第5話「十年前に殺したはずの男が、獲物を奪っていく」
「ボス、依頼が一件。それも、とびきり大きいやつっす」
その朝、ハルが一枚の依頼書を手に、息を切ってアパートに駆け込んできた。
俺は卓上にそれを広げ、目を走らせる。
「『紅蓮の火竜』の心臓核――一個、二億」
リンが、俺の肩越しに依頼書を覗き込み、口笛を吹いた。
「二億。ふうん、景気のいい話。……でも、ボス。イグニスって、確か」
「ああ。第十二階層の、最深部の主だ。国が『戦略級資源』に指定してる、最重要のターゲットさ」
俺は依頼書を指で弾いた。
紅蓮の火竜。その心臓核は、莫大な魔力を秘めた極上の素材だ。国はこれを軍事転用するため、厳重に管理している。当然、討伐できるのは、国が選抜した最精鋭の探索者だけ。
「で? その国の最重要ターゲットを、俺たちが横からかっさらえって?」
「無茶っすよね……いくらなんでも。相手は国の最精鋭っすよ。正面からぶつかったら、いくら俺でも……」
「誰が正面からやると言った」
俺はハルの言葉を遮った。
「ハル。お前は強い。だが、強さで勝とうとした時点で、俺たちの負けだ。連中は人数も装備も上だ。同じ土俵に乗るな」
「じゃあ、どうやって……」
俺は、依頼書のある一行に目を留めていた。そこに記された、討伐作戦の担当部署。その名前を見た瞬間、俺の中で、すべての絵が描けた。
「いや。むしろ、好都合だ」
「え?」
「見ろ。イグニスの討伐作戦――指揮を執るのは、国家管理局・特務。指揮官は、ガレス」
その名を聞いた瞬間、リンの目が、すっと細くなった。
「……昨日の、市場にいた男ね」
「ああ。十年前、俺を兄貴と呼んでいた後輩だ。そして今は、俺を狩ろうとしている」
俺は、ゆっくりと笑った。
「ちょうどいい。あいつの仕事ぶりを、間近で拝見させてもらおう。――その上で、獲物だけ、いただいていく」
◇
第十二階層、最深部。
灼熱の溶岩が脈打つ大空洞。その奥に、紅蓮の火竜イグニスは鎮座していた。
全長三十メートル。全身を覆う鱗が、炉のように赤熱している。一息で岩を溶かす劫火を吐き、尾の一振りで岩壁を砕く、災害級の化け物。国の最精鋭、三十人の特務部隊が、それを遠巻きに包囲していた。それだけの戦力を投じてなお、危険と隣り合わせなのが、この竜だ。
俺たちは、その遥か頭上。
溶岩の熱気で揺らぐ岩棚の陰から、戦いを見下ろしていた。
「ハク、静かにな」
「きゅぅ……」
ノアはアパートで留守番だ。こんな最深部に、六つの子を連れてこられるわけがない。
なのに――ハクだけは、どうしても聞かなかった。出がけにノアの腕をすり抜け、俺の肩に飛び乗って、梃子でも降りようとしなかったのだ。まるで「自分が行かねばならない」とでも言うように。仕方なく、こうして連れてきている。
ハクは俺の肩の上で、緊張した面持ちで――いや、緊張しているのは俺の気のせいか――じっと眼下を見ていた。普段のとぼけた様子はなく、その小さな体は、まるで戦場の空気を理解しているかのように、ぴんと張り詰めている。
「すごい……あれが、国の最精鋭」
ハルが、感嘆の声を漏らす。確かに、見事な連携だった。
ガレスの指揮は、的確だった。
隊を三つに分け、一隊が火竜の正面で注意を引きつける間に、二隊が側面から鱗の継ぎ目を狙う。竜が火炎を吐けば、間髪入れずに散開して被害を抑え、間隙を縫ってまた距離を詰める。誰一人、無駄な動きをしていない。消耗を最小限に抑えながら、巨竜を着実に追い詰めていく。
「指揮官の声が、よく通ってるっすね。あれだけの混戦なのに、部隊が一糸乱れず動いてる……」
「ガレスは、昔からああだった」
俺は、眼下の長身の男を見つめた。
「誰よりも生真面目で、誰よりも準備を怠らない。十年前、俺の背中を追っていた頃より、遥かに洗練されてる。……立派になったもんだ」
その声に、わずかな苦さが混じったのを、リンは聞き逃さなかったらしい。だが、何も言わなかった。
「リン。あいつの作戦、どう見る?」
「……隙がないわ。教科書通り、いえ、教科書以上。あの男、相当できる。正面からやり合ったら、あたしたちでも危ないわね」
「ああ。正攻法なら、満点だ」
俺は、手帳を開いた。
「だが、正攻法ってのは、裏を返せば『次に何をするか読める』ってことだ。ガレスは、イグニスを正面から削り切るつもりでいる。あと二十分もすれば、火竜は弱り、討伐は成る。――その瞬間を、俺はもらう」
「討伐の、瞬間を?」
「イグニスの心臓核は、生きてる間は分厚い鱗と魔力障壁に守られて、手が出せない。だが、絶命した直後の数十秒だけ――魔力が霧散する過程で、障壁が消える。心臓核が、無防備に晒される。ガレスたちが『討伐成功だ』と気を緩める、まさにその一瞬がな」
ハルが、目を見開いた。
「それを、横から……!」
「連中が六時間かけて削った獲物の、一番おいしいところだけを、最後にかっさらう。エリートの仕事は、いつだって俺たちの下ごしらえだ」
◇
二十分後。
ガレスの読み通り、イグニスは断末魔の咆哮を上げ、ゆっくりと崩れ落ちた。
「討伐、成功! 総員、警戒を維持しつつ――」
ガレスの声が、空洞に響く。部隊に、わずかな安堵が走った。張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ、緩む。
その、一瞬。
「ハル」
「はいっ!」
ハルが、岩棚から跳んだ。
灼熱の空洞を、最短距離で滑降する。立ち上る熱気の柱を蹴り、岩肌を伝い、絶命したイグニスの巨体へ。その胸部へ。
俺の計算通り、魔力障壁はちょうど霧散しきったところだった。剥き出しになった、脈打つ深紅の心臓核。ハルの大剣が、灼熱の中で白く輝き――一閃。核を繋ぐ最後の腱を断ち、それを抱え上げる。
核に触れた瞬間、ハルの装備の端が、余熱で焦げた。あと数秒遅ければ、障壁が再生する前に間に合わなかった。あと数秒早ければ、まだ生きた竜の余波に巻かれていた。
その、たった数十秒の窓を、俺は三日かけて計算してある。
「なっ……何者だ!?」
特務部隊が気づいたときには、もう遅い。ハルは核を抱えて跳躍し、俺が投げ下ろした縄を片手で掴むと、振り子のように岩棚へと舞い戻ってきた。
所要時間、討伐成功の宣言から、わずか十数秒。
「追え! 追えぇ!」
部隊が殺到する。だが、俺はすでに、退路の岩の裂け目へとリンとハルを誘導していた。
この階層の地形は、潜入前に隅々まで頭に叩き込んである。どこで追っ手の足が鈍り、どこで視界が切れるか。連中の重装備では、絶対に追いつけない、計算され尽くした一本道。逃げるのもまた、戦術だ。
逃げ際。
俺は一度だけ、振り返った。
混乱する部隊の中央で、ただ一人。
ガレスが、動いていなかった。
追っ手に指示を出すでもなく、ただ、俺たちが消えていく裂け目を――いや、その奥にいる、笠を被った俺の方を、じっと見つめている。
その目が、見開かれていくのが、遠目にもわかった。
「……まさか」
ガレスの唇が、そう動いたような気がした。
あの手口。討伐の瞬間だけを狙う、あまりにも見覚えのありすぎる、その「奪い方」。
十年前、何度も隣で見た、兄貴の――ヴァンの、やり口。
◇
地上への帰り道。
心臓核を抱えたハルは、まだ興奮冷めやらぬ様子だった。
「やりましたね、ボス! 二億っすよ、二億! しかも国の最精鋭の、目の前で!」
「ああ。だが、油断するな」
俺は、笠を脱ぎ、額の汗を拭った。
「今日ので、ガレスは確信しただろう。『ヴァンは、生きている』とな」
リンが、俺の横顔を、探るように見た。
「ねえ、ボス。わざと、なんでしょう?」
「……何がだ」
「あなたほどの人が、本当に正体を隠したいなら、もっと別のやり方で獲物を奪えたはず。なのに、わざわざ『ヴァンの手口』そのままで奪った。――あの男に、気づかせるために」
さすがに、鋭い。
俺は、答えなかった。
代わりに、肩の上のハクが、俺の心を読んだように「きゅう」と鳴いた。
そうだ。これは、招待状だ。
十年前、俺を裏切り、殺したことにした連中へ。
「俺は生きている。お前たちのしたことを、忘れていない」と――そう、突きつけるための。
……本当は、わかっている。
一番効率のいいやり方は、正体を隠したまま、静かに金を稼ぎ続けることだ。ノアを養い、いつか真実を暴く弾薬を、こっそり蓄えていけばいい。わざわざ国を、ガレスを、刺激する必要なんてない。
だが、それでも俺は、あいつの目の前で「ヴァンの手口」を使った。
ガレス。お前は、あの日の真実を知っているのか。
俺が国の何に触れ、なぜ消されたのか。それを知った上で、なお国の犬として俺を狩るのか。
それとも――何も知らされないまま、死んだ兄貴の亡霊を追っているだけなのか。
その答えを、俺はどうしても、あいつ自身の口から聞きたかった。
たとえ、それが剣を交える結果になったとしても。
さあ、来い、ガレス。
その目で、確かめさせてもらう。十年越しの答え合わせだ。
肩のハクの瞳が、夕日を映して――いや、それとは違う、金色の光を、静かに灯していた。
まるで、これから始まる戦いの、長さと深さを、見透かしているかのように。
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<あとがき>
第5話を読んでくださって、ありがとうございます!
ヴァン、ついにガレスの目の前で「ヴァンの手口」を見せつけました。これは正体がバレるリスクを承知の上での、確信犯。十年前の因縁に、自ら火をつけにいったわけですね。リンの「わざとでしょう?」の鋭さも、ぜひ味わっていただけたら。
次回はいよいよ、ヴァンとガレスの距離が縮まります。そしてガレスは、十年前の真実をどこまで知っているのか――。物語の核心に、少しずつ近づいていきます。
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