、僕が無理矢理付いてきたからだよ!? ゔっ。ゲホッ」
とにかく寝ててと言われ、ノーナは大人しくベッドに横になった。
今日は念願の宿に泊まっているのだ。パテルは栄養のありそうなものの調達に行ってくる、とひとり出かけて行った。
部屋があたたかい。ベッドが広い。当たり前だと思っていた日常が、こんなにも尊いものだと感じるなんて……ある意味貴重な体験です……
『……で、いつやるんだ?』
『到着して一週間ほどだな。あいつが帰る前にやらないと』
「!? ……ゲホゲホッ」
『…………』
久しぶりの安寧にうとうとしていたときだった。
隣の部屋から聞こえてきた声に、ノーナはビク!と身体を緊張させる。しかし止められない咳が出てしまい、向こうも警戒したのか黙ってしまった。
違うかもしれないが、そうかもしれない。隣の部屋へ行って顔を見たいと思ったが、そうするとノーナに聞こえていたことがバレてしまうだろう。
いまは何も気づかなかったふりをするのが最善だ。
しばらくして戻ってきたパテルに報告すると、隣の部屋は誰も使っていないと教えてくれた。あの瞬間だけ密談に使用していたようだ。
犯人探しは難航している。シルヴァに対する愚痴をこぼしている人もいれば、一見して中立を保っている人もいるらしい。さっきのはぼそぼそ声で特徴まで読み取れなかったし……
「でも、大体の時期はわかったね。あと、敵がひとりじゃないってことも」
「うん……でも全然違う話かも」
「まさかサプライズパーティーとかじゃないでしょ。怪しいものは全部疑ったほうがいい」
誰かの誕生日をサプライズで祝おうって計画だったら、平和なのに。声色は冷たかったから明るい話ではなさそうだ。
やっぱり敵が近くにいると改めて実感して、ノーナは背筋がゾゾゾと寒くなった。布団を被り直す。
兎にも角にも元気にならないといけない。到着してもベッドの住人では、付いてきた意味がなかった。




