18 私怨
崖下の悪路で逃走するシエンはスクーターのような形状の装甲を激しく軋ませ、二本足の乗用生物『アシ』が泥と砂を跳ね上げて山道を疾走していく。モトラ正規兵の制服を必死にはためかせ、黄色いニット帽を抑えながら、シエンは悲鳴に似た声を上げた。
「なんでいきなり盗賊がでてくるんだよぉ」
そりゃあ、おまえは向かうところ敵だらけのトラブルメーカーだ。と、読者全員のツッコミが聞こえてきそうな大絶叫であった。
その行く手には常に厄介事が待ち受けており、今回もまた例外ではなかった。
その後ろで執拗に追いかける三匹のアシに跨るカレン教徒の実行部隊。
地形に溶け込んだ淡い色の衣服をまとった追っ手たちの距離は、確実にシエンとの距離を縮めていく。そのうちの狙撃手が、背中のホルダーからボウガンを取り出し狙いをつけるのであった。
「このままじゃやられる」
後ろを振り向きながら危機を感じるシエン。
容赦なく迫る殺意を背中に受け、心臓の鼓動が高まりながら、アシのホルダーに収納されている剣つきのボウガンを取り出し、後ろに狙いを定めるが、アシの揺れで引き金を引けなかった。激しい上下の振動に手元が狂い、指が引き金を絞る前に視界が激しくぶれてしまう。
「はっ!」
不意に、頭上の崖から何かが降ってくる気配。
「うわっ!」
派手に滑り落ちてきた勢いで周囲が土煙で乱される。
凄まじい轟音と共に、崖の斜面を強引に削りながら突入してきた影があった。トレンがモーニングスターを片手に崖からシエンのすぐ後ろに滑り落ちてきたのだ。
もう片方の腕を失ったその身体で、激しい土煙を割って現れたトレンは、そのままの勢いで、カレン教徒に一騎駆けをする。
予期せぬ乱入者に、カレン教徒の三人はアシを止めた。足先のペダルを操作し、制動をかけた敵の陣形が一時的に色めき立つ。
即座に、部隊長が指示を出す。
「この前の雑魚警備隊だぞ。スワザフ、やれ!」
狙撃手の名前はスワザフ。男は冷酷な眼差しで、突撃してくるトレンへ再びボウガンの照準を固定した。
「クバーラはガキの相手だ」
ジト目の女の名前はクバーラ。ぱっちりとした大きなジト目に愉悦の色を浮かべ、女隊員が応じる。
「了解」
クバーラは返事をし、部隊長のロブウとクバーラはトレンを迎え撃つためアシを前に進めた。
二人が足先のペダルを踏み込み、トレンを挟撃すべく前進する背後で、スワザフはその場に留まり、ボウガンの狙いを定める。
「馬鹿め、真正面かよ」
スワザフの嘲笑をよそに、トレンはただ真っすぐにアシを繰り出して駆ける。
スワザフは引き金に指をかけて視線を集中して仕留める距離まで引き付ける。しかし、よく見ると後ろの砂煙が動いた。
ボウガンの矢だ!
スワザフの目に捉えた瞬間には肩を射抜かれ、アシから投げ出されてしまった。
トレンの頭と手に持つモーニングスターの間を土煙の中からの有効射程ギリギリの射撃、完全に虚を突かれた狙撃手は、そのまま地面に転がった。
立ち止まったシエンの隣ではリオがすました顔をしてボウガンを打ち終えていた。
いつの間にか背後に回り込んでいた相棒は、何事もなかったかのように佇んでいる。リオは無言でシエンに人差し指を口元に立てて『しーっ』とするポーズをとって砂煙に消えた。
「スワザフ!」
ロブウは予期しない展開に叫んだが、トレンとの距離は近い。
すでにモーニングスターの間合いは目の前にまで迫っていた。
「くっ」
ロブウはトレンにボウガンを向け二発放つ。
引き金を引いた瞬間、人工筋肉がうなりを上げて凶弾が飛び出す。だが、トレンは既に飛び道具対策をしていて、矢は肩当と頭をガードするモーニングスターに弾かれて後方に飛ぶ。
無駄のない防御姿勢のまま、トレンはアシの勢いをとめることなくモーニングスターをロブウを受け身ごと叩きつけた。
強烈な鉄塊の衝撃がロブウを直撃する。受け身を突き抜ける一撃に、血しぶきが宙を舞う。
ガキの相手と言われたが、ただ見てる場合ではない。
隊長が叩き伏せられる衝撃的な光景を前に、クバーラはロブウがトドメを刺されないようにボウガンを全弾撃ち尽くし投げ捨て、短剣を素早く取り出しトレンへ斬りかかる。撃った瞬間にうなる筋肉を限界まで駆動させて矢を浴びせた後、流れるような動作で白刃を閃かせた。
素早い剣裁きに防戦一方だったトレンだが、片手でモーニングスタを振り回す腕力で短剣を力強く弾く。
片腕とは思えぬ、圧倒的な剛腕の遠心力が短剣を捉えた。
「非力なんだよ」
トレンが吐き捨てる。
空中に舞った短剣は回転しながら地面に突き刺さった。
強烈な衝撃が手首を襲い、手のしびれで動けないクバーラ。
その隙をついてトレンのモーニングスターは脳天に狙いを定め振りぬいてきた。容赦のない一撃が空気を切り裂く。
クバーラはギリギリでかわす。
紙一重で頭部を逸らしたが、被っていたニット帽はモーニングスターのとげに引っかかって空中に舞う。橙色の編み込まれた髪が鮮やかに露わになったクバーラはそのままトレンに近付き、アシに装着されているホルダーからボウガンを盗んだ。
驚異的な身のこなしでトレンの懐に潜り込み、その得物を奪い取ったのだ。
「しまった」
トレンが気づいた時には遅かった。
クバーラは一瞬のうちにトレンの頭に狙いをつけ引き金を引いた。
撃ち放たれた瞬間、人工筋肉が短く不気味な駆動音を上げる。
トレンは投げ出されて、仰向けに地面に倒れた。そばにはモーニングスターも転がっている。
クバーラは冷めた目で振り向き、倒れ伏した男を見下ろした。
「女の子の顔を狙うってさ…最低じゃね?」
と微動だにしないトレンに言って、地面に突き刺された短剣を回収しシエンを追いかけた。
足先のペダルを踏み込み、再び黄色いニット帽の少年を捕らえるべく、彼女のアシが走り去っていく。
クバーラが完全に立ち去った後、トレンはフードを上げて大きく息を吐く。
「ヤローの顔は狙っていいのかよ?」
トレンは地面に転がった矢傷がついたモーニングスターに目をやった。
その強固な鉄の表面には、至近距離から撃ち込まれた矢の生々しい傷跡が刻まれている。
「死ぬかと思った」
とっさにモーニングスターでガードしなかったら、顔をくし刺しにされたので、冷や汗をかくトレンだった。
トレンの背後、土煙が薄れゆく山道で、一度はアシから投げ出されて転がっていたスワザフが身じろぎをした。衣服を濡らす自らの血に顔を歪め、執念深く這い上がる。
「くそーあのガキ」
肩を射抜いた鋭い一撃。彼方の砂煙に消えた狙撃手・リオの存在を知らないスワザフは、必死に逃走中であるシエンに撃たれたのだと完全に勘違いしていた。憎悪を燃やし、怨嗟の声を漏らす。
「許さねー」
いまだ激痛の走る身体を地面に伏せ、腹ばいのままボウガンを厳かに構えた。照準の先に据えたのは、正面で起き上がったばかりのトレンの背中だった。
「まずはあいつを…」
引き金にかかった指に力がこもる。しかし、スワザフが獲物を狙い定めているその真上――音もなく見下ろす崖路の上には、すでにリオの姿があった。
冷徹な合理主義者の指が、微かな駆動音すら置き去りにしてボウガンの引き金を引く。
風を切り裂く冷たい風切り音と同時に、硬質な矢がスワザフの腕を容赦なく貫いた。引き金を引くはずだった腕が、生々しい音を立てて地面へとくし刺しになる。
凄絶な殺気と肉を穿つ気配に、トレンが鋭く背後へ振り向いた。
逃げ場のない崖下で、圧倒的な射手に見下ろされている恐怖。身動きを封じられたスワザフにできる抵抗は、もう何も残されていなかった。男は声を殺し、ただの物言わぬ肉塊のように、地面へ突っ伏して死んだふりをするしかなかった。




