第20話「夢の、ほころび」
二体目の原初の獣を解放してから、数日が過ぎた。
俺たちは奈落市場の隠れ家を拠点に、次の標的の情報を集めていた。卓上には、ガレスが禁書庫の記録から書き写してきた、核ダンジョンの地図が広げられている。
「三体目は、東の『翠緑の核ダンジョン』だ」
ガレスが、地図の一点に印をつけた。
「ここも、国の混乱で管理は手薄になってる。北嶺のときと、似たような状況だ。解放するなら、今のうちだろう。だが――一つ、どうにも気になることがある」
「なんだ」
「最近、この核ダンジョンの周辺で、国の残党が、妙な動きをしてるらしい。解放を阻止するため、じゃない。むしろ……俺たちが解放するのを、待ってるような、節があるんだ」
俺は、眉をひそめた。
「待ってる? 俺たちが原初の獣を解放するのを、敵が待つ理由が、どこにある」
「わからない。普通なら、全力で阻止してくるはずだ。なのに、見張ってはいるが、手を出してこない。まるで、解放されるのを、見届けようとしているみたいに……。理屈に合わない。だから、嫌な感じがするんだ」
ガレスの勘は、侮れない。元・特務指揮官として、いくつもの修羅場をくぐってきた男の直感だ。
俺は、地図の印を見つめながら、頭の中で、いくつもの可能性を並べた。敵が解放を待つ理由。罠か。それとも、解放そのものに、俺たちの知らない意味があるのか。だが、情報が足りない。今の段階では、答えは出ない。
「……警戒は、する。だが、止まるわけにはいかない。檻の中で、今も苦しんでる獣がいる限り、な」
「きゅう」
俺の肩で、ハクが、静かに頷くように鳴いた。その金色の瞳には、仲間を思う、まっすぐな光が宿っている。
◇
その夜のことだった。
アパートの寝室で、ノアが、うなされていた。
いつもの、穏やかな寝顔じゃない。眉をきつく寄せ、額に汗を浮かべ、小さな手が、何かを掴もうとするように、宙をさまよっている。
「……だめ、だよ。あけちゃ……だめ……」
寝言だった。だが、その声には、はっきりとした恐怖が滲んでいた。
「ノア。ノア、起きろ」
俺は、その肩を、そっと揺すった。
ノアが、はっと目を覚ます。その大きな目に、涙が、にじんでいた。
「ボス……! こわい、夢を、見たの」
「どんな夢だ。話してみろ」
ノアは、俺の服を、ぎゅっと握りしめた。その手が、小さく震えている。
「白い子たちが、いっぱい、自由になって……みんな、嬉しそうだったの。ハクみたいな、きれいな子たちが、たくさん。それは、すごく、いい夢だったの。でも……その後、空が、まっくらになって……世界中が、こわい場所に、変わっちゃうの。みんなが、泣いてた」
俺の、背筋が、冷えた。
「世界中が……変わる?」
「うん……。あのね、ボス。白い子たちを助けるのは、いいことのはずなのに……どうして、こんなにこわい夢を見るのか、わからないの。あたし……まちがってる、のかな……?」
俺は、すぐには、答えられなかった。
ノアの夢は、いつも、何かを示す。過去を、今を、これから起こることを。その夢が、原初の獣の解放の先に、「世界中が変わる」恐怖を、見せている。
……ただの、悪い夢だ。そう思おうとした。だが、この子の夢を、俺は、軽んじることができなかった。これまで、あまりにも、当たってきたから。
「ノア。よく聞け」
俺は、その小さな頭を、ゆっくりと撫でた。
「お前は、間違ってない。苦しんでる子を助けようとするのは、正しいことだ。それは、絶対に、間違いじゃない。胸を張っていい」
「……ほんと?」
「ああ。ただ――これから、気をつけて進む。お前の夢が、何かを教えてくれてるなら、その『何か』を、ちゃんと見極めながらな。だから、もう、こわがらなくていい。お前の夢は、俺が、必ず受け止める」
ノアは、こくり、と頷いて、また、目を閉じた。
今度は、穏やかな寝息を立て始める。その寝顔を見届けてから、俺は、そっと寝室を出た。
だが、俺自身は、眠れなかった。
ノアの夢の言葉が、頭から、離れなかった。
――あけちゃ、だめ。
何を、開けてはいけないのか。
原初の獣を縛る、あの檻を、なのか。だとすれば、俺たちのやっていることは――。
俺は、その先を、考えるのをやめた。今は、まだ、確かめようがない。
◇
「気にしすぎ、じゃないの?」
翌朝、俺がその話を伝えると、リンは、紅茶を傾けながら、軽く言った。
「子供は、こわい夢を見るものよ。原初の獣の解放だって、あの子にとっては、大きな出来事だもの。不安が、夢に出ても、おかしくないわ」
「そうだな。お前の言う通り、かもしれん」
俺は、頷いた。だが、胸の奥の、ざわつきは、消えなかった。
「だが、リン。ノアの夢は、これまで、何度も当たってきた。ハクが来ることを描いた絵も、ガレスが泣きながら剣を向ける夢も、会ったこともないヴェルダンの顔も。……全部、当たった」
リンの、紅茶を傾ける手が、ぴたりと止まった。
「それは……そうね。確かに、あの子の夢は、当たりすぎてる。偶然で片づけるには、少し、出来すぎてるくらいに」
「もし、今度の夢も、当たるとしたら」
俺は、窓の外の、淀んだ奈落市場の空を、見上げた。
「原初の獣を解放した、その先に、『世界中が変わる』何かが、待ってる。それが、何なのか。俺たちは、知らないまま、進もうとしてるのかもしれない」
部屋に、重い沈黙が、落ちた。
止まるべきか。進むべきか。だが、檻の中では、今も、原初の獣が苦しんでいる。ハクの仲間が。それを見捨てることは、俺には、できない。
「……それでも、進む」
俺は、立ち上がった。
「ただし、慎重にだ。ノアの夢が示す『何か』の正体を、探りながらな。三体目の解放に向かう前に、まずは、ガレスが言ってた『残党の妙な動き』を、調べる。敵が、何を待ってるのか。それを知るのが、先だ」
「賢明ね。あたしも、そっちを調べるのは賛成」
リンが、ふっと、口元を緩めた。
「あなたのそういう、慎重なところ。嫌いじゃないわ。猪突猛進の男なら、とっくに、どこかで野垂れ死んでるもの」
「光栄だね」
俺は、肩の上のハクを、そっと撫でた。
まだ、俺は知らなかった。ノアの夢が示した「世界中が変わる」災いの、本当の意味を。そして、その引き金を引くのが、他ならぬ、この俺自身だということを。
解放の旅は、静かに、不穏な影を、帯び始めていた。
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<あとがき>
第20話を読んでくださって、ありがとうございます!
今回は、嵐の前の静けさのような回でした。順調に思えた原初の獣の解放。しかし、ノアの夢が、不穏な予兆を告げ始めます。「白い子たちを助けるのは、いいことのはずなのに、なぜ怖い夢を見るのか」――この問いが、これからの物語の核心に関わってきます。
そして、敵側の不可解な動き。「解放を阻止する」のではなく「待っている」とは、いったいどういうことなのか。すべてが、ある一点に向かって、静かに動き始めています。
ヴァン自身も、まだ知りません。自分が引こうとしている引き金の、本当の意味を。
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