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9 神を騙した奇跡

 ディヴァイン・フィラメント(神聖なる繊維、神の糸)

 信者は祈り、神聖なる繊維を紡ぎ奇跡を起こす。信者ではない人々は石に祈りを刻み、神を騙して奇跡を起こした。


 ――カレン教聖典より抜粋


 時間はわずかに遡る――。

 崩落した三階テラス。

 巻き上がる土埃を突っ切り、一人の男が静かにそこに降り立った。

 エルウイ。

 その瞳には、一切の感情の揺らぎがなかった。

 エルウイの視線が、瓦礫の床下に転がっている残骸を捉える。

 それは怪物の猛攻を受け、頭部を無残に叩き潰された赤刃兵(せきばへい)の死体だった。

 機能停止した兵器を見下ろしながら、彼は懐から一本の短剣を抜いた。

 その柄の内側には、鈍い光を放つ――「石の脳」と呼ばれる奇跡を生み出す結晶が埋め込まれている。

 エルウイは無造作に、赤刃兵の胴体へその短剣を突き刺した。

「石の脳」の奇跡が走り、赤刃兵の残骸から神聖なる繊維――無数のディヴァイン・フィラメントが舞い上がり、それらが急速に紡がれていく。

 まるで精緻な機織りのように物質が再構成され、直後、エルウイが鞘から抜き出すように柄を静かに引き抜くと、短剣の刃は分子構造を変えて伸長し、禍々しい長剣へと姿を変えた。

 馴染むようにその柄を握り直し、エルウイは低く呟いた。


「次こそは決着をつける」


 その胸に冷徹な誓いを秘め、怪物の乱入によって横穴が開いた建物の中へと、彼は静かに歩みを進めた。

 ――そして現在、エルウイは建物の屋上にいた。

 見晴らしの良い最上階から周囲を鋭く見分する彼の視線が、床を捉えた。

 そこに残された、新しく、あるいは慌ただしい足跡。

 トレン、あるいはリオのものだ。

 その時だった。ドォン……!!足元から、空気を震わせる凄まじい衝撃の振動が突き上げてきた。

 人脳器(じんのうき)の触手が赤刃兵ごとシーリングファンを粉砕した、あの質量攻撃の余波だった。

 屋上のコンクリートがかすかに鳴動する。


「下か!」


 エルウイは短く呟き、視線を斜め下へと向けた。

 彼らが襲われている場所を確信した彼は、長剣を携えたまま、足音もなく闇の奥へと消えていった。


 ◇


 しん、と静まり返った部屋。

 その静粛を打ち消すように、影が動いた。

 螺旋階段の中央、太い柱の上に身を潜めていた赤刃兵が、牙を剥いたのだ。

 完全に背中を無防備に晒している人脳器を見下ろし、上空から一気に突き刺すように跳び下りる。

 死角からの必殺の奇襲。――だが、怪物の背後は、決して死角などではなかった。

 後頭部から伸びる一本の触手は、背後すべてを薙ぎ払う圧倒的な可動範囲を誇る。

 ドンッ!空中で迎撃した触手が赤刃兵の頭部へと容赦なく叩きつけられ、勢いそのままにあっけなく床へと叩きつけられた。

 だが、それすらも囮。その一瞬の隙を突いた最後の一匹の赤刃兵が、地を這うように肉薄していた。

 狙うは人脳器の蜘蛛のような足先。

 その動きを完全に封じるべく、赤色の刃が異形の脚の腱を鋭く切り裂きにかかる。

 誰もが、怪物の機動力が殺されると確信した。

 しかし、誰が予想しただろうか。

 人脳器はその焦茶緑色の巨体からは想像もつかない軽やかさで、大地を蹴り上げたのだ。

 後頭部の触手を器用に床へ突いて支点にし、まるで軽曲芸士のように、美しく舞う姿で側転して刃を回避した。

 驚異的な身体能力で肉薄する刃をかわし、その勢いのまま、しなった触手が赤刃兵を捉え、凄まじい質量で横の壁へと叩きつけた。

 ドガァン! と壁が砕ける。

 赤刃兵が完全に無力化された、まさにその瞬間だった。

 吹き抜けの螺旋階段の上から一筋の影が音もなく舞い降りた。

「石の脳」の奇跡によって紡がれた長剣を携え、彼は重力に従い、上空から垂直に突き刺す鋭い一撃を放った。

 一瞬の静寂。

 その瞬間、エルウイの上からの鋭い一撃が一筋に、彼のまとう赤色の服を宙に激しく舞わせるのだった。


 先ほどの死闘の砂煙が舞う中、気が付いたトレンは、未だ動けないリオの腕を掴み、肩にかけて立ち上がる。

 粉塵が口の中に入り、思わず激しく咳をした。


「ゲホッ。ゲホッ」


 壁や床に砕かれた赤刃兵の残骸、そして粉々に破壊されたテーブルや椅子を見渡しながら、トレンは忌々しげにつぶやく。


「くそー。もーぐちゃぐちゃだぜ。」


 すると、前のめりに床へ倒れ伏している人脳器の背中の上に立つ男――エルウイが、トレンに呼び掛けた。


「生きていたか」


 予想もしない声に、トレンは驚いて振り向く。


「あれ?」


 エルウイに背中を突き刺され、前のめりに倒れていた人脳器を見たトレンは、いままでの自分たちの苦労は何だったんだと急激にイライラし始めた。


「ケッ一撃でとどめかよ。こっちは死ぬかと・・」


 だが、文句の途中で不穏な可能性に気が付き、さらに悪態をつく。


「おい、てめーおれらを囮に・・・」


 トレンは怒りのままにリオの腕を掴んだ手を離し、拳を握りしめた。

 手を離されたリオは、何の支えもなくドサッっと地面にひれ伏し――。

 しかし、まだ怪物へのトドメを刺せていないと悟っていたエルウイは、彼らを避難させるために鋭く叫んだ。


「下がってろ!」


 怪物の異変にまだ気付いていないトレンは、間抜けた声をあげる。


「あー?」


 と言った瞬間だった。

 怪物は大きなオレンジの目をぎょろつかせながら、大口を開けて勢いよく起き上がった。

 背中の上から激しく降り飛ばされたエルウイだったが、空中で身を翻して床に手を付け、受け身をとり素早く体制を整えた。

 襲いかかる二手、三手の触手の苛烈な追撃を、エルウイは鋭いステップで素早くかわしていく。

 そして、肉薄する触手を見切った刹那、カウンターの斬撃が閃光のように弧を描いて人脳器の脚を切り裂いた。


「す・・・すげぇー」


 トレンは怒るのも忘れ、ただ、特等席でエルウイの剣の舞にぽかんと口を開けて見惚れるしかなかった。

 その時、床に転がされていたリオも目を覚まし、四つん這いになりながら顔を上げ、この凄まじい戦いの行く末を見守った。


 襲いかかる触手を流麗なカウンターで斬るつもりだった。

 ――だが、誰もが予想しない事態が起こる。激突の瞬間、高密度の質量攻撃の前に、エルウイの長剣がガラス細工のようにバラバラに砕け散ったのだ。

 ディヴァイン・フィラメントの輝きが虚空へ霧散し、手元に残った刃先は、わずか短剣程度のものでしかなかった。

 エルウイは空中へ散りゆく破片を目で追いながら、忌々しげに吐き捨てる。


「ちぃ!」


 一瞬にしてエルウイが形勢的に不利になった。

 絶対的な守護者が圧倒される光景を目にし、一階の床でそれを見ていたトレンの顔に緊張が走る。

 トレンは背後のリオへと鋭く振り向いた。


「おい、リオ援護しろ」


 しかし、先ほど床に落とされたリオは、まだ体に痛みが残っているのか呆れ顔で返す。


「おい、おい、まだ俺の出番じゃねーぜ。」


 目の前で繰り広げられる仲間のピンチに、トレンの心に激しいイライラが突き上げる。


「何言ってんだ?。見捨てる気かテメェ!」


 だが、言い合っている時間すら惜しかった。

 トレンはぎりっと奥歯を噛み締める。


「・・・くそぅ!」


 リオは今すぐには役に立たないと判断したトレンは、自ら加勢すべく前に進み出た。

 しかし、その視線の先でトレンが目撃したのは、信じられない執念で怪物の膝に飛び乗るエルウイの姿であった。

 彼は残された短い折れた剣を、あろうことか怪物の足へと深く突き刺していたのだ。

 トレンの顔が驚きに染まる。


「あれは!」


 突き刺さった折れたはずの剣へ、再び「石の脳」の奇跡が奔流ほんりゅうとなって流れ込む。

 それは一瞬のうちに修復、そしてさらなる強化を遂げた。

 神聖なる糸、ディヴァイン・フィラメントが爆発的に紡がれ、瞬時に形成されたのは、男の背丈ほどもある凶悪な大剣だった。

 エルウイはその巨刃を凄まじい力でなぎ払い、怪物の触手を豪快に切り込んだ。

 プツンと断裂した傷口から、黄緑色の体液が溢れ出す。

 それは窓から差し込む日差しを浴びて、まるで宝石のようにキラキラと光りながら宙に舞った。

 深く斬られた触手が、ボトリと床に落ちる。

 怪物が最大の隙を晒したその瞬間、それまで日和っていたリオの顔に、いつもの不敵なニヤリ顔が戻った。


「おれの出番だ!」


 突然のリオの自信満々な宣言に、トレンは思わず呆れ果ててツッコミを入れる。


「はあ?」


 だが、リオは狙撃手としての撃つチャンスを絶対に逃さなかった。

 素早くボウガンを構え、引き金を絞る。

 バシュッ!

 放たれた矢は風を裂き、先ほどエルウイが最初に垂直に突き刺した背中の傷口へと、寸分の狂いもなく正確に突き刺さった。

 だが、強靭な生命力を誇る人脳器は、その程度では倒れない。

 焦茶緑色の巨躯を震わせ、いまだ健在な足を蠢かせている。

 巨体に対してあまりにも小さいその矢傷を見つめ、トレンはすぐにリオへ不満をぶつけた。


「あんま、ダメージになってねぇーんじゃねーの」


 その直後、矢を撃ち込まれた怪物が激昂したように反転し、不気味なオレンジ色の目をギョロリと二人に向けた。

 ターゲットが完全に自分たちへと移ったのを察知し、トレンの顔が引きつる。


「あ・・・矛先がこっちにぃ!」


 実はその矢が特殊な毒矢であることを知っているリオは、予定外の怪物のタフさに、一転してうろたえながら弁明した。


「よ・・・予定ではくたばるはずが・・・・」


 しかし、怪物は待ってくれない。

 人脳器は、焦茶緑色のハッチが見える前面の強固な装甲を突き出し、そのまま二人を圧殺せんと体当たりを仕掛けてきたのだ。

 長い脚を素早く激しく動かしながら、もの凄い質量が目の前に迫る。

 階下へ叫ぶエルウイの声が響き渡った。


「おまえら! 逃げろ」


「へっ」


 だが、トレンは逃げなかった。

 ニヤリと不敵に笑うと、唯一残された片腕でモーニングスターの柄を爆発的な力で握りしめた。


「おおおおおっ!」


 渾身の力を込め、上段から振り下ろした鉄球。

 それが、猛スピードで体当たりしてきた人脳器の頭部の装甲へと真っ向から激突した。

 ギィィィン! ドゴォォォォン!

 凄まじい衝撃音が部屋中に炸裂し、火花が散る。

 だが、相手は神の秩序が産み落とした怪物だ。

 悲しいかな、ただの人間であるトレンの筋力ではその質量を止めきることはできず、凄まじい力で逆に弾き返されてしまった。


「うわっ あっ ぁああ あっ」


 トレンは情けない悲鳴を上げながら床を激しく転がり、そのまま破壊された壁の穴を突き抜けて、建物外の表通りへと勢いよく吹っ飛ばされた。

 地面に叩きつけられ、全身の骨が軋むような痛みが襲う。

 しかし、トレンの決死の一撃と時間が、リオの放った一撃に意味を与えた。

 偶然にも、ここでようやく毒が人脳器の巨体に回り始めたのだ。

 自由を失った怪物はそれ以上進むことができなくなり、その場にドサッと重々しい音を立てて地面についた。

 完全に活動を停止したのだ。

 外の地面へ倒れ伏し、急速に視界が暗くなっていく中で、トレンは動かなくなった怪物を薄気味悪く見つめた。


「けっ・・ざまあねぇぜ・・・あっ・・・」


 薄れゆく意識の最果てで、人脳器が完全に活動停止したのを確認したトレンは、満足したようにそのまま深い気絶へと落ちていった。


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