5 欺瞞の連携
遅れてリオが呼吸を整えた後、小走りで追いかける。
トレンは狭い通路の先で建物の入り口を発見し、そのまま内部へと進入した。
かつては賑わっていたのだろう、そこは完全に廃墟と化したカフェだった。
ひっくり返った丸椅子や割れた食器が散乱するフロアの奥に、上層へと続く鉄製の螺旋階段がひっそりと佇んでいる。
トレンが先に階段を上り始めた。
だが、後ろにいるはずのリオの足音が途絶える。
「あ?」振り返ると、リオは螺旋階段の途中で立ち止まり、埃まみれの天井を見上げていた。
その視線の先では、電力を失って久しい巨大なシーリングファンが、蜘蛛の巣を纏って静止している。
トレンは鉄の手すりから身を乗り出し、下層の相棒を見下ろした。
「何止まってんだ。置いてくぞ」
リオは何か考えていたが、トレンに煽られ慌てて階段を上ってきた。
二階に上がると、そこは窓からの光だけが差し込む薄暗い廃墟の廊下だった。
足を踏み出すたびに、堆積した灰のような塵が舞う。
「ケッ。モトラ兵め、先走りしやがって」
トレンは悪態をつきながら、周囲の闇を警戒した。
「早く合流しねーと奴らに襲われるぞ」
トレンの脳裏には、先ほど窓から自分たちを睨んでいた赤刃兵の眼光があった。
モトラ国の警備怪物である赤刃兵は、同国出身のエルウイを「味方」と認識して攻撃を躊躇う。
だが、元ルーブランド兵のトレンと、サンブルグ国境警備隊のリオは完全に例外
――すなわち排除対象だ。
もし先ほど、エルウイがトレンの攻撃を止めず、あの場で赤刃兵と本格的な戦闘になっていたら。
エルウイという盾を失った二人は、群がる骸骨マスクの餌食になっていたかもしれない。
その危うさを理解しているからこその言葉だったが、隣の相棒はどこまでも楽観的だった。
「大丈夫! オレがついている」
「ケッ」
頼もしいのか頼めないのか分からないセリフに、トレンはイライラを隠せない。
油断はできないと自分に言い聞かせ、腰に下げた重厚なモーニングスターの柄に指をかけ、引き抜くようにしてその右手に握り直す。
二人は警戒を強めながら、薄暗い廊下の奥へと歩き去っていった。
◇
――その一方。
トレンたちの頭上、テラスがある屋上エリアでは、最強の騎士エルウイが「それ」と死闘を繰り広げていた。
彼が追跡していたはずの赤刃兵は、すでに肉塊となって床に潰され、事切れていた。
高低差のある建物から建物へ、赤い正規兵服を翻して飛び降りるエルウイ。
だが、その着地点を正確に狙い澄まし、後頭部から伸びる一本の太い触手がコンクリートの床を猛烈な勢いで叩きつけた。
ズドォン! 凄まじい衝撃波と共に、灰色の砂煙が爆発的に舞い上がる。
エルウイは卓越した身体能力でそれを紙一重でかわし、宙へとすばやくジャンプして回避した。
しかし、敵の追撃はそれを上回る。
しなる鞭のように空中で鋭く軌道を変えた一本の太い尻尾は、逃げ場のない空中にとどまるエルウイを、まるで、ハエたたきのように上から無慈悲に打ち付けた。
「うおおおおおおお!!」
エルウイの絶叫が破壊音に掻き消される。
叩き落まれた衝撃で、簡易的な倉庫の波板スレート屋根が派手にぶち割れた。
パレットに大量に積み上げられていた資材の袋へと、エルウイは頭から激しく突っ込む。
もし、激突したのが、その下のコンクリート床であったなら、最強の男といえど即死は免れなかった。
バラバラと瓦礫が崩れ落ちる音が収まり、世界は一転して、耳が痛くなるほどの静粛に包まれる。
資材の山に深く埋もれたエルウイは、そのまま意識を失い、完全にピクリとも動かなくなった。
薄れる煙の奥から這い出てきたのは、禍々しき生体兵器の巨躯。
頭部には、大人が一人乗れるほどに巨大な、焦茶緑のハッチらしいものが見え、その頭部からコンクリートを容易く叩き砕く一本の太い触手が伸び、足の付け根からは、長い尻尾が文字通り蛇のようにのたうっている。
建物の屋上、不気味に静止して立ち尽くすその怪物の背中を、濁ったエメラルドグリーンの日差しが影を落とすデンサ要塞。
そこを、ただ風だけが虚しく吹き抜けていった。
◇
最強の騎士エルウイを追って、薄暗い廊下を警戒しながら歩き続けた。
だが結局、トレンとリオはその姿を見失い、そのまま建物の三階にある屋上テラスへと辿り着いていた。
かつてここは歓楽の場だったのだろう。
乱雑に散らばった椅子が、長い年月の放置を物語っている。
壁に貼られたビアガーデンをイメージした美女のポスターは、すっかり色あせて無惨に痛み、濁った黄緑色の光にさらされていた。
リオは支給品のボウガンを肩に担ぎ、テーブルの上に腰を落ち着けている。
一方のトレンは椅子に深く腰掛け、テーブルの上に両足を投げ出していた。
顔は上を向き、不機嫌そうに神の秩序たる空を仰ぐ。
「けっ。モトラ兵め。ついてこいと言っといてどこにもいねぇーじゃねーか」
トレンの視線の先――そこからわずかに外れた倉庫の隅で、当のエルウイは完全に気絶していた。
パレットに積み上げられた資材の袋に突き刺さり、正規兵服に包まれた両足だけが虚空に向けて真っ直ぐ飛び出している。
まるで安っぽいギャグマンガで描かれるような、酷くマヌケな光景だった。
だが、二人はまだその存在に気づいていない。
リオは相変わらず、どこか他人事のような余裕の笑みを浮かべていた。
「オレの助けが必要な時は向こうからやってくるさ」
(駄目だこいつ)
トレンは内心で毒づき、苛立ちを隠さずに吐き捨てる。
「だまれ! ヤベェーのは赤刃兵だ」
モトラの警備怪物がいつ現れてもおかしくない。
エメラルドグリーンの不気味な空を、大きな入道雲がゆっくりと流れていく。
不気味な静粛の中、ただ待つことしかできない二人。
すっかり暇に飽きたトレンは、流れる雲を見つめたまま、めんどくさそうにつぶやいた。
「やることねーんだからアシの所に戻ろうぜ」
三階のここから遥か下――廃墟の入り口に頑丈なロープで繋がれた乗用生物『アシ』は、今頃のんびりと休息をとりながら主人の帰りを待っているはずだ。
こんなところで無駄骨を折るより、よほど建設的だった。
「待てよ、おれの出番は今からだぜ」
ボウガンをアピールしながら自信ありげなリオ。
その言葉に耳を貸さず、トレンは無言のまま椅子から立ち上がり、歩いて立ち去ろうとする。
リオの視線が、去り行くトレンの背中を追いかけた。
リオは上を向き、振り返るようにしてその背に声をかける。
「おい、待てよ」
その瞬間。
二人の後ろで、硬質な大気を引き裂くような激しい衝撃音が炸裂した。
肉と骨が硬いテラスの床に叩きつけられる悍ましい音。
トレンとリオは弾かれたように同時に振り向く。
そこにいたのは、上空からこの三階テラスへ頭から叩きつけられた赤刃兵だった。
骸骨マスクの隙間からどす黒い血を噴き出しながらも、石の脳に刻まれた微細な紋様によって動く警備怪物は、力を振り絞るようにして四肢を震わせ、起き上がろうとしている。
水滴のように、ポタポタと床に血が落ち、黄緑色の光の中で赤黒く弾けた。
振り向いたトレンとリオは声がシンクロする。
「せ・・・赤刃兵?」
二人が武器を構えようとした、まさにその刹那。
突如として上空から割り込んだ影が、起き上がろうとした赤刃兵の頭部を、冷酷無慈悲な質量で完全に踏み潰した。
「ひいいいいいい」
徹底的な合理主義者であるはずのリオが、その圧倒的な死の気配に直面し、テラス中に響き渡るような恐怖の絶叫をあげた。
「ちっ、現われやがったか」
血まみれの同僚たち、切られた左腕。
戦場で数々の凄惨な過去を経験してきたトレンは、全身の細胞が命の危機を告げて叫ぶのを感じながらも、極限の冷静さで身の振り方を考えていた。
モーニングスターの柄を握る手から、じっとりと脂汗が滲む。
現れた異形――それは頭部だけでも大人一人が容易に乗れるほどの巨大なハッチのような装甲をもつ焦茶緑色の生体兵器だった。
クモのように不気味に長く伸びた二本の脚と、強靭な尻尾が、衝撃で壊れたテーブルや椅子を粉砕しながらテラスの床に着地している。
後頭部から伸びた一本の太い触手は、今しがた赤刃兵の頭部を正確にとらえ、その内部を破壊し尽くしていた。
床には、神を騙して奇跡を起こす石、砕かれた『石の脳』の結晶のかけらが哀れに転がっている。
そして、焦茶緑色のハッチの付け根。
そこに埋め込まれた、どろりとオレンジ色に輝く不気味な瞳が、ギョロリと音を立てて動いた。
確かな殺意を孕んだその視線が、ゆっくりと、トレンとリオの二人へと移される。




