第4話「もふもふに名前をつけたら、国が本気で追ってきた」
朝。
俺が目を覚ますと、枕元で白いもふもふがこちらをじっと見ていた。
「きゅう」
「……お前な。人の顔を覗き込むのはやめろ」
「きゅぅ」
もふもふは、まるで「おはよう」とでも言うように、俺の頬に小さな額をこすりつけてきた。ふわふわの毛が、くすぐったい。
昨日、国が総力を挙げて守っていた正体不明の卵から孵った、この生き物。鑑定スキルも、国の最高峰の魔導具も、何一つ正体を返さなかった代物だ。
なのに、当の本人(本獣?)は、こうしている限り、ただの能天気なモフモフにしか見えない。
「ボス、おはよう! あっ、この子、もう起きてたんだ!」
寝間着姿のノアが、ぱたぱたと駆け込んできた。もふもふは「きゅっ」と嬉しそうに鳴いて、ノアの胸に飛び込む。
「ねえねえボス。この子、いつまでも『この子』じゃかわいそうだよ。名前、つけてあげようよ!」
「名前、か」
ちょうどそこへ、リンとハルも顔を出した。今日は朝から、次の仕事の打ち合わせの予定だったのだ。
「あら、おはよう。なになに、命名会議?」
リンが、長い髪をかき上げながら、面白そうに腰を下ろす。ハルも、大剣を壁に立てかけて、もふもふを覗き込んだ。
「いいっすね。じゃあ俺、考えてきたんすよ。こいつ、見た目は白くてちっこいけど、いざってときは強そうじゃないっすか。だから……『ブレイドファング・ジ・エンペラー』ってのはどうっすか!」
「却下だ」
「即答!?」
「長い。ノアが呼べない」
「ぐ……た、確かに。じゃあ縮めて『ブレイド』で……」
「お前、自分の大剣にも同じような名前つけてただろう。芸がない」
「な、なんで知ってるんすか!」
リンが、くすくす笑いながら、もふもふの喉をくすぐる。もふもふは「きゅるる」と気持ちよさそうに目を細めた。
「ハルのセンスはともかく……あたしは、そうねえ。この子、毛並みが本当にきれい。雪みたいに白いわ。『シロ』とか、安直すぎるかしら」
「きゅ?」
「あら、不満そう。じゃあ『ミルク』は? それとも『マシュマロ』とか。ふふ、どれも美味しそうね」
「リンさん、食べ物の名前ばっかりじゃないっすか」
「あら、悪い? 可愛いものと美味しいものは、世界の二大正義でしょう」
もふもふは、どの名前にもピンとこないのか、首をかしげるばかりだ。
俺は腕を組んで、その様子を眺めていた。
白い。雪のよう。だが、ただ白いだけじゃない。
昨日この手で抱えたとき、俺はこいつの内側に、ありえない「密度」を感じた。手のひらサイズの体に、竜が一頭まるごと折りたたまれているような。
そして、つぶらな瞳の奥で、ちらりと揺れた金色の光。
雪のように静かで、その奥に途方もないものを隠している。
「ノア。お前は、どう呼びたい?」
俺がそう聞くと、ノアは、もふもふをそっと両手で持ち上げて、目を合わせた。
しばらく、じっと見つめ合っていたが――やがて、ノアは確信したように頷いた。
「……『ハク』。この子、ハクだよ」
「ハク?」
「うん。夢で会ったとき、この子、そう呼ばれてた気がするの。真っ白で、きれいで……ハク、って」
俺は、内心で息を呑んだ。
ノアの夢の話を、俺はずっと「子供の空想」として片づけようとしてきた。だが、白いもふもこの絵といい、この名前といい――あまりに、的中しすぎている。
その瞬間。
もふもふが、ぴくん、と耳を立てた。
「きゅうっ!」
今までで一番、嬉しそうな鳴き声だった。ノアの手のひらの上で、くるくると回り、全身でその名を喜んでいる。まるで、ずっと前から「ハク」という名を知っていて、ようやく呼んでもらえた、とでも言うように。
夢で、そう呼ばれていた。
……またか。ノアの夢は、どこまで「視えて」いるんだ。
まだ六つの、この小さな子の中に、いったい何が宿っているのか。俺は背筋に走る、かすかな寒気を、悟られないように抑え込んだ。
「決まりだな。今日からお前は、ハクだ」
「きゅっ!」
ハクと名づけられたモフモフは、誇らしげに胸を張った。その仕草があんまり得意げで、ハルが思わず噴き出す。
「あはは、こいつ、自分の名前わかってるみたいっすね」
「当たり前でしょ。ハクは賢いんだから。ね、ハク?」
「きゅう!」
ノアが頬ずりすると、ハクは目を細めて、心底幸せそうに鳴いた。
その光景だけ切り取れば、どこにでもある、穏やかな朝の風景だった。
◇
平和なのは、そこまでだった。
その日の午後。情報を集めに奈落市場へ降りた俺は、いつもと違う「空気」を感じ取っていた。
人の流れが、おかしい。
普段は好き勝手に蠢いている裏稼業の連中が、どこか一点を――市場の入口の方を、ちらちらと気にしている。落ち着かない。怯えている。
「ボス」
隣を歩くリンの声も、低く、鋭くなっていた。いつもの甘さが消えている。
「市場の入口に、国の人間が立ってるわ。それも、ただの警備隊じゃない。あれは――『管理局・特務』。表に出てこない、汚れ仕事専門の連中」
「……卵の件か」
「でしょうね。あれだけ厳重に守ってたものを、丸ごと盗まれたんだもの。国の面子は丸潰れ。本気で犯人を探しにきてる」
俺は、物陰から特務の連中を観察した。
黒ずくめの数人。手練れだ。立ち方、視線の配り方、すべてが訓練されている。市場の住人を一人ずつ捕まえては、何かを問いただしている。
その中央に立つ、長身の男。
部下から報告を受け、静かに頷いている。その横顔を見た瞬間――俺の足が、止まった。
……知っている。あの男を。
十年前。俺がまだ「ヴァン」だった頃。同じ国家公認探索者として、何度か任務を共にした男。当時から、誰よりも生真面目で、誰よりも国を信じていた。出世頭で、俺の背中を追いかけてくる後輩だった。名を、ガレス。
あいつは、俺を「兄貴」と呼んで慕っていた。
その後輩が今、俺を狩る側の、特務の指揮官として立っている。
……あの事件のあと、こいつは何を知らされ、何を信じて、ここまで来たのか。それとも、何も知らないまま、ただ国の命令に従っているだけなのか。
「ボス? どうしたの、顔色が」
「……いや」
俺は、笠を深く被り直した。
ガレスは、俺の顔を知っている。十年前の、ヴァンの顔を。今の俺は十年ぶん老けて、傷も増えた。だが、あいつの目はごまかせないかもしれない。
ここで気づかれるわけにはいかない。ノアがいる。ハクがいる。守るべきものを抱えた今の俺は、十年前のように身軽じゃない。
だが、その時だった。
ガレスの部下の一人が、一枚の紙きれを掲げて、市場じゅうに響く声で叫んだ。
「聞け! 国は、此度の卵の奪取について、重大な手がかりを掴んでいる! 現場に残された痕跡――その手口は、十年前に死んだ、ある男のものと酷似している!」
ざわ、と市場が揺れた。
住人たちが、互いに顔を見合わせ、ひそひそと囁き交わす。「十年前」「死んだ男」――その言葉が、波紋のように広がっていく。
「もし、その男が生きているなら……あるいは、その手口を受け継ぐ者がいるなら。必ず、見つけ出す。手段は、選ばん。国家管理局の名において!」
俺は、笠の下で、奥歯を噛んだ。
痕跡。手口。
あの完璧だったはずの侵入で、俺は確かに、指紋ひとつ、足跡ひとつ残していない。残したのは――「やり方」そのものだ。
障壁が落ちる十一分を狙い、増えた歩哨の死角を縫う、あの一連の流れ。物的証拠を一切残さないその手際こそが、皮肉にも、何より雄弁な「署名」になっていた。
そして、それを「ヴァンのものだ」と見抜ける人間が、国にはまだ残っていた。
よりにもよって、俺を兄貴と呼んでいた、あの男が。
十年前、俺を殺したはずの連中が。
俺が「生きているかもしれない」と、気づき始めている。
「ねえ、ボス」
リンが、俺の耳元で、囁いた。今度は、甘い声で。だがその瞳は、笑っていない。
「あなた、これ……ただの盗みの後始末じゃ、済まなくなってきたわね」
「ああ」
俺は、笠の下で、ふっと笑った。
恐怖ではない。むしろ、その逆だ。
「向こうから来てくれるなら、好都合だ。十年前の借りを返す相手が、ようやく顔を出してきた」
俺たちが帰路につく頃。
地上のアパートでは、ノアが、腕の中でうとうとするハクを撫でながら――ふと、不安そうに窓の外を見上げていた。
夕暮れの街路に、見慣れない人影が、一つ。
じっと、このアパートを見上げている。すぐに、何事もなかったように歩き去っていったが。
まるで、何かが近づいてくるのを、ノアは感じ取っているかのようだった。
「……ボス、はやく帰ってこないかな」
ハクが、ノアの不安に応えるように、身を起こし、小さく「きゅう」と鳴いた。
いつものとぼけた声とは、どこか違う。低く、警戒するような響き。
その瞳の奥で、金色の光が、また一度――今度は、はっきりと、揺れた。
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<あとがき>
第4話を読んでくださって、ありがとうございます!
白いもふもふ、「ハク」と命名されました! 感想欄で名前のアイデアをくださった方、本当にありがとうございます。ノアの夢が、またひとつ的中してしまいましたね……。
そして、ついに動き出す国の影。十年前、ヴァンを知る男・ガレスの登場です。「死んだはずの伝説」が、少しずつ過去に追いつかれていく――。次回はいよいよ、ヴァンとガレスの因縁が動き出します。そしてカルテルにも、新たな依頼が舞い込む――。
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それでは、次話「十年前に殺したはずの男が、獲物を奪っていく」でまたお会いしましょう!
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