第15話「呪われた荒野の、決戦」
かつてエルがあった荒野は、灰色だった。
草一本生えていない。十年前、原初の獣の魔力が暴走し、十二万人もろとも都市を消し飛ばした、その爪痕。空気そのものが、濁った魔力で淀んでいて、肺に入れるたびに、肌がぴりぴりと痺れる。
ここに、確かに街があった。人が暮らし、笑い、明日を信じていた。それが今は、何もない。本当に、何もない。
正午。
俺は、報告書を手に、その荒野の中心に、一人で立っていた。
「来たね、ヴァン君。約束を守る男は、嫌いじゃない」
灰色の風の向こうから、ヴェルダンが現れた。
白髪を撫でつけた、紳士然とした姿。その背後には、武装した護衛が十数人。そして――。
「ノア!」
護衛の一人に腕を掴まれた、小さな影。ノアだった。その傍らには、鎖のついた檻。中で、白いハクが、ぐったりと横たわっている。魔力を抑え込む特殊な檻だ。巨大化も、できないようにされている。
「ボス……!」
ノアが、俺を見て、目に涙を浮かべた。だが、気丈にも、泣き声は上げない。怖いだろうに。心細いだろうに。この子は、俺の前では、いつも強くあろうとする。
「待たせたな、ノア。すぐに、迎えに行く」
「感動の再会は、後にしてもらおうか」
ヴェルダンが、手を差し出した。
「報告書を。それを渡せば、娘は返す。話は、それからだ」
「その前に、一つ聞かせろ」
俺は、動かなかった。
「なぜ、ここを選んだ。エルの跡地を。ただの趣味とは、思えない」
ヴェルダンの口元が、笑みの形に歪んだ。
「鋭いね。さすがだ。……いいだろう、冥土の土産に教えてやろう」
彼は、灰色の大地を、愛おしむように見回した。
「この土地には、十年前の暴走の魔力が、今も濃く残っている。そして、その魔力は――原初の獣に、共鳴する。つまり」
ヴェルダンが、檻の中のハクを、指さした。
「この場所でなら、私は、あの獣の力を、強制的に引き出せる。十年前、できなかった『完全な制御』を、今度こそ、成し遂げる。あの忌々しい暴走を、今度は、私の手で、兵器に変えるのだ」
俺の、背筋が凍った。
こいつは、ハクを――原初の獣を、兵器にするつもりだ。十二万人を消した、あの力を。今度は、意図的に。
「正気か。また、暴走したら、どうする。今度は、この国ごと、消し飛ぶぞ」
「リスクは承知の上だ。だが、成功すれば、我が国は、無敵の力を手にする。国家千年の繁栄のためなら――安いものだ」
ヴェルダンの目に、狂気じみた信念が、宿っていた。
この男は、本気だ。十二万人の死から、何も学んでいない。ただ、より大きな力を求めて、同じ過ちを、繰り返そうとしている。
◇
「さあ、報告書を。さもなくば――」
ヴェルダンが、護衛に、目配せした。
ノアを掴む護衛の手に、力がこもる。ノアが、小さく、悲鳴を上げた。
「わかった」
俺は、報告書を、地面に置いた。そして、両手を上げる。
「渡す。だから、ノアを、放せ」
「賢明だ」
ヴェルダンが、満足げに頷いた。護衛の一人が、報告書を拾いに、歩み寄ってくる。
――今だ。
「リン」
俺は、低く、呟いた。
次の瞬間。
ヴェルダンの背後、岩陰に潜んでいたはずの伏兵たちが、声もなく、次々と崩れ落ちた。リンだ。とっくに回り込んで、一人残らず、無力化していた。俺が表で時間を稼いでいる間に。
「な……馬鹿な!?」
ヴェルダンが、初めて、動揺した。
「ハル! 今だ!」
俺の合図と同時に、灰色の風を裂いて、影が走った。
ハルだ。ノアを掴む護衛の懐に、一瞬で潜り込む。大剣の腹で、護衛を殴り飛ばし、ノアを抱え上げた。
「ノアちゃんは、もらってくっす!」
「ボス! ハルおにいちゃん!」
ハルは、ノアを抱えたまま、風のように、戦場を離脱していく。安全圏へ。約束通り、何よりも先に、あの子を。
「ガレスが、増援も抑えてる。ヴェルダン――お前の用意した盤面は、もう、崩れてる」
俺は、ゆっくりと、前に進み出た。
「言っただろう。お前は、いつも、俺を一人だと数える。だが、俺には、家族がいる。それが、十年前のお前と、今の俺の、違いだ」
◇
「おのれ……小賢しい真似を」
ヴェルダンの顔から、余裕が消えた。だが、まだ、終わらない。
彼は、懐から、黒い宝珠を取り出した。禍々しい魔力が、脈打っている。
「いいだろう。ならば――予定を、早めるまでだ」
ヴェルダンが、宝珠を、ハクの檻に、かざした。
「この地の魔力と、この触媒。これで、貴様の制御など、なくとも――原初の獣の力は、引きずり出せる!」
黒い光が、檻の中のハクを、包んだ。
「キュ……キュゥゥゥ……!」
ハクが、苦しげに、もがいた。その体から、白銀の光と、黒い魔力が、せめぎ合うように、噴き出す。
「ハク!」
俺は、駆け出した。
あの子が、苦しんでいる。意思に反して、力を、引きずり出されている。十年前と、同じだ。原初の獣を、道具として、搾取しようとしている。
「やめろ、ヴェルダン! その子は、道具じゃない!」
「道具だとも! 獣は、獣だ! 人間のために、使われるためにある!」
ヴェルダンが、叫んだ。その瞬間――。
「きゅ……ぅ」
苦しむハクの、金色の瞳が、檻の向こうの、俺を捉えた。
そして、その視線が、ハルに抱かれて、無事に逃げていく、ノアの背中へと、向けられた。
次の瞬間。
ハクの体から噴き出していた黒い魔力が、ふっと、鎮まった。
代わりに――静かで、温かい、白銀の光が、檻を、満たしていく。
「な……何!? なぜ、制御を、取り戻す!? 触媒の力に、逆らうなど……!」
ヴェルダンが、絶句した。
俺には、わかった。
ハクは、力に呑まれることを、自分の意思で、拒んだんだ。
守りたいものが、あるから。ノアが、俺たちが、無事だと知ったから。だから、暴走しない。道具には、ならない。
原初の獣は――この子は、十年前のあの日とは、違う。
今は、愛されることを、知っている。
◇
「ハク! お前の、好きにしていい!」
俺は、檻に駆け寄りながら、叫んだ。
「もう、誰の道具にも、ならなくていい! お前は、お前だ! 俺たちの、家族だ!」
「きゅう――!」
ハクが、応えるように、鳴いた。
その瞬間、白銀の光が、爆発的に膨れ上がり――魔力を抑え込んでいた檻が、内側から、粉々に砕け散った。
光の中から、現れる。
全長十メートルの、白銀の獣。原初の獣、ハクの、真の姿。
だが、その姿は、以前見たときよりも、ずっと、神々しかった。怒りでも、暴走でもない。守るために振るわれる、静かで、強大な力。
「グルルルルル……!」
ハクが、ヴェルダンを、見下ろした。
金色の瞳に、射すくめられ、ヴェルダンが、初めて、恐怖の表情を浮かべる。
「ば、化け物が……!」
「違う」
俺は、ハクの隣に、立った。
「こいつは、化け物じゃない。お前が、化け物にしようとした。だが、こいつは、ならなかった。――愛されることを、知ったからだ。お前には、一生、わからないだろうがな」
灰色の荒野に、白銀の光が、満ちていく。
十年前、ここで、すべてが、終わった。
そして今、ここから、すべてが、変わる。
決着の、時だ。
---
<あとがき>
第15話を読んでくださって、ありがとうございます!
ついに、呪われた荒野での決戦。ヴェルダンの狙いは、原初の獣を兵器化すること――十二万人を消した過ちを、性懲りもなく繰り返そうとする。それに対し、ハクが出した答えは「暴走しない」でした。
十年前の原初の獣と、今のハクの違い。それは「愛されることを知っているかどうか」。力に呑まれそうになったハクを救ったのは、ヴァンの知略でも腕力でもなく、ノアたちと過ごした、家族の温もりでした。この物語でずっと描いてきた「家族」というテーマが、決戦のクライマックスで力に変わる――そんな回にしたつもりです。
次回、いよいよヴェルダンとの決着。十年越しの因縁に、終止符を。
続きが気になった方は、ブックマークと★★★★★評価をいただけると跳び上がって喜びます。感想も執筆の励みになります。次話「歯車の、終わり」でまたお会いしましょう!




