7 逃亡の結末
埃煙が、薄緑の陽光に透けてゆっくりと晴れていく。
背中を強打したリオは、肺から絞り出されるような咳をしながら、這うようにして上半身を起こした。
口の中が砂っぽい。
痛む身体を叩きながら、周囲の惨状に目を向けた瞬間――その動きが完全に凍りついた。
目の前の瓦礫の山が、不気味に蠢動していた。
ガラガラと音を立てて崩れ落ちる岩の隙間から、それは「浮かび上がって」きた。
人間の基準を遥かに超えた、圧倒的な質量を持つ巨躯の背中。
その背から、太く禍々しい一本の触手が、竜のしっぽのように神秘的に地面を這い瓦礫を押し退けていく。
神の秩序に仇なす呪われた生体兵器、人脳器。
その異形の背中が、間近で怪しく蠢動していた。
「げ!」
リオの口から、情けない悲鳴が漏れた。
本能が警鐘を乱打している。
まともな生物なら、一秒たりとも同じ空間にいてはいけない絶対的な「捕食者」の気配。
リオは気付かれないように足を動かし、そのまま後ろへと後ずさる。
「に・・・・逃げ・・・・」
声が震えて、まともな言葉にならない。
そのとき、焦って後ろへ引いた右足の踵が、割れた窓ガラスの破片をパキリと踏み砕いた。
静寂の中に響いた、あまりにも高い乾いた音。
「ひっ!」
心臓が跳ね上がった。
次の瞬間、リオは完全に背を向けて猛然と走り出した。
その刹那、抜群の生存本能で、地面に転がっていた愛用のボウガンを素早く掴み取ることも忘れなかった。
武器を握りしめ、肺が焼けるような呼吸の乱れの中、リオは恐怖とともに叫び散らす。
「エサとダンナはどこいったんだあああ!」
その絶叫だけが、緑の空の下、崩壊した裏通りに虚しく響き渡った。
場面は変わり、三階の崩落現場のすぐ近く。
トレンは何とか怪物の猛攻を避けたものの、壁に叩きつけられた衝撃による疲れと激痛に苛まれ、薄暗い廊下で泥のように休んでいた。
痛む身体をさすりながら、唯一の武器であるモーニングスターの柄を強く握り直す。
骨折こそ免れたが、全身の打撲がひどく重い。
「けっ・・・報酬が高いわけだ」
悪態をついたそのとき、静まり返った廊下に、階下の螺旋階段をドタドタと駆け上ってくる騒がしい足音が響いた。
トレンは眉をひそめて身を起こし、警戒しながら階段の吹き抜けへと近づく。
そこには、階段を必死に上りかけ、肩を大きく上下させて息を弾ませているリオの姿があった。
「ハア・・ハア・・ハア・・ハア・・」
リオは荒い呼吸を整えながら、すがるように上を見上げる。
視線が交わり、リオとトレンは同時に「あ」と声を漏らした。
緑の空から漏れる微光の中、見つめ合う二人。
次の瞬間、リオの顔が劇的に歪んだ。
相棒が生きていたという再会の喜びに、その目から一気に涙が溢れ出す。
リオは階段をさらに激しく駆け上がり、目に涙を滲ませながら絶叫した。
「生きてたか!トレええええええン!」
両腕を大きく広げ、ハグをしてくれと言わんばかりの勢いでトレンの胸に飛び込む。
――だが、トレンの容赦ない足が、容赦なく跳ね上がった。
ドカッ!「ぐぇ!」トレンの無慈悲な前蹴りが、リオの顔面にクリーンヒットする。
そのまま後ろへ吹き飛んだリオは、螺旋階段を派手に転げ落ちていった。
ドンガラガッシャン! ぐう・・・ バタン。
リオの両腕がかろうじて階段の手すりに引っかかった。
強烈な衝撃に一瞬意識を失いかけたが、なんとか下への落下は免れた。
だが、再会を噛みしめる猶予など一秒もなかった。
いつの間にか、あの異形の怪物がカフェの入り口に立っていた。
巨躯の後頭部から生えた一本の触手と、一本の長い尻尾を、玄関の頑丈な鉄骨に器用に引っかける。
そして信じがたい怪力で、己の巨体を中に滑り込ませるために鉄骨をグニャリとへし曲げた。
ギチギチと軋む金属音が、死の接近を告げる。
それを見たトレンが、慌てて階段の上から声を張り上げた。
「おい、逃げるぞ!」
すぐさま反転し、廊下の奥へと先へ進むトレン。
しかし、建物の闇は彼らを逃がさない。
突然、暗闇の奥に隠れていた一匹の赤刃兵が、ぬらりと姿を現した。
「石の脳」に完全制御された警備怪物が、トレンらを異物と認識し廊下を塞ぐ。
トレンは忌々しげにつぶやいた。
「ちっ・・・出やがった」
前には赤刃兵、後ろの階段下には鉄骨を曲げて侵入してくる人脳器。
最悪のタイミングで、二人は完全に挟み撃ちになった。




