15 飲み会
濁った緑の空の下、過酷な砂漠の片隅に這いつくばるようにして広がるスラム街。
そこは、行き場を失った人々が身を寄せる難民テントの群れだった。
廃材の丸パイプや歪な木材の柱をかき集め、ただ厚い布で縊っただけの不格好な手作りのテント。そこから、炭火で肉を焼く香ばしい匂いと、安酒の混じった賑やかな声が漏れ聞こえてくる。
その店を覆う、くたびれたやわらかい暖簾を腕で押しのけ、一人の男が中に入った。
カウンター席には、見慣れた私服姿の男が二人。トレンと同じ国境警備隊の同僚たちが、すでに出来上がった様子で出迎える。
「よー お疲れ」
「やっと病院送りから復活したか」
かつて、人脳器との壮絶な戦いにおいて大怪我を負ったトレン。その傷がようやく癒え、こうして戻ってきた片腕の傭兵を、男たちは笑い飛ばしながらも温かく迎え入れた。
だが、トレンはすぐに、いつも隣にいるはずの軽い男の姿がないことに気が付いた。
「あれ? リオは」
同僚の一人は、手元にある串焼きを美味しそうに頬張りながら答える。
「連日夜勤、あいつが首都勤務になったから上司の嫌がらせだろ?」
そう言って、同僚は笑顔のままトレンの前に置かれたジョッキへ並々とビールを注いだ。
◇
国境警備隊の簡素な見張り台がある、荒涼とした砂漠の境界線。
誰もいない寂しい荒野の真ん中で、一人で見張りをしていたリオは、突如中の妙なむずがゆさに反応してくしゃみをした。
「へーくしょい!」
冷たい夜風が吹き抜ける中、リオは赤くなった鼻をこすりながら、楽しげな声が響いているだろうスラム街の酒場に思いを馳せる。不参加を余儀なくされたことに、残念そうにぽつりと呟いた。
「飲みて―」
◇
「ぷはぁー」
そのころトレンは、注がれたばかりの冷えたビールを一気に飲み終え、空になったジョッキをテーブルに置いた。喉を潤した満足げな顔が、一瞬だけ厳しい現実を忘れさせる。
すると、先ほどビールを注いだ陽気な同僚が、椅子の距離を詰めてトレンに顔を近づけてきた。
「なーどう思う?さっきのアレな話」
だが、肝心の主語がない。トレンには何のことだかさっぱりわからなかった。トレンは目の前の串焼きを口をモグモグさせながらぶっきらぼうに返す。
「あー? アレアレ言ってもわかんねーよ」
すると、陽気な同僚はわざとらしく眉をひそめ、怒ったような風を装って言った。
「つきあい長いんだからアレでわかれよ」
その様子を呆れたように見ていた、隣のもう一人の同僚が、たまらず鋭いツッコミを入れてあげる。
「早く言え!」
「いやいやいや信頼関係の方が重要でしょ?」
陽気な同僚はそう言って肩をすくめるが、このままでは、どんどん話は脇道にそれるだけだ。しびれを切らした真面目な方の同僚が、ついに「アレ」のネタバレを口にした。
「赤刃兵が国境警備隊に採用される話」
「おめーが言うな―!」
お約束のように、陽気な男はネタバレした同僚の首をガシッと肘にはさみ、締め上げる。
しかし、絞められながらも、もう一人の同僚は顔を真っ赤にしながら言葉を続けた。人件費削減のために導入されるという、石の脳に制御されたあの不気味な兵器の噂。それは、彼らの死活問題だった。
「傭兵は解雇されるだろうな。難民も反乱して治安が・・・」
そのコミカルなやり取りを脇で見ながら、ふたたびビールを口に運んでいたトレンだったが、赤刃兵の話題が出た瞬間、胸の奥からどす黒いイライラがこみ上げてきた。
感情に任せ、手に持ったジョッキを、もの凄い音を立ててテーブルに叩きつける。
ダン!
狭いテントの中に響き渡る重苦しい衝撃音。その迫力に、首を締め合っていた二人は一瞬で凍りつき、驚いた顔でトレンを見た。
「(治安が)悪くなってる」
首を絞められていた方の同僚が、トレンの威圧感に気圧されながら、消え入るような声で呟く。
「誰が赤刃兵と一緒に仕事できるかよ!」
トレンは完全に不機嫌になっていた。故郷を滅ぼし片腕をなくした原因の兵器。それらを激しく嫌悪するトレンにとって、同じ職場に導入されるなど、到底受け入れられる話ではなかった。国境警備隊を辞めようという決意が、頭の中で固まっていく。
空気が悪くなったのを察し、陽気な同僚の方は慌てて機嫌を取ろうと、トレンのジョッキに再びビールを注ぎ足した。
「もったいねぇーな。トレンは残れるように言われたんだろ?」
「だいたいここやめたら、あとはカレン教徒の実行部隊くらいしかねぇーんだぜ?」
同僚の言葉は正論だった。トレンは話を聞きながら、そのあまりにも冷酷な現実に、「んぐぐ」と声を詰まらせて我慢して聞いた。そして、吐き出すように呟く。
「それはいやだ!」
だが、現実問題として、片腕を失った難民の男に選べる仕事など、この国境の町にはありはしない。
あまりの頑固さに、二人の同僚はあきれたようにため息をついた。
「安定所にでもいくさ」
トレンは、警備隊を辞めた後の次の仕事を、自力で探すことに決めた。
とはいえ、今は自分の退院祝いの席だ。これ以上不機嫌になっても仕方がない。現実の暗い話を頭から振り払い、目の前で波打つ注がれたビールをぐっと飲むことにした。
「あれ? リオは来てないんですか?」
男三人の重苦しい沈黙を破るように、カウンターの向こう側から、若い女性の店員がひょっこりと顔を出して割って入ってきた。
すると、陽気な同僚はすぐに調子を取り戻し、トレンの頭を肘でぐいとつかんだ。そして、トレンのおでこに痛々しく貼られた十字の絆創膏――あの人脳器との激闘で負った傷の名残――を指さしながら、得意げに言った。
「ああ。こいつの穴埋めで夜勤なんだ」
さっきは上司の嫌がらせと言っていたではないか、なんと調子の良い男め!とトレンは内心思いながら、ふてくされて言う。
「ちげぇーだろ」
そんな男たちの掛け合いを他所に、本来の本題に入りたい店員は、少し緊張した面持ちでしゃべりだす。
「あっ。えーと。今までお世話になりました。」
軽く店員はおじぎをする。その突然の挨拶に、男たちは動きを止めた。
「ここにいるの今週までなんですよ」
「え?この店やめちゃうの?」
陽気な方の同僚は、トレンのおでこをツンツンと小突きながら、ショックを隠せない様子で店員に尋ねた。
「そーなんですよ」
笑顔で店員は返す。その表情は寂しげでありながらも、どこか誇らしげだった。
「彼が首都に転勤になっちゃって」
その一言を聞いた瞬間、陽気な方の同僚は急にしおらしくなって、涙目でうつむいた。完全にこの店員に惚れていたのだろう、男の淡い恋心がスラムの塵となって消えた瞬間だった。
「ドンマイ」
その哀れな背中を冷ややかな目で悟ったトレンは、慰めるように、同僚のジョッキにビールを注いでやった。
しかし、その脇で話のやり取りをじっと聞いていた、もう一人の同僚の頭の中で、ある一つの共通点がパズルのように結びついてしまった。彼の首都への転勤。そして、急に決まったリオの首都転勤。
「リオも首都に行くんだったな。あっ、リオが彼氏?」
まさか、という視線が若い女性店員に集まる。
すると、店員はみるみるうちに頬を赤く染め、はにかむように嬉しそうに言った。
「えっ は、 はい。一緒に行きます」
「まじかよ!」
予想外すぎるリオの彼女の判明。あの軽くて調子の良い狙撃手に、こんな可愛らしい恋人がいたという衝撃の事実に、トレンの手元が大きく狂う。
トレンが驚きながら注いだビールは、ジョッキの縁から容赦なく溢れ出し、木目のテーブルの上に、大きな琥珀色の水たまりをつくるのであった。
そのころ、そんな喧騒から遠く離れた荒野の片隅。
冷たい風に吹かれながら、一人で見張りをしていたはずのリオは、すっかり緊張感を失い、愛用のボウガンを抱えたまま静かに寝てしまっていた。




