第6話「兄貴と呼んだ男を、俺は撃てるのか」
接触は、向こうから来た。
火竜の心臓核を奪ってから、三日後。
あの日以来、奈落市場には特務の影がちらつくようになっていた。住人たちは口を閉ざし、取引は鳴りを潜め、市場全体が、息を殺している。すべては、俺が撒いた種だ。
俺がいつものように市場を歩いていると、一人の物乞いが、すれ違いざまに俺の袖へ小さな紙片を押し込んできた。物乞いに化けるには上等すぎる、鍛えられた身のこなし。一瞬で人混みに消える手際。特務の人間だ。
紙片には、一行だけ。
『第四階層、廃坑。一人で来い。――ガレス』
「罠でしょうね」
いつの間にか俺の手元を覗き込んでいたリンが、平坦な声で言った。指先で、その紙片をつまみ上げる。
「特務の指揮官が、たった一人で犯罪者に会いに来るわけがない。行けば、囲まれて終わり。あたしなら、燃やして忘れるわ、こんな紙きれ一枚」
「ああ。十中八九、罠だ」
「わかってて、行くつもりでしょう」
リンが、ため息をついた。怒っているのではない。諦めているのだ。こうなった俺が、聞かないことを知っている。
「ガレスは、生真面目な男だ。あいつが『一人で来い』と書いたなら、本当に一人で来る。それくらいの筋は通す男だった、昔は」
「十年も経てば、人は変わるわよ」
「だから、確かめにいく」
俺は紙片を、指先で燃やした。
「あいつが変わったのか。それとも、俺の知ってるガレスのままなのか。――それで、すべてが決まる」
◇
第四階層、打ち捨てられた廃坑。
かつて魔石を掘り尽くし、今は誰も寄りつかない、無音の闇。落盤を防ぐための古い支柱が、墓標のように並んでいる。
その奥に、ガレスは、一人で立っていた。本当に、一人で。
俺は、念のため周囲の気配を探った。伏兵はいない。罠の魔導具もない。あいつは、本当に約束を守って、たった一人で来ていた。
……変わっていないのか、この男は。
俺は、笠を取った。
十年ぶりに、この男の前で素顔を晒す。
ガレスの表情が、揺れた。怒り、戸惑い、そして――泣き出しそうな、子供のような顔。
その顔に、俺は昔の面影を見た。新人だった頃のガレス。何をやっても俺に追いつけず、それでも食らいついてきた、不器用な後輩の顔を。
「……本当に、生きていたのか。ヴァンの兄貴」
「久しぶりだな、ガレス。立派になった」
「立派、だと?」
ガレスの声が、震えた。
「あんたは……あんたは、知らないだろう。あんたが『殉職した』と聞かされた日、俺がどんな気持ちで、あんたの空の棺を担いだか。英雄の死だと讃えられて、俺は……俺は、あんたの背中を追って、ここまで来たんだ。あんたみたいな探索者になりたくて!」
空の棺。
なるほど。国は、俺の死をそう処理したわけだ。遺体もないまま、英雄として葬った。生き残られては、困るから。
「それが、どうだ」
ガレスは、握った拳を震わせた。
「死んだはずのあんたが、裏社会で『死人』なんて呼ばれて、国の獲物を盗み歩いてる。……俺が憧れた背中は、どこへ行ったんだよ。なあ、兄貴」
その問いには、十年分の混乱と、裏切られたような痛みが滲んでいた。
責める資格は、こいつにはある。何も知らないこいつには。
「ガレス。一つ、聞かせてくれ」
俺は、静かに問うた。
「お前は、俺が『なぜ』死んだことになったのか、知っているか?」
「……殉職だ。第二十階層の調査任務で、崩落に巻き込まれて――そう、報告書にある」
「報告書、な」
俺は、薄く笑った。
「違う。俺は、嵌められたんだ。国に。あの崩落は、事故じゃない。仕組まれたものだ。俺が、国が隠したい『あるもの』に、調査の途中で触れてしまったからだ」
ガレスの顔が、強張った。
「……何を、言って」
「信じなくていい。だが、これだけは言っておく。お前が忠誠を誓ったその国は、英雄を平気で『事故』に見せかけて消す。都合が悪くなれば、何の証拠も残さずにな。俺は、その生き証人だ」
沈黙が、廃坑に落ちた。
ガレスは、長い間、俺を見つめていた。その目の中で、十年間信じてきたものと、目の前にいる現実とが、激しくぶつかり合っているのがわかった。
信じたくない。だが、目の前の兄貴は、確かに生きている。死んだはずの男が。「事故」で死んだはずの男が。
やがて、ガレスは、ゆっくりと剣を抜いた。
「……証拠は。証拠は、あるのか」
「ない。今はな」
「なら、信じられるわけがないだろう!」
ガレスの叫びが、闇に反響した。
「あんたが生きてた。それは、嬉しい。本当だ。だが、あんたは今、国の資源を盗む犯罪者だ。それも、事実だ! 俺は――俺は、特務の指揮官として、あんたを捕らえなきゃならない!」
剣の切っ先が、俺を向く。
その手が、震えていた。
俺は、動かなかった。一歩も引かず、剣も抜かず、ただ、まっすぐにガレスの目を見た。
今の俺は、全盛期の力は出せない。だが、目の前のこの男が本気で斬りかかってきたとしても、捌く自信はある。ハルほどの剣を躱してきた俺だ。ガレスの太刀筋くらい、読める。
だが――そうはしない。ここで剣を抜けば、それは「敵」になることだ。俺は、こいつを敵にしたくなかった。
「撃てるのか、ガレス。兄貴と呼んだ男を」
「……っ」
「お前が今、本当に国を信じているなら、迷わず斬れ。それが正しいと、心から思えるなら。俺は抵抗しない。――だが、少しでも『おかしい』と感じるなら。その手の震えが、答えだ」
ガレスの剣先が、激しく揺れた。
斬るか、退くか。この男の十年が、信じてきたものすべてが、その一瞬に懸かっていた。
廃坑の闇の中、二人の影が、長い間、動かなかった。
◇
結局、その日、剣は振り下ろされなかった。
長い沈黙の果てに、ガレスの剣先が、力なく下がった。
「……行け」
ガレスは、剣を収め、背を向けた。その背中は、来たときより、ずっと小さく見えた。
「今日のことは、見なかったことにする。一度だけだ。あんたが死んだ英雄だった、その昔のよしみだと思ってくれ。……だが、次はない。次にあんたと会ったら――俺は、特務の指揮官として、全力であんたを狩る。それが、俺の筋だ」
「ああ。待ってるよ」
俺は、背を向けたガレスに、声をかけた。
「だがな、ガレス。もし、お前がいつか『国のおかしさ』に気づいたとき。あの報告書の裏に、何があったのか。それを自分の目で確かめたくなったとき。――そのときは、俺のところへ来い。お前の居場所は、まだ残してある」
ガレスは、答えなかった。
ただ、その背中が、ほんの少しだけ、震えた気がした。そして、足早に闇の奥へと消えていった。
◇
廃坑を出ると、入口でリンが待っていた。
約束を破って、ついてきていたらしい。物陰から、ずっと様子を窺っていたのだろう。
「……いいの? あの男、見逃して。次は本気で来るわよ。あなたを狩りに」
「それでいい」
俺は、夜空を見上げた。久しぶりに見る、地上の星だった。
「あいつの中に、まだ『迷い』が残ってた。国を、百パーセントは信じきれていない。今日、剣を振り下ろせなかった。あの迷いは、いつか必ず、芽を出す」
「それまで、あなたは斬られるかもしれないのに?」
「斬られないさ。あいつが本気になる前に、迷いのほうが勝つ。……賭けてもいい」
「ふうん」
リンは、しばらく俺の横顔を見ていたが、やがて、小さく笑った。いつもの底の見えない笑みではなく、ほんの少しだけ、柔らかい笑みだった。
「あなたって、ほんと、人を読むのは竜より得意よね。……それとも、昔の弟が、可愛いだけ?」
「どっちもだ」
リンが、声を立てて笑った。
「正直でよろしい。……ま、いいわ。あの男が牙を剥く日が来たら、そのときはあたしが、あなたの代わりに相手をしてあげる。あなたは、手を汚さなくていいように」
さらりと言ってのける。だが、その一言の重さを、俺は知っていた。
こいつは、俺がガレスに剣を向けたくないことを、とっくに見抜いている。その上で、自分が汚れ役を買って出ると言っているのだ。
……まったく。底が知れない女だ。
その夜。
アパートに帰ると、ノアがハクを抱いて、眠らずに待っていた。
「おかえり、ボス。……あのね。今日、こわい夢を見たの」
「どんな夢だ」
「ボスが、誰かと、剣で戦ってる夢。でもね、その人、泣いてたの。ボスのこと、斬りたくないって、泣いてた」
俺は、息を呑んだ。
廃坑での、あの光景。剣を握りながら震えていた、ガレスの手。あれを、ノアは見ていた。この部屋にいながら、夢の中で。
ハクが、ノアの腕の中で、こちらをじっと見ている。その瞳の奥に、また、金色の光が、静かに灯っていた。まるで、「お前も気づいているだろう」とでも言うように。
この子の夢は、やはり――視えている。
過去だけじゃない。今を、そしてもしかすると、これから起きることまで。
六つの子供が背負うには、あまりに重すぎる力かもしれない。だが、今はまだ、それを口にはしない。
「大丈夫だ、ノア」
俺は、ノアの頭を撫でた。
「その人とは、ちゃんと話せた。心配ない」
嘘ではなかった。
ガレスとは、まだ終わっていない。だが、始まってもいる。
十年前に止まっていた何かが、ようやく、動き出した。
ゆっくりと、だが確実に。
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<あとがき>
第6話を読んでくださって、ありがとうございます!
兄貴と慕った後輩・ガレスとの、十年ぶりの邂逅。剣を向けながらも振り下ろせなかったガレスの「迷い」、そしてヴァンの「居場所は残してある」という言葉。二人の因縁は、まだ始まったばかりです。
そして、ノアの夢がまた一つ的中しました。彼女の力は、過去だけでなく「今」や「これから」まで視ているのかもしれません。ハクの金色の光とあわせて、この物語の根っこにある謎に、少しずつ近づいていきます。
次回は、ガレスを見逃したことで動き出す、国側のさらなる思惑。そしてカルテルにも、これまでとは毛色の違う、危険な依頼が舞い込みます。
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それでは、次話「危険すぎる依頼には、裏がある」でまたお会いしましょう!
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