19 決着
二本足の乗用生物『アシ』の歩みを止め、崖の上に佇むクバーラは、ジト目を細めて眼下の状況を見下ろしていた。
「射撃の腕は認めるけど所詮は子供ね」
スワザフの肩をくし刺しにした鮮やかな一撃を、シエンによるものだと誤認したまま、彼女は呟く。未だリオの存在には気づいていない。しかし、この先は険しいU字カーブだ。先行してアシを走らせていたはずのシエンは、曲がりくねった山道の構造上、皮肉にもクバーラの足元へと近づきつつあった。先ほどトレンがやってのけたように、この急斜面を滑り落ちれば、確実に鉢合わせる。
そんな地形の罠を知る由もないシエンは、追手はもう振り切ったと勘違いし、安堵からアシのペダルを緩めて停止させた。土煙から目を覆っていたゴーグルをぐいと押し上げる。
「ふぅー助かった。」
安堵の吐息を漏らした直後だった。頭上の崖から、砂利が激しく滑り落ちる乾いた音が響く。シエンが咄嗟に険しい崖上を見上げた。
「いー?」
視線の先、橙色の髪をなびかせたクバーラが、アシの背に乗ったまま絶妙なバランス感覚で斜面を滑り落ちてくる。シエンは焦りながらもアシのホルダーに装備されていた銃口の下に剣を持つ遠近両用のボウガンを引き抜き、決死の覚悟で迎え撃った。
斜面を滑り降りる勢いのまま、クバーラの放った鋭い短剣の一撃が風を裂く。金属同士が激しく激突する高音が響いた。シエンはそれを受け止めるのが精一杯で、衝撃の強さに体勢を大きく崩してしまう。
クバーラは容赦なく二手、三手と苛烈な追い打ちを重ねる。防戦一方のシエンは、三手目の猛攻に対し、もはや剣で受ける余裕を失っていた。咄嗟に手の甲を盾にして刃を受け流す。肉を裂く確かな感触。幸いにも傷口は浅い。
「動くなよ」
シエンは痛みをこらえ、残された右手だけでボウガンの狙いを定め、引き金を引いた。だが、人工筋肉がうなるよりも早く、クバーラは至近距離からそのボウガンを短剣の腹で激しく弾き飛ばす。完全に怯んだシエンの喉元へ、冷たい剣先がピタリと突きつけられた。
「侵入したモトラ兵は処刑する決まりなの」
冷徹な宣告。刃の冷たさを肌に感じ、シエンが死を覚悟して目を閉じた瞬間、低く鋭い男の声が山道に響き渡った。
「そこまでだ」
クバーラが微かに目を見張り、素早く後ろを振り向く。
いつの間にか背後に迫っていたリオが、近接戦闘の間合いの外、反撃を許さない絶妙な距離を保ってボウガンをまっすぐに構えていた。
「少年から離れろ」
冷徹な狙撃手の眼が彼女を射抜く。クバーラがどれほど俊敏であろうと、この距離ではリオの懐へ飛び込む前に人工筋肉の矢がその身体を貫くだろう。周囲を完全に警戒していたはずの自分が、その存在にすら気づけなかった。それが己の敗因だと瞬時に悟ったクバーラは、表情を変えずに静かに語りかける。
「もう一人いたのね」
完全に観念したかのような、力のない声。しかし、それこそが彼女の罠だった。言葉の終わり際、次の瞬間にはその手から目にも留まらぬ速さで短剣が投擲されていた。
鋭い風切り音と共に放たれた短剣は、あろうことかリオが構えていたボウガンの銃口へ正確に突き刺さる。
「っ……!」
完璧な狙撃体制を崩され、リオの目が見開かれた。クバーラはその一瞬の隙を逃さない。自身のアシの強固な装甲を、シエンのアシの側面に激しく叩きつけた。凄まじい衝撃にシエンの体勢が崩れる。
「うわっ!」
振り落とされそうになりながらも、シエンは必死の形相でスクーター型のハンドルにしがみついた。
リオとシエンの二人がどうにか体勢を立て直した時には、すでにクバーラはアシのペダルを鋭く踏み込み、鮮やかにその場から逃走していた。
彼女と入れ替わるようにして、ようやく戦線に復帰したトレンがアシの喉を鳴らして駆けつけてくる。去りゆく橙色の背中を睨みつけ、忌々しげに舌を打った。
「ちっ 逃げられたか」
三対一という圧倒的劣勢を察した瞬間の、躊躇のない即時撤退。敵ながら、極めて手強い戦闘のプロだった。
いま彼女を深追いすれば、さらなる伏兵の罠に飛び込みかねない。負傷した少年の保護を最優先すべきだと判断したトレンとリオは、追撃を諦め、まずは安全な場所まで移動することを選択した。
鬱蒼とした岩陰の安全圏へたどり着き、アシから降りる三人。シエンは緊張の糸が切れたように息を吐き、二人に向かって深く頭を下げた。
「難民キャンプまで護衛してくれるのですか。ありがとう」
心からの感謝を述べる少年に、リオは先ほどの冷徹な表情を払拭し、優しく温かい笑顔を返した。
「配達屋を守るのも俺らの仕事だ」
「わっ」
その微笑ましい光景の最中、リオの背後から、音もなく怪しい手が伸びた。容赦なくフードの端が引っ張られる。トレンが背後から、リオが身にまとっていたマントを力任せに剥ぎ取ったのだ。突然の暴挙に、シエンの目が点になる。
「なぜ脱がす…ですか?」
あまりの困惑に、シエンは思わずタメ口をききそうになり、慌てて丁寧語に言い直した。トレンはそんな少年の混乱を気にする風もなく、剥ぎ取ったリオの上着をシエンの胸元へと乱暴に手渡す。
「そのモトラ兵の恰好じゃあ難民に撲殺だぜ」
ぶっきらぼうな物言いに込められた、確かな親切心。戦火を逃れてきた難民たちの前にモトラ正規兵の軍服で現れれば、いらぬ暴動を引き起こしかねない。だが、上着を奪われた当の本人はたまったものではなかった。
「自分のをあげろよ」
不満を全身で隠そうともせず、リオはむくれた顔でトレンに抗議する。
だが、トレンは聞こえないふりをして歩き出してしまう。夕暮れが迫る峠の風は、衣服を失った身体に容赦なく吹きつけ、ひどく冷たかった。
「クシュッ」
抗議の声を押し流すように、リオの小さなくしゃみが、静かな山谷に寂しく響き渡った。




