第21話「翠緑の檻、待つ者」
翠緑の核ダンジョンは、深い森の底にあった。
見渡す限りの、原生林。苔むした巨木が、空を覆い隠すほど高くそびえ、地面は、しっとりと湿っている。その森の最奥、巨大な樹の根が絡みつく洞窟の奥に、三体目の核ダンジョンの入口は隠されていた。
「ガレスの言ってた、残党の動き。その痕跡が、これか」
俺は、洞窟の手前で、足を止めた。
地面に、真新しい足跡。複数。そして、消し忘れた野営の跡。確かに、誰かが、ここに張り付いていた。だが――今は、いない。
「妙だな」
俺は、周囲を見回した。
「見張ってたなら、俺たちが来た今こそ、襲うか、報告するはずだ。なのに、引き払ってる。まるで、俺たちを、中へ通したがってるみたいに」
「ますます、嫌な感じね」
リンが、長い髪を払いながら、警戒の色を浮かべた。
「罠の匂いがプンプンするわ。引き返す? ボス」
「いや。引き返さない」
俺は、首を振った。
「罠だとしても、その中身を見なきゃ、敵の狙いはわからない。それに――」
俺は、肩のハクを見た。
ハクは、洞窟の奥を、じっと見つめている。その金色の瞳が、かすかに揺れていた。中にいる、仲間の気配を感じ取っているのだ。
「この子が、放っておけないと言ってる。なら、行く」
「きゅう」
ハクが、力強く頷いた。
◇
洞窟を進むと、空気が、変わった。
むせ返るような、濃い魔力。そして、それに混じる、かすかな、命の気配。
やがて、俺たちは、巨大な地下空洞へとたどり着いた。
そこには、三体目の原初の獣がいた。
翠緑の毛並みを持つ、巨大な獣。北嶺の獣と同じく、幾重もの枷に縛られ、痩せ衰えている。だが、その瞳には、まだ、わずかに、光が残っていた。
「グルル……」
獣が、ハクを見て、弱々しく鳴いた。
「きゅうっ! きゅうう!」
ハクが、俺の肩から飛び降り、その大きな獣に駆け寄った。互いに、額をすり寄せ合う。種族の、再会。長い、孤独な檻の中で、ようやく訪れた、仲間との邂逅だった。
俺は、その光景を見ながら、すぐに、枷の構造を読み始めた。
北嶺のときと、同じ仕組みだ。魔力を吸い上げる枷。一定周期の、強弱。一番弱まる瞬間に、結節点を断ち、同時にハクが魔力を注ぐ。段取りは、もう、頭に入っている。
「ハル、配置につけ。リン、ガレスは、周囲の警戒を。敵が、いつ出てきても、おかしくない」
「了解っす!」
全員が、動き出す。
だが、その時だった。
「――ようこそ、解放者諸君」
地下空洞に、声が響いた。
空洞の奥、岩棚の上に、一人の男が立っていた。国の残党。だが、ただの兵じゃない。落ち着き払った佇まい。こちらを見下ろす、余裕の表情。
「待っていたよ。君たちが、三体目を解放してくれるのをね」
◇
「やはり、待ってたか」
俺は、男を見上げた。
「聞かせてもらおうか。なぜ、俺たちの解放を、邪魔しない。お前たちにとって、原初の獣は、手放したくない『資源』のはずだ」
「ふふ。鋭いね。だが――その問いに答える前に、一つ、教えてあげよう」
男は、にやりと笑った。
「君は、いいことをしていると、思っているだろう。囚われた獣を、解放している、と。だが、本当に、そうかな?」
俺の、胸が、ざわついた。
ノアの夢。あけちゃ、だめ。世界中が、変わる。その言葉が、頭をよぎる。
「どういう、意味だ」
「さあ、どういう意味だろうね」
男は、答えをはぐらかすように、肩をすくめた。
「すべては、君が、その目で確かめることだ。解放を、続ければね。私たちは、ただ――その時を、待っているだけだよ」
その時。
ハルが、しびれを切らして、声を上げた。
「ボス! こいつ、何を言ってるんすか。こんな、思わせぶりな男の話、聞く必要あるんすか? それより、早く、この子を解放してやらないと!」
ハルの言葉に、俺は、はっとした。
そうだ。今は、目の前で苦しむ獣を、救うことが先だ。男の言葉に、惑わされている場合じゃない。
「……ハルの言う通りだ。やるぞ」
俺は、枷の魔力の周期を、読み切った。
一番、弱まる、その瞬間。
「今だ! ハル!」
「うおおおっ!」
ハルの大剣が、枷の結節点を、断つ。
同時に、ハクが、翠緑の獣に、白銀の魔力を注ぎ込んだ。優しく、温かい、命の奔流。
澄んだ音を立てて、枷が砕け散る。三体目の原初の獣が、解放された。
◇
「見事だ。実に、見事」
岩棚の上の男は、止めようともせず、ただ、拍手を送っていた。
「これで、三体目。残りは、二体だね。さあ、続けたまえ。君が、すべてを解放したとき――君は、本当の意味で、知ることになる」
男は、踵を返し、岩棚の奥へと、消えていった。
追う間も、なかった。
「……何だったの、あいつ」
リンが、不審げに、呟いた。
「解放を、邪魔するでもなく。ただ、不気味なことを言って、消えた。何が、狙いなの」
「わからない」
俺は、解放されたばかりの、翠緑の獣を見た。
ハクの魔力を受けて、その瞳に、少しずつ、光が戻っていく。救えた。それは、確かだ。間違ったことは、していない。
なのに、なぜだろう。胸の奥の、ざわつきが、消えない。あの男の言葉が、ノアの夢と、重なって、嫌な予感を、増幅させる。
「ボス」
ガレスが、低い声で言った。
「あの男、最後に言ったな。『すべてを解放したとき、本当の意味で知る』と。……俺は、あの言葉が、どうしても引っかかる。まるで、解放することそのものが、何かの『引き金』みたいに」
俺は、答えなかった。
答えられなかった、と言うべきか。
残りは、二体。
その先に、何が待っているのか。
俺は、まだ、知らない。だが、進むしかない。檻の中の獣を、見捨てることは、できないのだから。
森の奥で、解放された二体の獣が、寄り添い合っていた。
その光景は、美しく――そして、どこか、不穏だった。
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<あとがき>
第21話を読んでくださって、ありがとうございます!
三体目の原初の獣を解放しました。残るは、あと二体。しかし、解放が進むほど、不穏な影が濃くなっていきます。
待ち構えていた、国の残党の男。彼は解放を邪魔するどころか、拍手で迎えました。「君がすべてを解放したとき、本当の意味で知ることになる」――この意味深な言葉は、いったい何を示すのか。ノアの夢の予兆と、静かに重なっていきます。
ヴァンは、正しいことをしている。間違ってはいない。なのに拭えない、この胸騒ぎ。すべてが、ある一点に向かって、加速していきます。
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